孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

仏像趣味仲間と勉強会をしました。7時間

2011年05月31日16:49
 
・・・、今仲間達は面白くて仕方が無い状況です。「私には到底ついて行けません。」コメントを頂き、気付きました。付いて来て貰えてる仲間に本当に感謝です。
 
もう6回目ほどになるでしょうか、不定期の同好会、有志分科勉強会を一昨の日曜に行いました。皆さんツワモノ揃いにて、朝9:30開始、夕刻5時まで、昼食中等の少々の雑談を除き、ほとんど休み無しでした。

ここのところ前回からの内容は、小生が受講の大学公開講座仏教美術Ⅲ」と市民教養講座「仏像の見方」それに大学拡張講座「東洋思想」その他受講講座の内容紹介をテーマにしている。今回はメンバー 内一人の受講の生涯学習講座「仏教美術の世界」と大学文化講座と前日観賞の声明公演も加わった。

先ずは講座「仏像の見方」との内容紹介で今回は仏教公伝時の南北朝時代の中国と朝鮮半島三国の情勢、から勉強した。、北朝は止利様式のルーツ北魏、一方の追いやられ南下の漢民族南朝(六国)や、南朝と半島各国の柵という従属関係、、宋と百済の従属関係の当初に同じ手法の仏教伝播があるを知り、我国への仏教公伝が、新羅の勢力が脅威の百済が日本に同盟関係を求める手段という意味合いの在ったを理解した。

仏教公伝の経緯と曽我氏、司馬達等・後裔の鞍作止利までの事績。日本仏像黎明期の止利様式と北魏様式の関係、それに続く六朝の影響の考えられる飛鳥仏像などを勉強した。

講座「仏教美術の世界」から日本の多重塔にインドの仏塔の様式の名残り、日本伽藍配置様式の推移、堂内装飾品などを勉強した。

講座「仏教美術Ⅲ」からは、天平の捻塑像に続く、奈良時代後半の唐招提寺旧講堂木彫群の内、伝薬師如来と伝増長天には、8世紀頃の中唐石像の衣文線に良く似た断面の丸い鎬線が見られ、異国風である。

また伝獅子吼菩薩、十一面観音立像には、鑑真に追従来朝の雕檀と呼ばれた代檀像仏師作を彷彿させる。

伝衆宝王菩薩からは日本的な衣文に近づくのが感じられ、伝獅子吼菩薩の衣文には日本の仏師の手と感じられるようになり、なんと上腕付近の衣文には、翻波式の走りが見えるではないか。

このように唐招提寺旧講堂の代檀像を詳細に観察してゆくと、今まで一括りに思えていたものが、そこに時間序列が見えてきて、異国風から平安初期の一木つくりに繋がる系譜が見えて来たではないか!

続いて、平安初期、一木造りの代表作の「神護寺薬師如来」の観察、神護寺は、元々この愛宕山に在った高尾山寺に、和気氏の氏寺であった神願寺が別地から移り来て併合されて出来た寺と知った。この神願寺の神願とはあの宇佐八幡の信託に由来と知ると興味は深かった。

そしてこの薬師立像は、神願寺からここへ移された事が『弘仁資材帳』とその引用が『神護寺略記』にあり、元は三尊像であったが知れる。

以前はこの像の厳しさは、和気清麻呂側の道鏡からの呪詛反射の意味関係の、厳しさや怖さと認識していたが、この講座で、神護寺の場所が山城と丹波の国境というこの場所当たあたり、「境」という特別な認識(異界の重なる畏れのある域であり、)畏れと蔑視の入り混じったものの排斥の出口でもあり、また災厄をもたらす「けがれ」の進入を防ぐ防御線と意識され、重要な祭祀の場であった。ここはまた、神祇の厄病封じ「疫神祭」が行われた(この疫が薬師へと繋がる)ある意味「穢れ」の地であり、仏道の道場として相応しくない為に「類聚国史」などに神願寺と高雄寺の寺地の交換をしたとあるが、その意味が判然としない。自己の罪を仏に懺悔し、祈願成就しようとする「薬師悔過」も「境」意識と連動するもので、この二者が厄病を封じ,境の内に秩序を保つという同じ目的を持つ為に、8世紀中頃の薬師悔過では、併せ国境での疫神祭を行うようにと、政府が国司に指示している。悔過・疫神そのような事で、この薬師は厳しい容姿をすると定義付けもあった。

薬師立像、その印象は前述の厳しい顔、そして鎬が立つ鋭い彫りかと、そして詳細に観てゆくと、非常にアンバランスの多い像とわかる。先ずは正面下半身、側部衣文襞の写実と大腿周辺のデフォルメの混在、背面の左三分の一の複雑の衣皺に右側三分の二はほんの僅かの衣皺は見られるも殆んど平滑な衣で皺は無いのです。側面観では右の側面のU字繰り返し文襞に対し、左側面は縦に流れる平行線の衣皺と成っている、この徹底した相違の様子などは驚嘆であり、指摘を受けて初めて気付き驚く!講義中の指摘内容の紹介と自身の驚きをお話したら、皆も同感で驚いていた。この方向で仏像鑑賞に賛同、感嘆の面々、ここ暫くの研鑽ゆえの私を含めた成長を実感し、お互い悦喜した。

続いて、東洋思想講座のーインド哲学のエッセンスを探るー古代インドの輪廻思想の講義内容を披露したが、ここでは字数制限の為割愛をする。

最後に、公演途中の散華供養で撒き散らされ、それを拾った蓮の形を模った絵札紙をお配りし、2時間に亘る声明(弘法大師 御影供物)公演の内容,様子をお話した。

終了の5時まで誰も飽きなかった。