孤思庵の仏像ブログ

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真言(マントラ)の勉強【下】

●一尊に真言は一つと限らず大呪・中呪・小呪のバライティーのあるもの在りますね。意味が全く解りませんので、今度は誤訳が知りたくなります。ところがネット検索でいくらやっても、なかなかそれが出て来ません。もしかするとこの意味を公開すると【越法罪】に成るので掲載が無いのではと思います。それくらいに このウェブは出て来ないのです。

◆越法罪 :
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (2008/04/06 14:00 UTC 版)

灌頂を受けていない者に灌頂の大事を明かしたり、非器(器量・資格のない者)に灌頂や聖教、口訣(くけつ、口伝のこと)・真言陀羅尼を授けたり、阿闍梨印可を得ずして聖教、口訣・真言陀羅尼を唱えたり、印契を結んだり梵字を書いたりする、これらの非法行為をいう。
『略出経』4などでは、これら非器の者が行ってもまったく無意味で徒労に終わると説かれている。三昧耶とは「定」すなわち心の境涯・禅定のことであるが、自誓の意もあり、これを軽んじて行うことは強く誡(いまし)められる。
実写や漫画の忍者や陰陽師などが、九字を切っているシーンなどがあるため、何も知らない在家の俗人が之を行ったりするが、これも本来は越法罪となる。
これらを違越(いえつ)することは、三昧耶の平等・本誓・除障・驚覚という四義に反することで、『大日経』4密印品に「もしこれに異なる者は、諸仏菩薩を謗(そし)るに同じく、三昧耶を越して決定(けつじょう)して悪趣に堕す」とある。またその解説書である『大日経疏』9なども、衆生と法の上で不平等の見解をもち、平等誓中に制限の心を起し、世間の名利にひかれて仏法の第一義をなさずに、怠けて迷いから覚醒しようとせずと説かれる。
『摂真実経』下では、「越法罪は五逆罪よりも重く、地獄に堕して出期(しゅつご)することがない」とまで説いている。


●上を読むと恐ろしい気もします、生半可は良くないと言う事なのでしょうか、しかし少しでもより深く知ることは、悪いと言い切れない気がしますので、執拗に検索を続けると、Yahoo!知恵袋で「真言宗で唱えられている真言の意味とは?」の質問にベスト回答のnaka photo 00さんの回答の中にありました。回答者は写真屋さんで坊さんで無いので拘らなかったのでしょうか?

紹介します。

◆naka photo 00さんの回答より

(金)大日「オーン、金剛界よ、バン」
阿しゅく「オーン、阿しゅく尊よ、フーン」
宝生「オーン、宝生尊よ、トゥラーハ」
阿弥陀「オーン、世自在王尊よ、フリーヒ」
不空成就「オーン、不空成就尊よ、アハ」
(胎)大日「あまねき諸仏に帰命したてまつる、ア、ヴィ、ラ、フーン、カハーン」
宝幢「あまねき諸仏に帰命したてまつる、ラン、ラハ、スヴァーハー」
開敷華王「あまねき諸仏に帰命したてまつる、ヴァン、ヴァハ、スヴァーハー」
無量寿「あまねき諸仏に帰命したてまつる、サン、サハ、スヴァーハー」
天鼓雷音「あまねき諸仏に帰命したてまつる、ハン、ハハ、スヴァーハー」
釈迦「あまねき諸仏に帰命したてまつる、バハ」
文殊「オーン、ア、ラ、パ、チャ、ナ」
普賢「オーン、汝は三昧耶なり」
地蔵「オーン、ハ、ハ、ハ、稀有なるものよ、スヴァーハー」
弥勒「オーン、弥勒尊よ、スヴァーハー」
薬師「オーン、取り去りたまえ、取り去りたまえ、チャンダーリーよ、マータンギーよ、スヴァーハー」
聖観音「オーン、蓮華部尊よ、スヴァーハー」 勢至「オーン、サン、ジャン、ジャン、サハ、スヴァーハー」
虚空蔵「オーン、金剛宝尊よ、オーン、トゥラーハ、スヴァーハー」
虚空蔵「虚空蔵尊に帰命したてまつる、オーン、怨敵を打ち滅ぼすものよ、スヴァーハー」
十一面「オーン、世自在王尊よ、フリーヒ」 十一面「オーン、大悲を持てるものよ、スヴァーハー」
千手「オーン、金剛法尊よ、フリーヒ」 如意輪「オーン、蓮華尊よ、如意宝珠尊よ、輝きたまえ、フーン」
如意輪「オーン、願望を授与したもう蓮華尊よ、フーン」
馬頭「オーン、甘露より生起したものよ、フーン、パット、スヴァーハー」
不空羂索「オーン、蓮華を持し、空しからず(敵を)打ち破る尊よ、出現したまえ、出現したまえ、スヴァーハー」
不空羂索「オーン、空しからず打ち勝つものよ、フーン、パット」 准胝「七倶底(万億)の正等覚仏に帰命したてまつる、すなわち、オーン、動き回るものよ、頭頂たるものよ、准胝尊よ、スヴァーハー」

●こうしてみますと直訳では、呼びかけや、賛美の言葉の様です。オーン、とかスヴァーハーが約されていませんが、オーンは、真言のはじめにつける慣用句。「帰命する」という意味。因みにソワカは末尾に置いて、「成就あれ」の意味。「ソワカ」はサンスクリット語の「スヴァーハ」にあたり、「成就」という意味と、意味としては「ソワカ」=「スヴァーハ」=「成就」名のですね。

でして「オン・○○○○・ソワカ」は、尊をを呼び出して自分の願いをかなえるようにお願いするための呼びかけの言葉で「私は○○様に帰依します。どうか私の願いをかなえてください。」ってな意味になるらしい。

真言の概容が解った様な気がします。でも修行者の立場では、そんな簡単なものでない、言葉にできない、もっと深遠なものと言うでしょう・・・・。心経の末尾の真言の意訳が諸先生にて違うように 皆、その人 その場にて微妙に相違するものなのでは?