孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2回目 於東博 仏像観賞勉強会【5】

 2011年07月12日11:20
いよいよ同題の日記最終回です・・・ のつもりでしたがインプットしてみましたら長文に成ってしまいましたので2分割と致します。で、すみませんが予告と相違し今回は終回の前となります お許し願います。



菩薩立像   平安時代・10~11世紀  当館蔵 香川県大川郡丹生脇屋庵伝来
(画像はありません)

眉と目の間が広く開き、めがやや吊り上る厳しい表情は平安前期の真言密教系の像に共通する特色である。と資料にあります。このようにキャプションやこれら解説書は、その像のことだけに留まること無しに、時代の特色についても良く書書かれて有ります。その像の特色を観ながら、時代の様式を学べます。私とても現場で文字を読むのはめんどくさいですが、この頃は努めて読むようにしています。

胸、腹部の括り線(お腹の上に刻まれる線をそう呼ぶんだ、勉強になる・・・)を深く刻んで弾力に富む肉付きを表す一方、衣襞の彫は浅い、和様化の進む時代に、保守的な仏師が造ったものと考えられる。と続きます。つまり藤原期の様式が入っているのでその時代の制作に間違いがないと言い切れます。が しかし、前時代(弘仁貞観期)の様式も随所に観られるので保守的な仏師が造ったものと付け加えられるのです。時代判定のよい勉強になります。




文殊菩薩騎獅像および侍者立像  鎌倉時代・文永10年(1273)  当館像

各木造,金泥塗り・彩色・切金,玉眼  像高(文殊)48.9()70.5(善財童子)46.2(大聖老人)70.0(仏陀波利三蔵)66.6 以上5躯

www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=C1854 でネット検索、または東博HP>>TOP >> コレクション >> 名品ギャラリー >> 文殊菩薩騎獅像 で画像が見られます。


各所でよく見られる渡海文殊の群像です。騎獅の文殊菩薩に4人の侍者、于てん王・善財童子・大聖老人・仏陀波利三蔵です。今日の学芸員の解説の中で、一番の目から鱗ががありました。「侍者の筆頭、獅子の手綱を取る王様は「于てん王」です。「優填王(うでんおう)」とよく混同されますが、于てん王(うてんおう)です、デンと濁りませんテンですから・・・」エッ優填王じゃ無いのですか?!?!?

前々から、なぜ優填王がこの場で獅子の手綱を取るか不思議に思わなくもなかったが、皆々は「優填王」としているので、そうだと思っていたのです。

我らが尊敬のあの「瓜生中先生」も誤謬です。その著書の我らの尊像別関係の必携本「仏像がよくわかる本―種類・見分け方完全ガイド」 (PHP文庫) の渡海文殊の項には、「優填王」で出ているのです。

優填王は清涼寺式釈迦のモデル、仏像の始まりとされる牛頭栴檀(ごずせん だん)像を作らせたとして周知ですが、一応、ネットで優填王を調べてみました。すると前述の釈迦思慕像、牛頭栴檀像の話ばかりで、なんと渡海文殊の侍者の事は出てこないのです。

すわ瓜生先生の間違とおもいました。
【続く】次回は本当に最終となります。筈です?!