孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

12月7日 「仏像愛好の集」 プログラム

12月7日 仏像愛好の集

午前 「仏像鑑賞会」 東博11号室 他 10:00~12:00

只今 彫刻 11室 では、
室生寺平安時代前期の優品と東博の平安後期の所蔵品および寄託品を対比させることにより、平安時代の木彫像の違いを紹介します。また、室生寺鎌倉時代につくられた十二神将像(巳神・酉神)と、この巳神と同じしぐさをする東博鎌倉時代の優品、浄瑠璃寺伝来十二神将像を展示し、室生寺像の造形的特徴を浮き彫りします。
との展示趣旨で陳列されてます。その趣旨で鑑賞したく思います。 

午後  「仏像勉強会」 13:00~17:00

台東区生涯学習センター  学習館3F 306会議室

・「ミーテイング」 この「集」を 如何にしたいですか? 
            ※(ご準備され 発言ください)

・「ディスカッション Ⅰ」募集 「仏像質問箱」 仏像に関する 疑問・質問
            ※(ご準備され 発言ください)
 

・「ディスカッション Ⅱ」募集・「仏像が好きな訳」「私の好きな仏像」
 ※ スマホ インターネットとプロジェクター を使って 仏像画像を投影し、
 閲覧しながらトークをしてください!

17日前につぶやきでお願いしてあります!
仏像好き 孤思庵

次回12月7日(土)の定例会では、今後の「仏像愛好の集」方針模索の為、 なんで仏像が好き、 仏像の何が好き、 どんな仏像が好き、何で好き, どんな仏像趣味がしたい、 等々のディスカッションをしたく提案します。 是非に御協力お願いします。 


・「個人発表」募集 【活動報告、 展覧会 寺院訪問 読書 等なんでもOK】
 ※ 当日募集受付(ご準備 発表ください)

・「MMさん個人発表」希望
 20時間前つぶやき
M Mです
12/7の集いで発表を希望します。テーマは2件、希望時間は90分。
テーマ1:最近の展覧会等を見て考えたこと、感じたこと(長谷寺式十一面観音、天神像、聖徳太子孝養像、興福寺南円堂不空羂索観音など)45分
テーマ2:仏像の眼について(玉眼、ガラス玉などの構造、意味 他)45分

 

Tak)11月29日のご報告

Takさんの報告11月29日分 投稿代行します。


東京芸大の年末から来春の行事予定案内:
1.順天堂大学東京藝術大学合同・公開シンポジウム「医療と芸術の融合をめざして」芸術は医療になにができるのか?
2019年12月8日(日) 13:00〜17:00 お茶の水順天堂大学・A棟・講堂(無料、要予約)
・司会:西川百合子(順天堂大学特任教授)
・挨拶:澤和樹(東京芸大学長)、小川秀興(順天堂大学理事長)
・基調講演:「生命はリズムだー生命の超高精細画像から—」佐藤信紘(順天堂大学理事・名誉教授)
・演奏:「津軽「じょんがら節ほか」山下靖喬(津軽三味線奏者)
・座談会:「かたちとこころー心身の奏(かなで)—」
  司会・藪内佐斗司(東京芸大・副学長・教授)
  パネラー・宮野武(順天堂大学理事、練馬病院名誉院長)、かづきれいこ(顔と心と体研究会・理事長)、ザイレ暁映(興福寺・僧侶)、市川右若(歌舞伎役者)
・事例報告:「医療と芸術の関わりを考える」
  司会・平沢恵理(順天堂大学教授)、佐野靖(東京芸大教授)
  発表・船越理恵(東京芸大・助手)、浅妻和樹(順天堂大学医学部5年、順天堂交響楽団楽員)
・総括:佐藤信紘(順天堂大学名誉教授)

2「東京藝術大学「大学院美術研究科 博士審査展」:
 2019年12月9日(月)〜12月18日(水) 10:00〜17:00 東京藝術大学大学美術館B2F展示室2(入館料・無料、期間中無休)
・「東大寺法華堂執金剛神立像の模刻を通した奈良時代塑像の構造・技法研究」重松優志(大学院博士後期課程専攻)
2019年12月16日「月」 11:00〜12:00 「公開審査プログラム」 場所:同上

3.「第68回 東京芸大卒業・修了作品展」:
 2020年1月28日(火)〜2月2日(日) 9:30〜17:30 東京藝術大学大学美術館・陳列館(入館料・無料、期間中無休)
・模刻「僧形八幡神坐像」(ボストン美術館蔵)小林百代(修士2年)
・模刻「奈良・聖林寺 十一面観音菩薩立像」朱若麟(修士2年)
・模刻「京都・平等院鳳凰堂 雲中供養菩薩像(南20号)」中村美緒(修士2年)
*その他詳細は未定。

4.「研究報告発表展:
2020年5月22日(金)〜5月26日(火)(予定)東京芸術大学大学美術館・陳列館 =詳細別途
以下はリーフレット案内紙面による:
 室生寺十一面観音菩薩立像模刻研究、奈良県3D計測による仏像データ保存活用事業、個人蔵釈迦如来坐像修復研究、楽法寺金剛力士像 阿形像修復研究、円成寺木造十一面観音菩薩立像修復研究、個人蔵大随求菩薩及び両脇侍修復研究、勝専寺千手観音菩薩立像修復研究、善光寺世尊院不動明王立像修復研究
 模刻・東大寺法華堂執金剛神立像、アメリボストン美術館蔵 僧形八幡神坐像、聖林寺十一面観音菩薩立像、平等院鳳凰堂 雲中供養菩薩像(南20号)

個々の仏像を考える前段階に、俯瞰して 仏像なるを 考えてみました

個々の仏像を考える前段階に、俯瞰して 仏像なるを考えてみました。

某仏師の曰く、個人が仏像を鑑賞する場合は、本人が気に入ることが最優先となります。しかし寺院の安置する仏像の場合は、信仰の対象であり、それは大勢の人に共感してもらえる造形であること。と同時にこと。その仏像が100年、500年先まで残ることを考えます。造仏の依頼は寺院からです。 仏師は、その造仏の具現に、木彫作家とは違った 思いなのだと想像します。芸術分野の木彫作品は、オリジナリティが評価されますが、仏像では、、誰にでも,何時までもの普遍の、不偏性の高い 仏像をと 心がけるのでは? 仏像は法身の仏のよすがであり、その奥に真理そのものとしての仏の本体、色も形もない真実そのもの仏を感じるための 造形が求められる気がします。(以上 某仏師のブログを参考に 文章しました)

仏像は、芸術作品とは一線を画し、仏師は自分を出さず、祈りを捧げる個々の人の心を動かす最大公約数となるような造形が理想かもしれません。仏像彫刻を考える時は、単に様式 造形美だけでは なく仏像制作の目的や役割も考慮してみると仏像の見方も変わり、のこの点を意識すると,よい仏像の判断基準が変わってくるかもです。 今まで見えなかったものが見えてくるかもです。

孤思庵は、少し前は、神護寺薬師如来立像がお気に入りでした。見据えるような鋭いまなざし、太い鼻筋と肉付きよい小鼻、思い切って突き出しへの字に引き締めた唇。拝するものに畏怖の念を起こさせるこのような強烈な異相の迫力に憧れました。ところがある時、図像文献勉強会の先先生の余談で、仏像の最高峰は、藤原仏だと思う」との説に接して、評価の軌道がの変わってしまいました。考えますに 藤原期の如来像は、神護寺薬師如来立像の様に個性の異相ではなく、端正で穏やかです。衣皺も穏やかです。その目は半眼で、のどこを見ているか その視線がはっきりしません! されど それだからこそ それで、 法身の ほとけを 感じ、心が静まり 穏やかになるのではないでしょうか? 博物館・美術館での評価とは別ですが、寺院で手を合わす対象、真理そのものとしての仏の本体、色も形もない真実そのもの法身の仏を思うツールとして、ふさわしいのではと思うこの頃なのです。 「仏像は見るものではない、拝むもの」とのお寺の方から聞きました。その言い分 その立場に 一度 立ち返るも 良いかもです、今まで見えなかったものが 見えるかもです。仏像を見るのではなく、仏像に逢って、ざわつく心を鎮め「定心」なるを得てみましょうか?!

Tak)2019年11月18日の報告

●木津川流域の寺院を巡拝してきました:

観光キャンペーン:  

http://www.0774.or.jp/pdf/2019autumn%20hihou-hibutsu.pdf

木津川流域の地域の寺院を2日間かけて6ヶ寺拝観しましたが、2~3ヶ寺の報告に止め
ます。他の数ヶ寺は省略。

・旧燈明寺:

「加茂駅」で降車をすると、私と同じようなオジサンや夫婦連れ数組が眼につきましたが、早朝の眩しい陽射しを受けて閑散とした駅構内や東口の駅前ロータリー広場を過ぎてのんびり歩を運ぶのが気持ちよかったです。歩いているのは私一人で、先程の人たちはどちらへ行かれたのか? 歩きなれたせいせいとした住宅地を通り、燈明寺の鎮守社である「御陵神社」の鳥居を過ぎて堤上へ上がると展望が開ける。そのまま直進し階段を上ると正面に御陵神社の赤い社殿があらわれ、狭い敷地ながら厳かな気
分になれます。社殿奥向かって右手傾斜地には旧燈明寺・三重塔址が残ります。塔は1914年(大正3年)に横浜・本牧三渓園」に移築され、その後も旧燈明寺・本堂も1948年(昭和23年)の暴風雨で大破した後に解体・保存されていたが1982年(昭和57年)に同じく三渓園に移送・復元されたものです。御陵神社社殿の向かって左手に柵に仕切られた敷地内にコンクリート造りの収蔵庫があり、ボランティアの方が数人で受付準備をしていました。

「燈明寺」は奈良時代行基菩薩によって開山された(江戸時代の記録)とか、平安時代・863年(貞観5年)に弘法大師弟子の「真暁」が開基(江戸時代前期の編纂の東明寺縁起による)など諸説があるようです。特に寺院が荒廃した江戸時代には藩主「藤堂高次」の支援により再興に至っているそうです。廃寺後は、京都の「川合京都仏教美術財団」が管理されています。

収蔵庫内には、「千手観音菩薩立像」、「十一面観音菩薩立像」、「不空羂索観音菩薩立像」、「聖観音菩薩立像」、「馬頭観音菩薩立像」の5躯が正面奥に一列に並んで安置されています。これらはいずれも「六観音」に含まれるものですが、一見して構造や着衣の表現、像高などかなりの違いが認められるのでもともと一緒にまとめて制作されたものではないようで、何らかの事情により集められたもので1300年代を中心にいずれも鎌倉時代後半に制作、集められたものと考えられます。各々の仏様はかなり出来の良い像態のまとまった姿が感じられ、捨てがたい趣を醸しています。他には梵鐘(1688年・貞享3年)、十三重石塔、などが僅かに残っています。

因みに、私が数年前にこの場所で購入した燈明寺に関する歴史や古文化財などを記した小冊子を持参しましたが、男性ボランティアも抱えていたバインダーの中に同じ小冊子を持っていました。以前は堂内の隅っこでリーフレットと並べて販売していたものですが、小冊子は既に売り切れてしまい、財団にも在庫が無いそうです。私は貴重な小冊子を持っているのだということが分かりました。大事にしましょう。



・現光寺:

旧燈明寺を出て堤防を歩くこと5分程度で民家の間に隠れるように佇む朽ちた本堂とその前にコンクリート造りの収蔵庫があるだけの寺域で、すぐ近くに僅かな墓石や五輪塔、塔婆の立つ墓域があるだけです。それでもそこからの木津川を隔ててなだらかな優しい姿の山稜が綺麗に印象的な風景が望まれます。

今年の収蔵庫内では、まず「本尊・十一面観音菩薩坐像」(重文)は相変わらずの美しい端正なお顔と流れるような髻の筋目、スマートな均整のとれた体躯、頭上面から頭飾、瓔珞、持物まで黒漆の上から金箔を押した皆金色像です。そして女性ボランティアの説明の通り、像内は丁寧な内刳で鑿痕を丁寧にさらっているということは、制作当初は納入品のあった可能性があるということです。頭上面の1697年に胎内に修理文書が残っているものの、当時の納入品についての記録は無いそうです。両腕の自然な表現や右脚上側の組み方や脚部の肉体表現や着衣の自然な丁寧な彫法には、古典的な彫像技法を身につけた仏師の手になる仏さまだということが感じられます。このところ毎年この時期にお顔を拝しているが幾度拝しても心動かされる仏さまです。残念ながら蓮華台座、光背は江戸時代、修理時期の後補かと思われています。本像と地域の為政者などとの関係を確定するものはないようですが、時代的に鎌倉時代初期の南都焼き討ちに会った際の復興の立役者、解脱房貞慶、あるいは弟子の覚真による造像への直接・間接での可能性を強く考える研究者も多いという。女性説明員からは、
史料として所持していた本像の側面姿勢、背面腰部、頭部頭上面などのA4判の画像を見せて頂きました。大いに参考になりました。本当はその画像をコピーしてでも頂きたいほどでした。

今年は「大仏殿様四天王像」4躯は一緒に安置されていないものの、本尊向かって左側には「真敬法親王画像」1幅、「観音火坑変成池図」(江戸時代)1幅、「厨子入り清凉寺式釈迦如来立像」(江戸時代)が並び、本尊向かって右側には「厨子入り聖観音菩薩坐像(船形光背付)」(江戸時代)、「厨子入り地蔵菩薩坐像(円頭光背付)」(江戸時代)(像はともに50~60㎝程度か?)が並びます。



受付の男性ボランティアとの歓談の中で、現光寺奥の急坂を登った先の旧燈明寺の墓地のあるイシバ山麓に、江戸時代にこの地域の藩主の実力大名「藤堂高虎」の「供養碑」があると伺いました。加茂駅の北側に流れる「木津川」の「加茂浜」は河川物流の拠点でしたが、「大野浜」は築城の名手で徳川家による大阪城再建に中心的な役割を果たした藤堂高虎の指揮で切り出された巨石が木津川から運び出された場所で、今でも切り出されたものの、大阪へ運ばれずに大阪城築城に利用されずに残った巨石が「残念石」として幾つも残っているそうです。

また彼からは、対岸の「海住山寺」から「鳶が城跡」を経由して「神童寺」まで、標高300mほどの尾根道があるがかなり荒れているルートということを伺い、地図まで頂きました。次回の巡拝時には時間を作ってこのコースを辿ってみたいものと考えています。



・蟹満寺:

各停の電車に乗り「棚倉駅」で下車。無人駅でホームに降りたのは私一人、周囲には誰一人姿を見かけませんでした。お寺までの案内板も見当たらない道を地元の人々や通る自動車もなく、のんびりと歩くこと20分ぐらいで住宅地の中に蟹満寺が見えました。私のような者にはコミュニティバスは平日は運行が無く歩くしかありません。10年以上以前に私がお寺を拝観した際はやはり他のお寺から寄ってきたのだが、今回歩いた道順には覚えがありませんでした。お寺の周囲を撮影して廻り、真新しい山門を
くぐったところで同じく真新しい正面本堂前に黒色スーツ姿の男女2名がザックと書類ファイルを抱えて立っていました。一目でツーリズムの随行員と感じました。本堂入堂の前に屋根瓦の「蟹」の文様や本堂脇の外壁に掛る「蟹満寺扁額」を間近にしてカメラを向けていました。本堂横の寺務所で拝観料を支払い本堂内陣に入ると、3名の中年婦人に向かってスーツ姿の男性が本尊前の護摩壇付近で仏さまの解説をされていました。他には拝観客がおらずだったので、私も男性の解説を後ろで離れて拝聴させていただきました。5分程度で説明が終わったので、私はズウズウしくも気になった点をその講師に聞いてみました。彼は2~3点の些細な疑問にゆっくりと話しをしてくださいました。堂内に入って来られた男性随行員に講師のことを伺ったところ、クラブツーリズムの個別解説付きの拝観ツアーで講師は然るべき学校の先生ということで、ワゴンカーで1日数ヶ寺の巡拝だそうです。それでお寺に到着した際にお寺の裏側の駐車場に大型の自家用車が1台だけ駐車していたのが合点しました。

彼らが退出した後は私一人です。お寺のチラシによると本堂他は、2010年(平成22年)春に落慶供養が行われたそうで、なるほど真新しい建物のはずです。本堂内は本尊頭上の折り上げ格天井も白壁も簡素な造りで、本尊頭上の天蓋も簡素なもののようで、さして広くない堂内空間はお寺にしては真新しいが殺風景な感じです。荘厳も新しい華鬘(鳳凰2対)が天井から3か所下がり、幡が1対と寂しいくらいです。護摩壇奥に一段高くなった須弥壇が白壁に組み込まれており、中央に「本尊・釈迦如来坐像」(国宝)が安置され、向かって右側には「縁起本尊・聖観音菩薩坐像」(船形光背付き)を中心に右手に不動明王立像(火焔光背付き)、左手に地蔵菩薩立像(輪頭光背付き)が並びます。この3尊は近寄って拝することが出来ましたが江戸時代ごろの作と思しきものですが、結構きちんとした出来の良い仏さまのようでした。向かって左手には「厨子入り阿弥陀如来坐像」(船形光背、蓮華台座)を中心に右手に「弘法大師坐像」、左手に「興教大師坐像(中興の祖)」が並びます。本尊と向き合う形で、反対側の長押には寺号起因説話「蟹満寺縁起」を絵物語にした絵額が6枚掛って説明しています。私の今回の拝観は貸し切り状態で、私が本堂を退出するまでついぞ誰一人として拝観客が見えませんでした。

お寺の創建は7世紀後半の白鳳期にさかのぼり、境内周辺の発掘調査では背後の天神川を越えて広大な寺域を有していたことが判明し、その時に分かった創建時の金堂が平城京薬師寺金堂と同規模同構造の巨大な建物だったことが考えられるそうです。
そして現在の本堂と庫裡の地下に遺存しているということで「本尊・釈迦如来坐像」(国宝)は、数少ない初期丈六金銅仏の中にあって寺院の創建以来の旧仏にふさわしく、今も創建金堂跡の中心に鎮座していることになります。





●京都寺院を巡拝してきました:

今秋の京都寺院巡拝は週半ばの平日2日間で5ヶ寺を巡りましたが、とにかく市内は観光地だけでなくほぼ全域がラッシュ時の状態です。とにかく大きな荷物を引っ張りながら一心腐乱にスマホを見つめて周囲に気を配らないような観光客が集団でウロウロしているので普段はあまり京都市内は敬遠しているのですが、この時期はやむなく目指す寺院を目指さざるを得ません。それでも目指す寺院に着けばあまり拝観客が多くなく、彼らは短時間での滞在なので混雑はさして苦にならないものです。

ホテルを早めに出発し、目的の寺院にはまだ開扉の準備をしている最中に到着するという何時ものパターンです。特に印象に残った2ヶ寺の寺院の拝観について紹介し、他は省略することにします。



清浄華院

京都府立病院前バス停でバスを降りたのは私一人で、多くの乗客は下鴨神社などこの先の観光地に向かわれるようでした。私は勝手知ったる道筋をゆっくりとお目当ての寺院に向かい、途中2番目に寄る蘆山寺の門の前を通り過ぎて、まだ時間前に清浄華院の総門をくぐり、すぐ隣にある「勅使門」は帰りにくぐることとしました。それでも先に高齢のご夫婦が見えていて、伺うと地元の方だそうで毎年のように拝観に訪れているとのことでした。ちなみに私は2~3年前に拝観したことがあり今回は2回目の拝観となりました。

境内に入ると、まず「松林院」跡の場所は「仏教大学」の浄山学寮になっていますが、松林院跡の土壁の際に、短期間に請われて2度も守護職に就かせられた「京都守護職松平容保」(幕末最後の会津藩主)が幕末の一時期、「孝明天皇」に御所近くにいるように命じられてここに逗留したそうで、このことを示す石柱碑があり、お坊様に伺うと「山本覚馬」もこのお寺(旧松林院)に寄宿していたそうです。近くにいた当日の公開文化財の説明対応の同志社大学の学生に聞いたところ、誰も松平容保のことを知らなかったので、私はがっかりしてしまいました。

清浄華院」の名は、「浄土に咲く蓮の華のように清らかな修行が出来る場所」という願いがあるのだそうです。創建は貞観2年(860年)に清和天皇の勅願により天台宗の「慈覚大師円仁」が宮中に「禁裏内道場」としたのが始まりということです。
「円」(円教、天台)、「蜜」(密教)、「戒」(円頓戒)、「浄」(浄土教)の4つの学問を学ぶ「四宗兼学道場」であったそうです。

また、私のこの寺院での拝観の目玉は「是心堂」に安置されている「阿弥陀三尊像」(国宝、南宋時代、普悦筆、3幅1具)でしたが、まずは「泣不動縁起絵巻」などを順番に方丈内を巡って拝観して廻りました。

・「泣不動縁起絵巻」(重文、室町時代、宅間法眼筆):

「大殿」安置の「泣不動尊像」には「泣不動縁起」という縁起が伝わります。「三井寺」の「証空」や「安倍清明」に関する説話は多くの文学や絵画、芸能の題材にもなっており、「泣不動縁起絵巻」(清浄華院本)は鮮やかな色彩で古さを感じさせない絵巻物構成になっており、鎌倉時代に描かれたものが東博本、南北朝時代の制作物が逸翁美術館本、室町時代の絵巻物が奈良博本などとして現存しており、清浄華院本も室井町時代の作品として所持しているそうですが、今回は「狩野永納」による模写本(永納本)が展示されていますが、重文の宅間筆の絵巻は普段は京博に寄託されており非公開だそうです。



・「阿弥陀三尊像」(国宝、3幅1具、南宋時代、普悦筆): 

畳敷きの仏間が並んだ一隅に「是心堂」の扁額がある部屋を見つけて神妙な気持ちで襖の奥に入る。とにかくうす暗い部屋でお目当ての作例がすぐには何処に所在するのか探してしまうほどでした。入口すぐの右手に大きなガラスケースに収まった天井近くから掛けられた3幅の軸物で、すべてが全体にかなり濃い茶色の地色なので仏さまの姿がよく判らないほどでした。中央に本尊阿弥陀如来立像、左右に観音菩薩勢至菩薩を配するもので3幅がほぼ同じ大きさ、高さ約1.3m、幅約50㎝ほどの大きさの画像です。暗さに眼が慣れてくると、茶色く暗く見えていた各幅の上部には仏さまの背後の大きな「船形光背」が薄ぼんやりとおぼろげな形が描かれているのが判ってきました。会場内の暗さと画面の暗さが一緒になって余計判別が困難な状態でした。それでも3体の仏さまの像態は均整がとれた安らぎを感じる揺らめいて見えるような雰囲気で、過剰なほどの細部まで細い筆線は精緻でよくぞここまで細かく綺麗に描いたなと思わせるほどの、克明な描写は感服ものです。近くにいた説明者からは「中国南宋仏画の白眉ともされる作品」との説明があったが、暗い画面構成の中に「幽玄」とも
いえる周囲の空気感が感じられたのは、私一人であろうか? 本尊は頭部に環状の頭光背、両脇侍は薄い朱色の板状の円光背を背負い、宝冠上の化仏や多くの持物などの荘厳や身にまとう着衣の柔らかな質感もすべてが鮮やかな細線で描かれた仏さまは、むしろ画像全体が明るくなくて克明に明瞭に眼に入らないところが気分を落ち着かせ余計なことを考えさせないのかもしれません。本尊は例によって赤い衣をまとい、左腕を屈して胸前に挙げており、右肩衣から出た右腕はそのまま垂下しているのが僅か
に認められます。いわゆる「逆手の阿弥陀如来立像」で播磨・浄土寺の快慶作の彫像をはじめ、観想図に観られる中国・宋からの仏画に則っています。私の知る限りでは観無量寿経変相図阿弥陀三尊像や高麗仏画でしか拝観した事が無いのでやはりこれだけの大きな仏画は、圧倒され驚きです。

各幅の上部には「四明普悦筆」との記名があり、日宋貿易の拠点になった「浙江省寧波」(にんぽー)の旧名地「四明」(しめい)に居住していた「普悦」(ふえつ)という人物の描いた作例であるということです。普悦という画家の存在は詳しくは分からないものの、室町時代に著わされた「君代観左右帳記」(くんだいかんそうちょうき)には「元代、仏像」の項に「四明普悦」の記述があるということから、この仏画だろうということです。以前のことは不明なれど足利将軍家が「東山御物」として珍
蔵していた家宝の一つだったと考えられ、その後浄土宗鎮西派の総本山だった清浄華院に寄進されたものと考えられる逸品だそうです。日宋貿易上で日本に請来された中国仏教絵画の学術的レベルの高さが評価され2012年(H24年)に重文から国宝に昇格指定されました。なお本画像は通常は京博に寄託されており、寺院での公開はされていません。

私は自宅に帰って来てから本棚の「京都国立博物館寄託の名宝 美を守り、美を伝える」(京都国立博物館、2019年8月発行)の図録を広げたところ、同様のことが記されたページがありました。



・「勢至菩薩坐像」:

仏間の阿弥陀三尊像(四明普悦筆)の奥正面の壁面に設えた腰高の檀に「勢至菩薩坐像」(江戸時代、約60㎝像高、寄木造り、漆箔・截金、右脚上の結跏趺坐)、他に「向阿上人坐像」など数体の像アリ。勢至菩薩像は、非常に高くスマートな髻、天冠台は1条、頭飾、瓔珞は金属製で過多の観あり、天衣は腕釧の上から上腕の外側から内側へ廻り腰部に垂下し魚鱗型蓮華台座まで垂下している綺麗な造りで、天衣と条帛が背中側で交差している意匠は知恩院金戒光明寺くらいで認められるそうで貴重だ
そう。ちなみにお坊様は、この像は知恩院勢至菩薩坐像(重文)の模刻だという近年の研究がある、というようなお話しでした。また勢至菩薩像は独尊として扱われることは無いようですが、浄土宗では法然上人が勢至菩薩の化身だという信仰があり特別に祀られることがあるというお話しでした。



・「阿弥陀三尊像」:

「大方丈」の大きな仏堂には、奥まった内陣に本尊として三尊像が祀られています。
少し暗い内陣には天蓋は無く、背後の金地壁面が目立つ雰囲気で四天王像が何故か額に収まり天井鴨居の四隅に祀られています。この三尊像は阿弥陀堂の元本尊で、中尊の阿弥陀如来坐像は「恵心僧都源信」の作と伝えられ、典型的な「定朝様」と云える平安時代中期から後期の政策と考えられている僧です。マイメモによると、船形雲形渦巻状文様光背、魚鱗形蓮華台座、右脚上結跏趺坐、肉桂やや扁平、螺髪細かい、条帛襞平行線状、定印、衣文彫浅く髪際直線状、眼窩浅い、という感じの記録。

観音菩薩坐像」「勢至菩薩坐像」は、ともに「大和坐り」というスタイルで正座の姿勢で両脚を左右に広げたスタイルとなっています。両脚腿の間に掛る着衣の表現が綺麗に処理されており、バランスの良いスタイルです。蓮華台座後ろから立ち上がる円頭光背、浅いが流麗な並行線様の衣文、条帛は腹部で折り込みが観られる。髻は上部左右で巻状で筋目髪が綺麗。宝冠は金属製で大き目、化仏や水瓶が認められる。説明によると台座、光背、像漆箔は後補だそうです。



他に「木造弁財天坐像」(厨子入り、玉眼彩色、寄木造り、頭上鳥居形戴、像高約40㎝、江戸時代)なお持物として「琵琶」を持つのが弁才天像、「武具」を持つのが弁財天像との区別をしているそうです。 「木造金毘羅権現立像」(厨子入り、寄木造り、玉眼彩色、像高約50㎝、1817年銘記あり、斧を持つ武将神)、 「木造秋葉権現立像」(厨子入り、白狐に乗座し白蛇を身体に巻く、顔面にはくちばしを背中には翼を付ける)などなど。



私がいろいろとお寺のお坊様に伺った話しの中で思いがけないお話しがありました。
去る7月18日に「京都アニメーション第一スタジオ」が不届きな者によって放火され35名死亡、34名が負傷という痛ましい事件がありましたが、清浄華院では有志僧侶によって「僧侶として出来ることを」と考えて、事件発生後から七日ごとの法要のほか月命日などで数多くの法要を営んできたそうです。直近では9月5日に四十九日法要が営まれたそうです。私が仏様を拝観した本堂の畳敷きの大きな部屋に、天井から「當麻曼荼羅」を掲げてその前で寺院関係者や近所の住民などが「抜苦与楽 超生浄土」と供養を行なったそうです。京アニファンやアニメ作品に悩みを救われた参列者もいらしたそうで、お坊様はお寺として誰でもが集い献花をする場所が欲しいと思い、今後も継続的に節目節目に法要を行なうということでした。

私はあいにく、アニメーション作品を全くと言ってよいほど観たことが無いのでどの作品が「京都アニメ」の作品なのか分かりませんし、こんな惨事があったからと云ってもこれからも自分から進んでアニメを観ることは無いでしょうが、同じ京都ということで「お寺として出来ることをする」という気持ちには敬服しました。



さらにお坊様からは、集いの会の方のなかにはご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、愛知県津島市「西光寺」が所蔵する「水落地蔵菩薩立像」(重文)の体内から発見された印仏や泥仏や勧進記録文書と共に「一行一筆結縁経」(いちぎょういっぴつけちえんきょう)という写経2巻が収まっていたそうで、そのうち「無量義経」(むりょうぎきょう)の中に「栄西」(ようざい)や「信空」(しんくう)などの高僧や源空の弟子が記したおのおの一行ずつと署名に混じって「源空」(法然上人)本人の墨書があるのを、多摩美術大学青木淳教授が確認したということを教えていただきました。結縁経とは仏教に縁を結ぶ、寺院や仏像建立の協力を募る事などを目的に、お経を一行ずつ写経者が書き写して行の最後の一番下に自分の署名をするもので、書き終わったら次の行の経文を次の写経者に引き継ぐものだそうです。それで経文の各行の最下部には写経者の名前が横並びに書き連ねられているものです。

青木教授が関心を持ったきっかけは、「仏教芸術」342号の伊東史郎著「愛知・西光寺地蔵菩薩像(水落地蔵)の新知見」という論文史料だったそうで、その後得意の仏像胎内納入品の研究分野を活用して調査分析を行ない、署名の確認に至ったそうです。お坊様からは、青木教授が署名の信ぴょう性を確認するために最新技術のスキャナを駆使して、大阪「一心寺」(いっしんじ)蔵の「一行一筆結縁経」の「佛子源空」という署名と比較したことが字体の判断のもとになったということでした。いろいろと写真や古文書の写しなどや青木教授の仏像調査時のスナップ写真などを拝見することが出来ました。帰り際にお話しを伺った後でお坊様から浄土宗の定期発行の綺麗な編輯の新聞・広報紙を頂きましたが、その中に青木教授が見開きで経緯などを解説している記事が大きく掲載されていました。

なお新聞・広報紙の記事の最後に、水落地蔵菩薩立像(160㎝)は西光寺所蔵で拝観は要予約で、各種胎内納入品は「名古屋市博物館」に寄託中(非公開)だそうで一緒の場所にはない、との記載がありました。





●京博「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展に行ってきました:

展覧会案内:  https://www.kyohaku.go.jp/jp/special/index.html 

晴天の早朝、開館1時間前に京博に到着したものの、正門前から妙法院方面の歩道は長蛇の列で、20分程度の待ち時間だと聞かされました。並んだ場所が悪かったのか周囲は女性の多人数連れグループが多く、男性はチラホラでした。何処でも女性の拝観客が圧倒的に多くにぎやかです。正門で待たされて展覧会場入り口で待たされ、入場
したロビーで待たされしてもうクタビレてしまいました。歩いている分には足腰に負担がかからないのですが、長い時間の立ち姿勢は腰に悪いのでしょう。来慣れた京博ですが、これほどの大勢の拝観客の中での拝観は久しぶりで、最近には無かったことです。

ちなみに、奈良博や東博は「特別展」と「平常展示」とはっきり区別された展示方法で、特別展を拝観しない限りは平常展示の料金で行くことが出来ますが、京博は「特別展」と「平常展示」を明確に仕切ることが出来ない建物構造になっており、特別展を開催中は、「特別展を拝観しない」、「図書購入だけ、グッズ購入だけ」と云っても入館する際には特別展拝観料金のみの一本のみの料金です。男性職員にうかがったら、京博は新館建設後に階段配置などこの不具合な構造の建物だということに気がついたそうですが、そのままになってしまっているそうで残念なことです。

私には京博の展示会場には勝手が違うというか、拝観しずらい感じでいつも3階からではなく1階から拝観していくというへそ曲がりです。しかし、上の階の展示コーナーはいつもスパンの広く取った展示スペースを確保し、隣の展示作例との間隔が広いことが鑑賞しやすい気分をもたらしています。特に今回の佐竹本三十六歌仙絵の展示は、もともとの切り取り画像に表装をした大きさでも圧迫感を感じさせるものではないので気分よく一日を会場内で過ごすことが出来ました。それでも一つとして同じ構図、顔の表情、身体の動き・向き、着衣の色使いが認められないほどの変化にとんだ意匠という画構成は見事といわざるを得ず、細緻な筆使いによる目鼻立ち、髪のくしけずり、装束の文様・彩色などの表現は感嘆するほかないほどです。会場内では時々行きつ戻りつして拝観し、いつものように昼食抜きで夕方までの京博滞在となり、退出した時は疲労困憊でした。

図録は、各歌仙絵は各表装全体画像と断簡絵の拡大・折り込み画像と組み合わせており、他の関連工芸品・茶器なども含めてタダでさえ展示件数が多いのと相まって、約3㎝、320ページの分厚い立派な装丁の図録編集になっています。総論:「佐竹本三十六歌仙絵」(井並林太郎論文)、「佐竹本からみえる数寄者の想いー100年の流転のなかでー」(降矢哲男論文)は読みごたえがあります。

京博を退出しての感想は、主催者には申し訳ないのですが「歌仙絵」31枚の各断簡ですが絵柄や和歌詠みはもちろん素晴らしいので、博物館はそこに焦点を当てて展示を工夫されるのですが、私にとっては特にICOM・京都大会が終わった後だったり、直近の住友財団の「泉屋博古館」ほかで開催された展覧会のように、美術工芸品が現在に遺る背景をもっと説明していただきたかった。「増田孝(鈍翁)」、「高橋義雄(箒庵)」、「團琢磨」、「馬越恭平」、「野村徳七」、「岩原謙三」、「原富太郎(三
渓)」などの明治黎明期に事業を興し功成った事業家であり文化財蒐集家だった彼らの文化財の散逸を防ぐ算段や苦悩を知る場所が欲しかった気がして悔やまれました。

この展覧会や作例については幾つかのTV番組で放送されており、私も録画予約をしているのでゆっくり視聴するつもりです。





2019年11月18日 AM0:30 Tak

 

新年の4日に、年始 七福神巡り 企画募集 に寄せて

新年の4日に、年始 七福神巡りの企画有りまして、 どこの七福神巡をしたいかとの 推薦の募集をしています!  以下参考にして ご希望をお寄せください! 

東京の七福神巡り2020年おすすめ26選  iwalkedblog.com/?p=4744 -


台東区墨田区葛飾区、江東区中央区エリア
①谷中七福神
日本橋七福神
③浅草名所七福神
隅田川七福神向島七福神
⑤亀戸七福神
⑥深川七福神
下谷七福神
⑧柴又七福神
新宿区、目黒区、品川区、大田区、港区エリア
⑨元祖山手七福神
⑩新宿山ノ手七福神
⑪荏原七福神
⑫池上七福神
⑬羽田七福いなり(羽田七福神
⑭港七福神
東海七福神
多摩川七福神
足立区、荒川区、文京区、豊島区、板橋区エリア
⑰伊興七福神
小石川七福神
⑲千寿七福神
雑司ヶ谷七福神
㉑板橋七福神
三鷹市武蔵野市調布市、町田市、日野市、八王子市エリア
㉒武蔵野吉祥七福神
㉓調布七福神
㉔原町田七福神
㉕日野七福神
㉖八王子七福神

言い出しっぺですので 以下を孤思庵はお勧めします。 仏像拝観目的で、大円寺 と 目黒不動目黒には すでに行かれた方も おありと思いますが、道筋には 五百羅漢寺 もあり 一興かと 思います!  皆さんも 良き七福神巡り ご紹介ください! 

Tak)2019年11月の活動報告

このところ台風や豪雨被害のことで日本国内の天変地異が気になっていましたが、その中で来年の「東京五輪」について問題が起こっているようです。数年前の招致時点JOCの招致プレゼンテーションでは確かに夏季の東京の酷暑について問題にせず、むしろ対策により心配するものではない、「8月の東京は温暖で、アスリートが最高の状態でパフォーマンスできる理想的な気候」などとアピールして無理して招致をしたものです。まあ自業自得と云うことでしょうか?開催まで1年を切ったこの時期になってまで、このように私が先の投稿で触れたように、五輪は強者の都合によりごり押しされるのです。ましてや東日本大震災の復興支援になど何も反映されないような大会開催では、何をかいわんやです。過去の開催例からも明らかな開催後に「負の遺産」しか残らない巨大イベントを開催することの無意味さ露呈したものと云えましょう。

私はもともと東京五輪招致・開催に否定的という立場でしたので、どのような結論が出ても驚きませんが、政治・商業マインドの五輪開催に反対する機運に繋がると良いのですが…。

私は東京五輪の開催期間についてスケジュールについても何ら把握していませんが、その期間については、既に以前の投稿でも記したように東京から地方への長期間の移住生活(東北、あるいは北海道など湯治や登山を含め)を検討しています。



緒方貞子女史訃報(92歳)、中満泉国連軍縮担当上級代表が悲痛:彼女の講義を幾
度か聴講して感銘したことを覚えています。ご冥福をお祈りします。

●女優・八千草薫訃報(88歳):私は映画を観たことが無いのにかなり以前から彼女のファンでした。以前に新幹線車内の隣席でお会いして降車時に「お仕事頑張ってください」と励ましの言葉をかけていただいたことが今でも忘れられない思い出になっています。また夫婦して登山によく行かれていたのを覚えています。ご冥福をお祈りします。

●福島「白水阿弥陀堂」が浸水被害に:今般の台風21号の大雨の影響が広範囲の地域にわたって被害を与えています。「福島民友ニュース」によると福島県いわき市内郷白水町にある福島県唯一の国宝建造物の白水阿弥陀堂」が浸水被害を受けたことが10月26日に、お堂を管理する「願成寺」への取材によって分かったたということです。お堂の基礎部分のしっくいが水を被ったという。周辺地域には台風19号の際に稼働していた排水ポンプがその後故障して排水が出来なくなっていたそうです。住職は浸水被害は深刻な状況ではないとしながらも、お堂を囲む池の水があふれ膝の高さまで水位が上昇したという。少しでも早い復
旧が望まれます。関東地域や南東北地域では、このような史跡や寺院仏閣などや文化財の浸水被害、土砂崩れによる破壊といったニュースがこれからも報告されるやもしれません。そうした事案については少しでも支援し早期の復旧を望みたいものです。





奈良まほろば館日本橋)講座開催の案内:

・11月3日(日)奈良の魅力を語るシンポジウム(外国人にも伝えたい本物の奈良)13:30~15:00 まほろば館8階 パネラー:西山厚・半蔵門ミュージアム館長、高橋政司・ORIGINAL Inc代表、アンドリュートーマス・映像作家、菊愛・舞妓
・11月17日(日)「出雲と大和」展の見かた①(巨大本殿 出雲大社
11:00~12:30 まほろば館2階 講師:松尾充晶・島根県古代文化センター専門研究員

・11月17日(日)「出雲と大和」展の見かた②(古代出雲の祭祀と青銅器)

14:00~15:30 まほろば館2階 講師:増田浩太・島根県立古代出雲歴史博物館専学芸員

・11月23日(土・祝)まほろばソムリエの深イイ奈良講座(會津八一が詠んだ奈良)
14:00~15:30 まほろば館2階 講師:池内力・奈良まほろばソムリエの会会員





東博文化財よ、永遠に」シンポジウムを聴講して来ました(10月19日):

展覧会案内:  https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1958

シンポジウムを聴講して来ました。過日往復はがきで2名聴講を申込みしており受講券が届きましたが、ご近所の方の都合がつかなくなり結局出掛けたのは私一人になりました。いつものように開場1時間前にシンポジウム会場の前のロビーのソファで軽い昼食を取りながら文庫本を読んで待っていました。既に行列の最前列には集いの会のM氏がかなりの量のコピー資料を持参し広げながら近くの聴講者の方と歓談する姿がありました。従来の講演会の時と同じように聴講者の行列が1列(20~30人くらい)出来たくらいの様子を見計らって行列に並ぶこととしました。しばらくで集いの会のKITさんにお会いしたので、並びなおしました。着席の場所は私のいつもの定位置の近く、通路際に取りました。

シンポジウムの内容については、新知見のことも多く大いに勉強になりましたが長くなるので省略します。

シンポジウム終了後は、ステージ下で奈良大学・今津節生教授と永青文庫・小松大秀館長にお会いし挨拶と歓談をしました。小松館長は学生時代の時や秋田の美術館長の時とは全くイメージが変わって風格のある姿にまたしてもゾッコン感銘を受け、名刺の氏名をジックリ見詰めてしまいました。東博の副館長勤務の時にもお会いしたことがあり、本当に久しぶりにお話しをすることになりました。

国立文化財機構文化財活用センター・公開シンポジウム2019開催の案内:

センターサイト:   https://cpcp.nich.go.jp/

シンポジウム案内:  
https://cpcp.nich.go.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=dtl
<https://cpcp.nich.go.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=dtl&id=11
> &id=11

11月23日(土・祝)12:30開場、13:00開会 東博・平成館大講堂 事前要申込
「複製がひらく文化財の未来」 パネラー:大河内智之・和歌山県立博物館主任学芸員、松嶋雅人・文化財活用センター課長、大杉栄嗣・大塚オーミ陶業社長、山口晃画家

*大河内学芸員は、今春の展覧会でも発表していた地域での文化財修復・保存活動の一環として、地元工業高校生徒との共同で3Dプリンターを活用する複製制作を進めており、今回の発表となった。また「観仏三昧」での仏像関係の公開情報や展覧会情報などの紹介WEBでお世話になっている、私がお会いした研究者として気さくな真面目な熱心な主宰者です。

東博の展覧会に同行しました:

先日、ご近所の同世代のご婦人と友人の2人からの誘いがあって、一緒に東博の展覧会「文化財よ、永遠に」に出掛けました。当初は19日のシンポジウム開催日にご一緒する予定でしたが、都合が悪くなり別の日程調整をしたものです。彼女等は初めての拝観、私は3回目の拝観となりました。過去には「運慶展」、「大報恩寺展」などの展覧会にお供して会場内でいろいろと案内を差し上げたことがあり、今回も同じよう
に少しでも拝観のお手伝いをするために同行しました。前夜になって今までのような口頭での説明だけでなく参考資料を持参して後日でも参考になるものを用意しようと思い付き、部屋の書棚を見回して目に留まった図書をとりあえずの資料としてページの一部をコピーして持参しました。

参考資料として、奈良国立博物館で2013年夏に開催の展覧会「みほとけのかたち仏像に会う」の図録と、今回の拝観にふさわしいものとして同じ奈良博で2010年に開催の「仏像修理100年」展覧会の図録の2冊を引っ張り出して、参考になるページを抜粋してコピーして行きました。

・「みほとけのかたち 仏像に会う」の図録からは、巻頭言「仏像に会う」(西山厚・当時学芸部長)、総論「聖なるもののかたちとしての仏像」(岩井共二・当時教
育室長)、そして各章に付属する「コラム」の各ページ(仏像の服装、仏像の姿勢と
動き、ブッダの身長、… ほとけの方位と色、彫と塑~彫るか盛るか、… 清凉寺
迦像と善光寺阿弥陀像、霊験観音など)が網羅的に簡単に説明しています。

・「仏像修理100年」の図録からは、特別寄稿「仏像の保存修理とその技術―思い出
と共に―」(西川杏太郎・当時美術院国宝修理所理事長)、「総説・仏像修理100年
―美術院の歴史とともにー」(鈴木善博・当時上席研究員)、修理記録の解説(興福
寺、東大寺平等院西大寺唐招提寺臼杵摩崖仏、法隆寺などの仏像17例の修理
前後の画像と修理図、構造模型など)が分かり易く編集されています。

思いがけずかなり多くのページ数になりましたが、一抱えを紙袋に詰めて持参し、彼
女等に会場の場所場所で該当するコピー紙を手渡したり、ベンチに腰掛けて解説論文
などを参考資料としてお渡ししました。この資料配布で私の説明しようとしたことの
多くは役立ったと思います。私の下手な説明よりも視覚からの勉強の方がより理解さ
れると思いました。今後の彼女からのお誘いには、この手法で対応出来るのではない
かと想いを新たにしました。ちなみに彼女等は私が渡した紙袋を受けて帰りにはかな
りの荷物になって困惑しているようでした。

奈良国立博物館では、博物館地階に仏像館と繋ぐ廊下の両側に仏像の歴史や技法など
を説明用の画像や説明パネルだけでなく実際に説明用摸刻なども展示して、仏像に特
化して啓蒙活動をしています。私もしばしばこの廊下で勉強させてもらっています。





●小説「仏師成朝と運慶―猜疑の果てに」、「八条院?子と運慶」を読み始めまし
た:





2019年10月30日  AM0:30 Tak

第53回オープンレクチャー かたちからの道 - 東京文化財研究所

第53回オープンレクチャー かたちからの道 - 東京文化財研究所 www.tobunken.go.jp/info/.../openlecture053-simplfd.ht..


  第53回オープンレクチャー
かたちからの道、かたちへの道

10月1日(火)より申し込み受付を開始いたします。
しばらくお待ちください。
上野の山文化ゾーンフェスティバル (台東区のウェブサイトが開きます)

2019年11月1日(金)
午後1時30分~ 於 東京文化財研究所・地下セミナー室
大徳寺伝来五百羅漢図と『禅苑清規』―描かれた僧院生活―
米沢 玲(東京文化財研究所 文化財情報資料部 研究員)
広隆寺講堂阿弥陀如来坐像のかたちと込められた願い―願主「永原御息所」の人物像を起点として―
原 浩史(慶應義塾志木高等学校 教諭)
 
2019年11月2日(土)
午後1時30分~ 於 東京文化財研究所・地下セミナー室
日本唯一の伝世洋剣、水口レイピアの調査と研究
小林 公治 (東京文化財研究所 文化財情報資料部 広領域研究室長)
SPring-8による刀剣研究最前線:制作技術の解明に向けて
田中 眞奈子 (昭和女子大学 歴史文化学科 専任講師)