長谷寺式十一面観音
本堂前でお参りする際には十一面観世音菩薩の上半身しか見えず、全身の大きさは実感できないかもしれませんが、本堂の中に入って足元から仰ぎ見るとこの観音さまの巨大さがわかります。
*十一面観音の全身は特別拝観期間にご覧いただけます。
470年も前につくられたのに、今も金色に輝く姿の観音さまですが、御足だけは黒く光っています。そこだけ色合いが違うのは、人々が手を置いて祈りを捧げてきたから。長い年月に積み重なってきた祈りの証、仏さまと人とのふれ合いの歴史です。参拝者も特別拝観の期間は十一面観世音菩薩の御足に触れることができます。巨大な観音さまの大きな慈悲を感じて下さい。
一般的な十一面観音
奈良時代から信仰を集めた十一面観音は、病いの治癒など10種類の現世利益をもたらす菩薩として慕われてきました。一般的には、女神のような容姿としてつくられたものが多く、右手はまっすぐに下ろされ、左手には花瓶を持っています。右手に錫杖を持つ長谷寺の本尊は「長谷寺式」と呼ばれ、霊験あらたかなことから全国に数多くの御分身が祀られています。
徳道聖人曰く「伝え聞くところによると、第六天魔王が我が国を犯す時、天照大神が法性宮にいてこのことを見ていると。悲しみのあまり、天照大神が春日明神に契りを交わして、『あなたと共に地上に下って、私が国主となろう。あなたは臣となり衆生を守ってほしい。』と言うので、このことから二神は交わり、二神の孫はこの国を治めるようになった。今、両家の仏法は荒廃している。再び仏法を栄えさせたい。この大願を遂げるために仏像を造りたいと思うのです」と答えた。
勅使はこれを聞き、これは慶賀事だから、助成してあげたいということで朝廷に奏上する運びとなった。元正天皇から聖武天皇に代が替わり、房前はが重ねて奏上したことから、神亀元年甲子年二月二十三日に勅が下り、神亀六年己已年四月八日辰時、吉日かつ良時を以て御衣木の加持を始める。加持役は道慈律師によって行われた。三日間かけ、十一面観自在菩薩像を造りだす。高さ二丈六尺で、その巧匠は稽文会、稽主勲が務めた。
仏像を造り始めて二日目、樵夫の吉躬津麻呂が山に入り薪を取っていたところ、仏所の方に稽文会が地蔵菩薩となって仏像を刻んでいるのを見つけた。また、稽主勲が観自在菩薩となって同じく仏像を刻んでいるのも見た。これは不思議なことだと思い吉躬津麻呂は徳道聖人にこのことを語った。さっそく徳道聖人が見に行ったところ話の通りだった。これはまさに地蔵観音の応化
勅使はこれを聞き、これは慶賀事だから、助成してあげたいということで朝廷に奏上する運びとなった。元正天皇から聖武天皇に代が替わり、房前はが重ねて奏上したことから、神亀元年甲子年二月二十三日に勅が下り、神亀六年己已年四月八日辰時、吉日かつ良時を以て御衣木の加持を始める。加持役は道慈律師によって行われた。三日間かけ、十一面観自在菩薩像を造りだす。高さ二丈六尺で、その巧匠は稽文会、稽主勲が務めた。
仏像を造り始めて二日目、樵夫の吉躬津麻呂が山に入り薪を取っていたところ、仏所の方に稽文会が地蔵菩薩となって仏像を刻んでいるのを見つけた。また、稽主勲が観自在菩薩となって同じく仏像を刻んでいるのも見た。これは不思議なことだと思い吉躬津麻呂は徳道聖人にこのことを語った。さっそく徳道聖人が見に行ったところ話の通りだった。これはまさに地蔵観音の応化