孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

11/12 Takさんの投稿 「大津歴博「神仏のかたち」展再訪と最新情報。」



11月10日(土)朝から良い天気に恵まれ、ホテルから徒歩でのんびりと大津歴博に向かいました。早朝の街並みを通って、途中、園城寺三井寺)の手前で、「長
等公園」の紅葉を見学して「長等神社」の園城寺大門に似た赤い大きな山門を見ながら過ぎて、疎水入口の取水口に行き着きます。琵琶湖疎水の「大津閘門」(おおつこ
うもん=明治23年の通水式に明治天皇が臨席した洋式閘門)から遊覧船が観光客を乗せて、只今園城寺の山懐のトンネルをくぐり、山科疎水から「蹴上」の京都市内観
光地へと通じる、紅葉の疎水を船上から遊覧に出発するところを目撃し、カメラを構えたほどです。職員に伺ったらパンフレットを下さったのですが、11月28日まで
が遊覧乗船が出来る日だそうで、1日に4~5便程度で大津(琵琶湖口)と蹴上の間を遊覧しているそうです。でもパンフを見ると下り約1時間の船旅で、蹴上~大
津の上りは約35分ということですが、ルートを見ると半分近くはトンネル内の乗船で、乗船中の飲食・喫煙禁止とあります。また乗船は予約制で料金もソレナリで気
軽に利用出来ないみたいです。



疎水トンネルのすぐ上の道に「三尾神社」(みおじんじゃ)があります。園城寺大門へ横道から向かう手前になります。神社門前の石段傍には「卯年生れの守り神 ご
えんむすび・安産腹帯・まわり年厄除祈祷」との大きな立て看板がありました。もう園城寺の南院境内で、三尾明神は「長等山の地主神」です。聞き及んでいるのは園城
寺中興の祖「智証大師・円珍」が唐から帰国するときその船の頭に現れて守護するとした渡来神だそうです。私が今春園城寺の「あお若葉―もみじーの競演」で出掛け
園城寺金堂での特別公開では、「北院・新羅明神本地仏文殊菩薩坐像」、「勧学院本尊・大日如来坐像」と並んで公開された「南院・三尾明神本地仏普賢菩薩
像」を思い出しました。集いの会にも報告していますので、その時の報告を以下抜粋します。

『「普賢菩薩坐像」は、「南院」の三尾明神の本地仏だそうです。鎌倉時代の作で、思いがけず玉眼造りで、大きすぎるほどの過剰なまでの金属製の精緻な頭飾と蓮華
台座、金属製の日輪・月輪、宝珠側飾、瓔珞、蓮華台座から下部の円形台座までの装飾の淡麗・荘厳さが目立ちます。顔立ちは穏やかで、丸型の輪郭に端正な目鼻立ち
が綺麗な仏さまです。左右の手で持つ蓮華茎の先には、蓮華台座とその上に立つ独鈷杵状の剣らしき物(私にはどういうものか判らず)が付いていました。頭飾の正
面に環状の枠があり化仏でも収めているかと気になったが、分からず仕舞いだった。』

今思い出しても仏さまの頭のてっぺんから身体全体に施した荘厳が派手派手しく眼をうばわれたのを思い出します。今回は三尾神社境内には入らず仕舞いでした。次
回にはゆっくりと拝観したいと思います。三尾神社から園城寺総門へ、そこから「護法善神堂」の前を通り園城寺大門(仁王門)前を横切って、すぐに「大津市歴史博物
館」到着です。朝からの晴天で琵琶湖対岸までくっきりと見渡せる景色が綺麗です。



私は歴博には1ヶ月ほど前にも同じ「神仏のかたち」展覧会を拝観しに出かけたことがあり、その際には、寺島典人学芸員は出張中で不在でした。大津市教育委員会
行の「大津の文化財」なる大いなる箱入り装丁の書籍を購入したことがありました。ちょうどその日から価格が半額(5,000円⇒2,500円)になったと博物
館の女性職員の方からのお話しで、かさばるし重たいにも関わらず思わず躊躇せずに購入してしまい、その晩にホテルのフロントで自宅までの宅配便の荷造りをするはめ
になりました。この時のことは集いの会には報告していませんでしたが、歴博「神仏のかたち」展についての個々の仏さまについては報告した覚えがあります。

歴博が午前9時に開場されてしばらくしたら、数名の男女が熱心に入口近くの展示の仏さまを拝観しているのを眼にしました。雰囲気で見覚えのあるそれなり
の方々と思い注視していたところ、先方も気付かれて、お仲間として一緒に出展作例を拝観して廻ることとなりました。彼らは歴博拝観後は延暦寺・国宝殿の「至宝展」
(~11/30まで)に行かれるということでした。お仲間と一緒に会場内を巡っている途中で、大津歴博の「寺島典人」学芸員元興寺文化財研究所「植村拓哉」研究
員が廻って来られました。4人のお仲間から離れて、二人に挨拶をして午後の講義を楽しみにしている旨を伝えました。その後4人のお仲間を博物館玄関まで見送ってか
ら、再度展覧会場に入り、気になっていた数点の仏さまを再確認しました。「訶梨帝母倚像」(室町時代)と「訶梨帝母倚像」(鎌倉時代)、そして「愛子像」(あいし
ぞう)については、歩いて通ってきた護法善神堂に安置されている寺宝になり、その辺の様子を学芸員(寺島氏以外の)に伺いました。愛子像は護法善神堂の本尊「木造
護法善神立像」(重文)の足元の台座上に立つ像で、立像は160㎝もある大きな女神像で、左手にザクロの実を持つ訶梨帝母(鬼子母神)であることを示しているもの
で、「智証大師・円珍」が入唐求法の旅から帰国した際に彫像として祀ったということで説明されていますが、愛子像だけでなく護法善神像そのものを拝してみたい
と思いました。「大津の文化財」誌には立像の大きな画像を掲載していますし、愛子像も足元に小さく安置されているのが分かります。

13時30分になると歴博講堂前には数十人のお客さんが並び開場を待ちました。滋賀県文化財の点数では奈良・京都に次ぐというほどで、歴博の人気も相当なもの
のようです。確かにしっかりとした学芸員と立派な行事を企画していると思います。講師の植村拓哉氏は、最近まで京都・仏教大学のミュージアム学芸員で、彼には数
回(仏教大ミュージアムと京博で)お会いしたことがあり、お話しもさせてもらいました。数年前に佛教大学ミュージアムを訪れた時には、大学発刊の研究紀要を無
料で書棚から持ち帰ってOK!と云われて、植村氏の論文の掲載された号を2冊貰ってきたことがありました。今回もその彼の論文のテーマに沿った内容の講義でし
た。寺島学芸員の司会進行で開催されました。「仏教大学宗教文化ミュージアム研究紀要」の第8号と第12号を持参して行ったので、彼の講義中も論文の該当するペー
ジの見直しをしながらの受講となりました。



講義が終了した後、演壇前で二人に直接お話しを伺いました。寺島学芸員には、最初に奈良博・夏期講座での彼からの「ニュース」について伺いました。

このニュースは、私が8月下旬に報告した情報の中に以下のように報告しています。

『●寺島典人・大津市歴史博物館学芸員からの情報(8月22日聴取):ご本人の言です。『昨日21日に京都方面のそれなりに名のある寺院で調査した結果、阿弥陀
三尊像の中尊・阿弥陀如来像には足枘なし、かわりに鉄芯入り。脇侍菩薩像の足枘に「仏師行快」墨書銘あり。ほやほやの調査結果を近日中に発表したい。これまでに
も立像で「足枘なし、かわりに鉄芯入り」の作例はありましたが、脇侍像に「行快」銘は予想外でした。』とのこと。寺島先生には久し振りにお会いしました。ちょう
ど「大報恩寺展」間近いこの時期に朗報です。きちんと整理したうえで発表、あるいは展示公開も考えて欲しい。寺島先生に幾度かしつこく問いただしたものの、結局寺
院名、場所、仏像詳細についてはお茶を濁されました。』というように報告しています。弧思庵ブログを眼にされた方もいらっしゃるでしょう。

いまの彼の話しぶりでは一生懸命にまとめていらっしゃるそうで、今回歴博展示の「西教寺阿弥陀三尊像」と同じ様な作例ながら、脇侍像2体からの足枘墨書銘、仏
師行快の僧綱位(法眼)、本尊の足枘無し、だったかな?あれどうだったかな?私の聞き間違いだったかな?来年春の「ある展覧会」に出展を予定しているだったか
な?私のメモは間違っていたかな?私は具体的に仏さまの内容や展覧会のことまでもおおよそ聞き及びましたが、ここではまだ私からは伏せておきます。寺島学芸員
ら正式に発表があると思います。お楽しみに。脱線ながら、寺島学芸員のニュースについては、今日12日(月)午後にお会いした山本勉教授もすでにご承知で、ご自
分の「仏師行快」の事績には1227年(嘉禄3年)阿弥陀三尊像(某寺・京都)として講義などで公にしているのです。1227年(嘉禄3年)の前半(極楽寺・阿弥
如来像納入品)はまだ法橋位とすれば法眼位は同じ年の半ば以降か?この話しは山本教授の「大報恩寺展」、「仏師行快」などの最近の講義などでお話しを伺った方も
いらっしゃるかもしれません。でも教授からも「某寺」とだけで明らかにされませんでした。来春の展覧会についても同様でした。寺島学芸員への配慮でしょう。

その後、工房内での仏師のことや、運慶から湛慶への仏師集団の継承、また「湛慶注進状」のことなど今まであまり見聞きしなかったこと、私が気になっていたことに
ついても伺いました。植村研究員にも論文のお話しや「仏師湛慶」についての細かいことや、九条兼実など公家や朝廷周辺の審美眼などについて伺いました。



今春公開された「あお若葉―もみじーの競演」で拝観したもう一つの秘仏「北院・新羅明神本地仏文殊菩薩坐像」についても私の先の報告で記しています。

『「文殊菩薩坐像」は、「北院」の「新羅明神」の本地仏ということだそうです。鎌倉時代の作、天冠台が欠失しているものの、髻が綺麗に結ばれ、髪の筋目も細かく
はっきりと手を入れられています。伏し目がちで穏やかな眼窩の浅い平凡な顔立ちをしています。条帛や裙の衣文は単純で彫りは浅く、印象に薄い像態です。左手には経
巻、右手には剣を持つ姿で、あまり肉感的ではない体躯に感じました。また天衣が背中側を通り、両肩から腕に絡めて肘後ろ側で環状のひるがえりを形造っていま
す。大きな連弁の台座と装飾的な返り花は大きく印象的でした。』

そこで、この機会にと思い立ち学芸員に「新羅善神堂」について伺いました。行き方なども教えていただき、その際にもう一つ教えていただいたことが展覧会のことで
した。

大津市歴史博物館・企画展「法明院」展覧会です。開催期間は来年2019年3月2日(土)~4月14日(日)です。私が以前聞きかじったところでは、法明院は園
城寺北院にあり「アーネスト・フェノロサ」と「ウイリアム・ビゲロー」の墓があることは知っていました。フェノロサ園城寺で受戒し、彼が英国での急死後英国の教
会墓地に埋葬されたが、彼の遺志で園城寺のこの地に葬って欲しいとのことで火葬後分骨されたことから墓があるそうです。フェノロサやビゲローを仏門に導いたとされ
る「桜井敬徳阿闍梨」は法明院の住職だったそうで、阿闍梨も同じ墓域に埋葬されているそうです。「法明院」は山内唯一の律院として、享保8年(1723年)に開
創されたそうですが、書院前の広い緩傾斜地には琵琶湖を見下ろすように池泉回遊式の借景庭園が造られていて、見応え十分だそうです。また、丸山応挙や池大雅などに
よって描かれた障壁画があったりで寺宝がいっぱいあるそうです。しかし、非公開寺院ということで外から建物だけの拝観しか出来ないようで、そこでこの機会に展覧
会をぜひとも拝観したいと思いました。そして北院・新羅善神堂と法明院は同じ方向で近くにあると聞いて、今度園城寺を訪問する際には必ず北院・新羅善神堂と法明
院を訪ねようと思いました。外観だけでもいいので。大津市歴史博物館からからの道順も学芸員に伺いました。一人で行けるところだそうですが、堂内は一般公開はして
いないこと、行き着くには少し荒れた山道を辿ることになるとのことでした。できれば来春の展覧会前にも行ってみたいものです。今春の「あお若葉―もみじーの
演」の園城寺拝観から来春の展覧会までつながりました。これも歴博と寺島学芸員のおかげと考えます。

展覧会情報:

大津市歴史博物館・企画展「法明院」展覧会 2019年3月2日(土)~4月14日(日) 当然ながら現在は詳細は未発表ですが、追って明らかになるものと思われます。





2018年11月12日  PM8:40    Tak