孤思庵の仏像ブログ

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2回目 於東博 仏像観賞勉強会【2】

2011年07月12日11:07
 
【続き】
10時集合で、先ずは展示前のキャプションボードとボランティアガイド作成の陳列作品一覧の資料(普通の観覧者は知らないと思いますが、本館受付にて申し出ると11号室展示の個々の解説資料、1枚裏表がもらえるんです。)を参考に観覧しました。その後11時より「参集の11号(彫刻)室担当のボランティアガイド対象にに学芸委員による展示品の解説教育」があり、勝手に合流して、後ろで聞き耳を立てました。ボランティアガイドさん達はこのように説明を受け、後日は毎日を交替でこの11号室の前に立ち、来客の質問に答えています。また特定予告日に数人のタッグでボランティアガイドによる11号(彫刻)室 展示品説明なる企画もを行なわれています 。前回の1回目の於いて東博仏像観賞強会には、それを利用させて貰い皆で拝聴しました。

展示品の解説に戻ます。


◎重文  十一面観音菩薩坐像 1躯
鎌倉時代・13世紀    千葉・小松寺蔵
(この分は画像はありません)

四本の手が在る珍しい十一面観音坐像です。銅製の像で頭から足まで、一度で鋳造されています。但し、頭上の化仏面と宝髻、腕から先は別々に鋳て 「ほぞ」で組み付けられています。特に肩の所にはつきりと蟻ほぞが見えます。

千葉県南房総市千倉町にある小松寺(こまつじ)の背後の山上にあった白山神社本地仏本地垂迹説により、神の本体であるとされる仏・菩薩)として伝えられました。




十一面観音菩薩立像 1躯 銅造,鍍金 像高30.9 

飛鳥時代・7世紀 
当館所蔵(和歌山県那智勝浦町那智山経塚出土)

東京国立博物館公式HP>>TOP >> コレクション >> 名品ギャラリー >> 彫刻>>金属製と進んで頂きますと表示リストの終わりから2番目、十一面観音菩薩立像をクリックにて頂きますと、映像が御覧に成れます。

那智山経塚から出土副納品して出土した小金銅仏です。法隆寺の金堂壁画(焼失)に在った壁画十一面観音菩薩立と並び、我が国における最古の十一面観音像です。頭上の如来坐像化仏や他の化仏面はその後の形式に定まる前で、正面向き5面と後頭部に後ろ向きの5面が付けられています。小像の為か、時代の未形式の為か通常の憤怒面、菩薩面等の表情は彫り分けられていません。後の時代の化仏面ように彫分けられる形式以前と思われます。




十一面観音菩薩坐像   鎌倉時代・13世紀 

当館所蔵(石川県鶴来町白山比咩神社出土)

(この分は画像はありません)

後頭部と背面は作らずに四角い大きな穴が開き放ちに成っている。出土した場所が神社と合わせ、神仏混交の形式の一つ、本来は鏡の表面に取り付けられた御正体(掛け仏)であったと思われる。化仏像と頭上面5面を亡失、両腕は別に鋳造取り付ける構造で、造形、鋳造技術共に優れている。





★此処までがすべて金銅仏、11号室にしては多数の金銅仏は珍しいことです。解説の学芸員さんは、金銅仏に詳しい方のようです。ボランティアに、金銅仏古仏と鎌倉期に色が違いますとの説明説明がなされた。確かに鎌倉期の方が緑ぽく胴の錆色である。説明によると飛鳥・白鳳の金銅仏は成分の九割が銅だそうで、鎌倉期は銅七割に、その他の亜鉛等の他金属が増えて銅比率が下がっているのが、表面の色違いの由縁だそうです。そういえば鎌倉期、大仏造立の時に、銅が不足で、宋から銅地金の代わりに宋銭が大量に入ってきて、鎌倉の大仏の銅には宋銭がだいぶ鋳直されたと聞いたことが有ります。

当方は部外者なれど、あつかましく質問をした。「金銅仏についてなのですが・・・兵庫の鶴林寺の金銅聖観音立像は、中子無しでの無垢像と聞いたのですが・・・?」

学芸員答えて曰く、「その像は80数センチの大きさがあるので、無垢のはずがありません!」(これは17日の日記【続】です 観仏像紀 鶴林寺 聖観音立像のテーマです。その後思わぬ事が20日の今日でてきました。しかし此処では触れず、後のお楽しみに・・・・)私も宋だと思います。今後のテーマ法隆寺宝物館の献納仏の一、摩耶夫人及び天人像が、無垢だと知りますが、工程敵に、この程度の小品に無垢の像の必然があると考えます。


【続く】