孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

二泊三日の南山城 他の観仏像の旅

 2011年06月12日14:53
帰宅で気が緩んだ所為か、旅先で引いた風邪が治らない、何人かの方には観仏像の旅に行くと公言しているのに、なかなか日記を書く気がしない。

ま!無理をせず要点だけの、短い文でも書いてみる。最初に、もう何回もこのメンバーで観仏像ツアーはしている事や、同行の中のまだ観仏歴の浅めのメンバーには、先回までに、ある程度の著明寺院、傑作仏像は観もらっているのは特筆しておこう・・・・。為に、今回の旅程は同行のある方にお任せでした。

ずぼらな私、日程表は作って貰ったが 、すでに何処かに・・流石の私も各寺のパンフはまだ捨てていないので寺院名だけは判りそう、手当たりに言うと、浄土寺鶴林寺、大智時、神童寺、禅定寺、現光寺、安産寺、岩船寺海住山寺、寿宝寺、蟹満寺、室生寺、のパンフレットがある。もしかしたらどこぞは洩れているかも、最後に奈良博物館に寄ったのは覚えている。3日でこれだけ行けば、行けたほうであろう!レンタカーは有効

もはや順を覚えてるわけもない、記憶に残る事から書こう。

浄土寺は、530センチの巨像、丈六像以上を大仏というが、丈六像はままに在るが、殆んど坐像、立像は少ない、そこそこ時代の在る大仏立像は長谷寺戒光寺が思い出されるが、こちら浄土寺は三尊で迫力満点、慶派の勉強で、施無畏・与願印が逆手など勉強が思い出された。建築 浄土堂も、挿肘木などに大仏様を見る、東大寺の重源の所縁の寺、垂木の朱が、少し斜めから見ると天井全部が朱色に見ゆ。夕日が射さなくも、開けられた蔀戸から入る日が、床に反射し、天井に、その赤い垂木を映え照らす。この時間では直射が邪魔するを貰ったパンフで遮るとその様子が冴える。少し誤会も在ったかも知れぬ。訪ねて、初めて知れる事かある。

岩船寺、蟹満寺も坐像とはいえ、丈六で迫力があった。思えば、お寺に訪ねるは、丈六に意義が有るかもだと気付く、丈六物は博物館、展覧会に持ち出せない、だから、こちらから訪れるより仕方ない! 著明仏像でも、小さければ、博物館、展覧会に来る!
岩船寺、蟹満寺は共に40年ぶりの対面である。大きいことは素晴らしい・・・蟹満寺屈指の白鳳古仏、お堂は真新しい、古仏と真新しいお堂のコントラストも一興の感がした。

40年ぶりもあれば、2年ぶりの寺もあった。他のメンバーできたことがあった禅定寺である。著明像は無いが、重文が6躯揃う、本尊は十一面観音、おそらく仏像の内で最も数の多のは十一面観音尊像であろう。見慣れた藤原風貌であるが、ここも286センチと他像に比して大きいのが魅力。
  

 私の知る、写真映りの良い像、実物の方が良い像は幾つか有る。今回、写真では認められずに、実物で美しいと絶賛を浴びたのは寿宝寺の十一面千手千眼観音立像であった。通常千手観音と言っても、その像の御手は42本、実際に千本近くの手を持つ像で著明なのは唐招提寺葛井寺、とこの寿宝寺。これで皆拝観した事に成る。ここの本尊は月明(つきあかり)で拝する方が美しいと言われ古来より多く、貴人連は夜参りされたとの事、案内の若住職夫人が扉を閉めて、日光を遮り、天井の蛍光灯の青白い光源で見せる。閉戸で暗闇の次の為、その後の蛍光灯でも明るく感じられ、月明かりのほのかで見る趣を演出する。(一寸、宝菩提院願徳寺の演出似る)も一度昼の光りではと言い、今度は白熱球光源で明るく照らす。セオリーなのであろう。皆の口から、ほーうッ!と声が洩れる。流石に顕わに見るより、ほのかの明かりで見る方がと、私も思ってしまった。 が、しかし後で反芻、検証しなおしてみると、光色、光量の違いの所為では無しに、天井の蛍光灯の位置と、白熱球のビームライトの位置の関係なのである。ビームライトはとても低い位置から照らしていた。能面の照りと陰り、いやもっと判りやすき言えば、懐中電灯で、下から照らすとと異様な顔にと言った方のが判るであろう。
嘘ならず、方便と言っておこう、パンフレットの写真は鮮明だが美人でない、きっと上からの照明に栄えるお顔なのである。

奈良博物館でも、元興寺薬師立像などの多くの著明仏像を見る事が出来た。間近で照明も充分、観賞には博物館の方が・・・、しかし気が付いた、丈六像は居ない。

岩船寺、蟹満寺でも言ったが、丈六仏に会うには、そこへ出かけなくては成らぬ。寺院拝観の妙は巨大像に有りと・・・・

そして本来仏像のいるべき所は・・・と気付いた。

も一つ、生きている仏像を安産寺のお地蔵さんに見た。ここは住職無住で、村の世話役がお守りしていた。熱心な、ご高齢が輪袈裟をして、説明してくれた。代々、村で大切にしてきたこと、子供の頃から守って頂いて来ていると・・・正直1時間以上の拝観前の説明に食傷の気も出たが、信仰、信心とはこういう物かと皆感じてか、切り上げに掛かる者は居ず、たまたまあった他の来客に機を得て、ようやく拝観に入れましたっけ・・・・どんな訳でか地域に伝わった地蔵様、守られてきた地蔵様、光背との関係で、旧所在は室生寺、金堂と知れたのは昭和の事・・・、今では知れぬご縁で地蔵様を迎え、守られ守ってきた事が尊く思える。