孤思庵の仏像ブログ

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連続勉強 仏像に現らわされる仏たち 其の1 「釈迦如来」




連続勉強    仏像に現らわされる仏たち  其の1  「釈迦如来

これまで,この集いでの多くの仏像の勉強は 仏像様式の 美術史的が多かったように思います。此処であえて仏教と云う哲学を絡めた,仏教 図像学的な 切り口で 勉強したいと思います。 私たちが鑑賞・拝観する仏像を 其の種類 尊別の勉強をしてみようと思いました。 仏像に 如来、菩薩、明王、天部 と大きく分けられますが、まずは 如来からで、 如来とは、真理(如)に随って来た、真如より現れ出た者で、其の把握は 他の尊より難しいと思います。 如来その筆頭はまず、仏教の教祖の 釈迦如来からは、当然ですが、 其の根本ですので、至難は予想されますが  始めて見ましょう、 個の連続勉強に賛同が得られましたら、 ほかの主要如来、主要菩薩、 明王、天部と 皆で勉強を続けたく思いますが、  どこまで行けますやら・・・、 至難と思いますが、皆さんのご協力とご意見を頼りに始めてみます!

まずは釈迦如来、 それは阿弥陀如来薬師如来などと並ぶ 肉体を持たない 尊・仏 との捉え方と、25世紀を超える過去に実在した人 との捉え方に判別が在るを大前提認識すべきです。 まずは認識し易い 仏教開祖の人としての釈迦を勉強してみます。



仏教を一括に語ろうとするを、時に見ますが、 仏教は釈迦生存の時代の其れから 刻々と変化し続けていまして、2、600年もの経過です。 初期仏教、 そして釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部上座部とに、さらに細かく分かれて現在に八万四千の法門 と云われたりします。きてます。現代で、大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教 テラワンダーであり、初期の教えを模範としてが続いています。
他方、紀元前の終わりごろに、北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の枝分かれと変化は、多様です。 そんな中に於いても、 釈迦は根本で在り続けています。

しかし、 長い時の流れ、其の時々の 釈尊の捉え方も 多様は当然です。 前述の釈迦の判別の処で 触れた処の 阿弥陀如来薬師如来などと並ぶ 肉体を持たない 尊・仏 の捉え方となってゆくのは、宗教面では納得の処と思います。

私としては、仏像で見ることの多い、釈迦ですので、 私も、大乗仏教では 多くの如来がいて、 釈迦も、そのうちの一人として捉えることのできます処の 釈迦如来を、一部 実在の歴史的釈迦を交えて、 釈迦感の 変遷を勉強してみます。



釈迦如来  または釈迦牟尼仏とは、仏教の開祖である釈迦ゴータマ・シッダッタガウタマ・シッダールタ、漢字名は瞿曇悉達多(くどんしった)  釈迦の本名ゴータマ・シッダッタの音写漢訳、を、仏(仏陀)として敬う呼び名です。

釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀前後の北インド(現在のインドとネパールの国境地帯にあたる)の人物で、仏教開祖である。

上座部仏教

上座部仏教(いわゆる小乗仏教)では、釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏とみなされている。最高の悟りを得た者は阿羅漢(あらかん)[と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。

大乗仏教

諸仏の一仏として

大乗仏教では、釈迦牟尼仏(釈迦如来)は十方(東南西北とその中間の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏である。また、三身説  の3種類の身のあり方(法身・報身・応身)で、仏身観の一種、仏が現世の人々の前に現れた姿、の応身(おうじん)との考えで、この世において悟り、人々の前に現れた仏身であるとされている。
人々の前に釈迦の姿。 解脱 釈迦牟尼仏


 
 「日蓮宗の本仏として」
【本仏の釈迦】大乗仏教の中でも、日蓮宗法華宗では宗派の本尊とする本仏が誰かという論争があり、釈迦本仏論日蓮本仏論の対立がある。このうち釈迦本仏論本尊が本仏:無数の仏(如来)の中で、根本となる仏(如来)のこと。としての釈迦牟尼仏である。かつて天台宗において唱えられていたようであるが、今では日蓮宗法華宗でしきりに論じられる。法華経如来寿量品第十六に登場する無量長寿の釈迦牟尼世尊がこれに当たる。
実社会の古代インドで活躍し、肉体を持ったゴータマ・シッダルタ釈迦)を指すのではなく、インドで肉体を持って生誕した以前の悠久の昔から存在し、入寂の後も遥か将来まで存在して行くという信仰上の釈迦牟尼世尊である。

無量の諸仏を 迹仏とし、本仏釈尊のコピーに過ぎず、言わば、本仏釈尊を月とすれば諸仏は千枚田に映る千の月であるという論である。釈迦本仏論の宗門の信仰の対象である。久遠本仏とも呼び、日蓮宗総本山身延山久遠寺山梨県南巨摩郡)の寺名にもなっている。
なお、法華経では、釈迦如来インド菩提樹下で初めて覚ったのではなく、 遠い過去に成仏していたと説かれると共に実際には入滅することも無く永遠にこの世に在り続けていることを説き(久遠実成)、涅槃経では入滅後の未来について強く言及するものの、実際には如来(真理より生来したもの、)..は常住不滅であると説かれる。

釈迦如来の過去世

スメーダ仙人 (釈尊の前身) (『ブッダワンサ(仏種生経):ディーパンカラ仏陀から釈迦牟尼仏陀にいたる二十五仏の伝記をまとめた注釈文献』 

 『ジャータカ』前世の物語)スメーダ(ブッダ) 釈迦の前世のころの名前。これが後に、輪廻転生を繰り返し、兜率天で、儒童梵士(浄幢菩薩)となる。
釈迦が前世で儒童梵士(じゅどうぼんし)と呼ばれ燃燈仏のもとで修行していたとき、未来において、悟りを開き釈迦仏となるであろうと燃燈仏が授記した。
浄幢菩薩(『ラリタヴィスタラ(方広大荘厳経)』::釈迦の降生から初転法輪に至る(漢訳本ではカピラヴァストゥ(カピラ城)に帰るまで)前半生を記したもの。


浄幢菩薩 : スメーダが輪廻転生を繰り返し、兜率天に生まれた姿。つまり釈迦の前世。

造形化された釈迦如来

 「釈迦如来の 種...」の画像検索結果     釈迦如来の種字  

【釈迦如来造像の始めは、仏伝を絵解き風に造形化したもの】
釈迦如来は、インド以来、広く仏教の流布した地域で造像されるようになった。その中心は、実在の釈迦の伝記としての仏伝を絵解き風に造形化したもの、あるいは、その一場面を単独で造像したものなどであった。 日本では、誕生像、苦行像、降魔像、説法像、涅槃像などとして造像が行なわれた。なかでも説法像が一番一般的な造形であり、説法印などによって、釈迦が法を説く姿を表現している。クリックすると新しいウィンドウで開きます、 誕生像
クリックすると新しいウィンドウで開きます、苦行像降魔像、

  説法像、
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などとして造像が行なわれた。なかでも説法像が一番一般的な造形であり、説法印などによって、釈迦が法を説く姿を表現している。
説法像の作例としては、奈良の法隆寺金堂、京都の蟹満寺銅像、奈良の室生寺金堂、京都の大報恩寺の木像などが著名である。また、京都清凉寺の瑞像を模した清凉寺式釈迦如来も広範に流布している形式である。


「定印の釈迦像」の画像検索結果  禅定印の釈迦坐像


 

ガンダーラ仏等の脇侍は、梵天 ・ 帝釈  が多いです。  法隆寺金堂釈迦三尊の 脇侍は 薬王菩薩・薬上菩薩と云われてます。 しかし,その両脇侍の名前は判らないが正直で、それを、薬王・薬上菩薩とする根拠は無いみたいです。
薬王菩薩像と薬上菩薩像を置くのは古い形だそうです。兄弟の菩薩で、ともに良薬を人々に与え、心と身の病気をなおしたと言われます。
釈迦三尊 - 中尊は釈迦如来。多くの場合、左脇侍が文殊菩薩、右脇侍が普賢菩薩である。他の例として、薬王菩薩と薬上菩薩(興福寺中金堂など)、阿難陀大迦葉禅宗系寺院)を脇侍とする場合がある。法隆寺金堂の釈迦三尊像の両脇侍は薬王薬上菩薩とされるが、造像当初からの名称であるかどうか定かでない。

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釈迦三尊として祭壇に置かれる場合が多い。脇侍は文殊菩薩普賢菩薩が多い。

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法華宗日蓮宗では三宝尊一塔両尊)の形式がとられることが多い。これは中心が題目の書かれた多宝塔宝塔)で両脇に釈迦如来多宝如来が祭祀者から見て左右に並び、その下にとしての日蓮像がある。




【異形の釈迦像】


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                                          清凉寺式釈迦像
清凉寺釈迦如来像の形式を模した仏像。原像は,入宋した 奝然(ちょうねん) が浙江省台州開元寺のインド伝来と伝える釈迦像を現地で模刻させ,987年日本に持ち帰ったもの。インドにおける根本の像,三国伝来の像として盛んに信仰され,鎌倉時代には多くの模像を生んだ。像の特色はガンダーラ式の著しい平行衣文。現存作例は西大寺唐招提寺釈迦如来立像など。
この像のもとになった像は「優填王思慕像(うでんおうしぼぞう)」といいます。優填王思慕像とは、釈尊在世中にインドの優填王が釈迦を思慕するあまり、釈迦の姿を牛頭栴檀で彫刻したものです。

インドから宋に、宋から日本にもたらされたので、「三国伝来」というらしいです。


縄を巻きつけたような螺旋状の頭髪や、首元まで覆う通肩の大衣、ボディラインに張り付いた薄い衣の衣文、流水文という木目のような彫り、三段に重なったすそが特徴です。
この形式の釈迦如来立像を根本像の清凉寺本尊像にちなんで「清凉寺式」と呼んで、一般の釈迦如来像と区別しています。

赤褐色の体に、エキゾチックな深い彫りの顔などガンダーラの仏を連想させ、異国情緒たっぷりです。

この清凉寺の釈迦如来像は、胎内に布で造られた五臓六腑の模型が納入されていることからも「生身の釈迦として造られた像」と考えられています。



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                                               宝冠釈迦像
「宝冠をつけるのは華厳宗の毘盧遮那だが、 禅と華厳の融合により、尊ばれた釈迦として禅宗で作られるようです。

禅宗の主尊として釈迦如来像が本尊に祀られる。その姿は通常の如来と異なり、宝冠釈迦と呼ばれる、宝冠を被(かぶ)り、髪を結い上げる姿が一般的である。禅宗においては毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)と釈迦如来が同体視されたからであるらしいです。