孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2回目 於東博 仏像観賞勉強会【4】

2011年07月12日11:15
 
この次当たりで完結します。もう少しですのでお付き合い下さい!


◎重文不動明王立像 平安時代・11世紀 木造,彩色 像高165.2  当館像

www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?または 東博HP>>TOP >> コレクション >> 名品ギャラリーで 作品・文化財の名称欄に不動明王とインプットして検索すると 出ました表中の青字の不動明王立像をクリックしますと 画像が御覧になれます。
(2011/08/21まで本館11室にて展示中 )


この像は不動十九観様の形式になる不動明王像ですが,表情や体つきに見られます おっとりした諧謔味のある作風にはまだ型にはまらないおおらかな趣が感じられます。桧材の割矧ぎ造り。光背に「南□西来寺」と読める墨書がありますが,この寺については不明です。

くるくる巻きの頭髪に左に垂らす辮髪、左目が僻目に、左右乱食いの牙と なじみの深い十九観様の不動です。学芸委員は先立ち、真言の東寺講堂の大師様の古様を説明し、次いで、後の時代に天台宗で十九感様の出現があったを言うも、その主旨の「経典に忠実であるべき、経典に書いてあるような不動尊にすべき・・・」は語られませんでした。不動像の様式について説明しますと、先に真言、と天台の宗派の相違で大師様、十九観様の相違を見ていたようですが、互いに宗派を越えての影響は在ったようで、次第に十九観様が多く造られて来るという、時代の様式と言った感も有ります。宗派、時代にその様式は重層を呈し、簡単ではありません。また天台系の三井寺派に於いては円珍が感得した像を現した黄不動と呼ばれる筋肉質の異形の不動像が出てきます。

学芸員のされた話に戻ります。不動の容姿については、肥満の卑しい姿語られませんでしたが、教令輪身(明王)の必要性を平易な説明でしていました。不動の容姿、身分的衣装の説明、頂蓮(ちょうれん・花の髪飾り)、目に見えることが判りやすいと考えて、莎髻(しゃけい=莎というカヤツリグサ科の一年草で髪を括る)といった事などが説明されていました。

火炎に迦楼羅の潜む、上部が少しだけ屈む板状の光背に古様を感じ増したので、聞きましたら、「かなり古いが、像造時までには遡らないだろう」との見解でありました。


まずい!何時野間にか、部外者の私が一番質問をしている・・・




広目天立像   平安時代・9世紀  福島・勝常寺
(画像はありません)

福島は会津の古刹 勝常寺といえば、東北唯一の国宝仏(薬師三尊)が思いだされる。これはそこの四天王、その内一体の広目天です。邪鬼まで欅の一材から造り,内刳りも施さない。脚には干割れが見えるが、他には見えない修理が上手なのか、干割れが無かったのかはここからは不明です。欅材の欠け易さが甲冑の縁取りに見えます。

量感に平安初期の特色を示じますが、用材や荒々し風貌や躯体に地方の様式が感じられます。



阿弥陀如来坐像   平安時代・12世紀  当館所蔵
(映像はありません)

来迎印を結ぶ阿弥陀如来坐像、浄土教の隆盛期のこの頃に多く作られました。割りと小型の像でして、そこにそこそこの貴人が個人的に多く像立したそれかともとも忍ばれます。テーブルクロス状の裳掛けの宣字座の古式を取とりますが、薄い胸の躯体、穏やかな表情,そして薄く彫られた衣襞と洗練された典型の定朝様であります。阿弥陀というと、とかく九品印を口にしがちですが、さすがこの学芸員は定印・説法印・来迎印と見るべきと正論を説明されていた。


【続く】