孤思庵の仏像ブログ

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2回目 於東博 仏像観賞勉強会【3】

2011年07月12日11:10
 
学芸員と受講の担当ボランティアさん10名ほどは次コーナーに進みます。勿論、私たちも付いて行きました。
ここからは木造の仏・菩薩・明王・天部の展示です。最後の文殊菩薩騎獅像群を除き、等身大以上の大きなものになります。ガラスケースはもう無いです。

最初は秋篠寺の十一面観音からです。この像は永らく秋篠寺より当博物館に寄託されているので、過去に何度かか見ているのかもしれません。十一面観音は我が国の仏像中で最もその躯体数が多い尊格と思いますが、どうでしょうか?だから、良くごっちゃになりやすいのです。

過去、何回か観ているとしても、今回、初めてその素晴らしさを発見するに至りました。それはその大腿部の衣襞の写実です。少し踏み出した足の存在を見事に写実なのです。本当に写真が無いのが残念です。

そこまでは自分で感じ取りましたが、その後に学芸員の解説に、然り、「やられた」の感でした。

彼はその襞を天平期の乾漆技法の表現が踏襲と見たのです。この像は代壇像の技法と共に乾漆技法(モデリング)の表現を掘り出していると言うのです。全くの名解説で、納得でした。唐招提寺、大安寺の天平末の代檀像の後に時代する像なので、キャプションには桧一木造りと在りましたが、檀像系の流れを引くので、キャプションに桧とあるが正しいですかと質問したら、彼にも疑念が湧いたらしく「調べて、間違いでしたら訂正します」との事。

最近に桧と言われてきた仏像の多くが榧(かや)材に変更されている。研究が進み顕微鏡検査で判定が付くらしいのですが、しかし文化財からの検査サンプル獲得には苦労らしい。果たしてこの像が検証されているのだろうか?次回の訪問の時にキャプションの「桧」表示に変化が見られるかが楽しみです。(余談ですが、過日の「東大寺大仏展」で、法華堂不空羂索観音の冠が放映されてまして、阿弥陀化仏の法衣着衣向きから、動画の素の写真が裏焼きと気付き、次回の訪問時にチェックしたら、それが訂正されていた事が在りまた。)


個々像の記事をまた取り上げます。



◎重文 十一面観音菩薩立像 平安時代・9世紀  奈良・秋篠寺

東博HPの名品ギャラリーでは出てきません、ネット検索 十一面観音  秋篠寺 で画像検索すると4番目に東京国立博物館・・・で出てきます。6月22日(水)9時以降、東博HP「e国宝」「研究データベース」のサービスで見られるかもしれませんが。???)

面貌は造作が下のほうに集まっていて、造作はまた中心に寄り集まった感がり、独特の風貌ですが、このような顔付は、この時代の他の仏像の顔にも思い当たるものが幾つかありましたように記憶します。

8世紀の唐招提寺の旧講堂木彫仏群の時代の、その直後に位置する一木造りでして、弘仁貞観期の前の興味深い像です。背面では条帛と天衣がX状に交差します様などに檀像系に通ずるものがあります。



◎重文 阿弥陀如来坐像 平安時代・久安3年(1147) 
東京・文化庁保有
(画像はありません)

像内背面の墨書銘に、久安3年に源の貞包らが消息延命と雨を願った内容の像造銘記があります。この像と三尊形式で脇侍で在ったのは、珍しく地蔵菩薩立像で、それが今、根津美術館にあります。そちらにも貞包が発願の墨書が在り、一具と知れます。ちなみにいま一つの行方が知れない方の脇侍は観音です。、地蔵の入った珍しい阿弥陀三尊と成っていまいたのは、雨乞いの願もあるのでとの事で、特殊な三尊構成になったらしいのですが、それを調べてみましたが、雨乞いに阿弥陀をは散見するもその、地蔵を含む三尊構成の件は私には、至れませんでした。

中尊でした、この阿弥陀像は藤原期のそれの特徴を有するものの、特段の見所は感じられず、墨書の像造年、願主名、発願理由に価値があるのでありましょう。
ただこの像は左手が欠失してまして、その手の取り付け穴が丸くなく扁平でした。それを奇異を感じましたので、完具の類似像と見比べ、考察いたしましたら、結跏趺坐の露出の右足の裏片が、欠損していると気付き、それを補えば、欠失の手が取り付くと合点がいきまた。この頃はこのように欠損、補修の具合などに興味を持つように成って来ていいます。

【続く】