孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

【修正加筆済み】三井記念美術館 特別展「仏像の姿」~微笑む・飾る・踊る~の鑑賞と、記念講演会に行ってきました。

6日の勉強会の中で、 以下の報告をさせて頂きたく思います。 三井記念美術館 特別展「仏像の姿」~微笑む・飾る・踊る~の 図録をお持ちの方は持参 願います!


此の異形の不動明王 の姿の意味
右手の利剣は煩悩を断ち切る意を示し、左の羂索を持つ手の印は煩悩を断ち切る利剣を示す印相左足の踏みつけは地下の悪魔(煩悩)を押さえつけており、右の蹴り上げ降ろす足も地下の悪魔(煩悩)を踏みつける姿 と見ました。利剣と羂索は儀軌通り、足の形は仏師のアーチストになる瞬間=創意工夫


9月30日に 三井記念美術館 特別展「仏像の姿」~微笑む・飾る・踊る~の鑑賞と、記念講演会に行ってきました。 台風の接近 で、特別展の来場者は少なく 、鑑賞の順番の微調整をすれば、 独り占めの作品鑑賞が 出来ました。 条件の悪い日の展覧会は狙い目の感ありです。  同展の狙いは、著名人気仏像とか、定朝・運慶・快慶のビックネーム仏師にスポットライトを当てるのでは無しに、 仏像、そこなある仏像、それぞれにも仏師たちがいて、造像の際に、工夫・技術・独自性を発揮凝らしています。 作品にそれが残っています。 見る方も 自身の感性で、そこを見逃さず、各々仏師の工夫・狙いに気づき、鑑賞を深めると云う事ではと、気づきました。 どうやら仏像観賞の在り方を啓蒙の仏像展のようです。


展覧会場で逢ったGouさんと、一緒に、しばらく鑑賞して、 時刻をみて、記念講演会に向かいました。 会場入り口の列で、Saiさんと、Kitさんとも出会い  御仲間4人で受講しました。

最初の講演は、東京藝大の藪内教授の 「坊さんも知らない仏像のおはなし  ほとけの意味とそのかたち  お そやったんか! Eureka!(Eureka:ギリシャ語に由来する感嘆詞で、何かを発見発明したことを喜ぶときに使われる。)」 と題した仏像の基礎の切り口の違う、一般には、新知のおはなしの披露を狙ったものと思われますが、すでに、仏像の図像学的に興味の私にはほとんど、即知の事ばかりで、盛んに言って欲しいと促されますも、「 お  そやったんか! Eurek」a!の台詞はついに出ませんでした。
ですが、持論の仏像の知識の観点で有ります 「図像学的仏像考察」でしたので、仏像の趣味にはそれが大事と思われて、そのとうり、そのとうりの、思いでして、Eureka! に代わって 「その通り」の連続でした。そういえば、藪内教授の[ほとけの履歴書]の目次は、
プロローグ 奈良のこころ、ほとけさまのこころ
     ・第1章 ほとけの来た道
     ・ 第2章 ひかりのほとけさま
     ・第3章 漆でできたほとけさま
     ・ 第4章 木彫仏は揚子江から
     ・第5章 南部復興を支えた仏師たち
     ・第6章 仏像の技法研究と修復—私とほとけさまと人材育成
エピローグ 日本人にとっての仏教、そしてほとけさま

でして、それは美術史的仏像考察より、間口の広い基本的な仏像考察の図書でした。藪内先生は 、著書や本日のテーマから 彫刻家・美術史の専門で在りながら、仏教や、仏像の本質とは何ぞやを意識佐されて居るように思えます。

次回の仏像勉強会には講演会配布資料を持参します。



続いての第二講は、同展主催の 三井記念美術の 清水眞澄館長の 特別展『仏像の姿』の記念講演でして、 本展は、定朝・運慶といった著名の仏師にスポットを当てるのでは無しに、目の前にある仏像、その仏師たちが仏像の「顔」「装飾」「動きとポーズ」などに工夫凝らしてます。 それを観点に、普段あまり気づかずにいるところを見て、自分の感性で、仏師の工夫や技術独自性、すなわち仏師がアーチストになる瞬間を見つける、体験型の展覧会を狙ったようです。

本講演は、その仏師の工夫の仏像の陳列の中から、顕著な工夫の在る仏像を数点選び、その工夫を説明されました。

講演で説明を受けた 仏師の工夫や技術独自性のある仏像の見所を受講しました後で、その検証のためにも一度展覧会場に戻り、講演に出た仏像を 再確認鑑賞をしました。 講演内容は、独りでは忘却してしまいますが、一緒に受講 鑑賞のために、 三人よれば文殊の何とかの如しで、皆で記憶の断片を出し合い、何とか講演に出ました仏像のすべての見どころを確認できました。独りで邪魔されず鑑賞ごもっともですが、 このような時には、 グループ 鑑賞・受講の メリット 強みと 感じました。


それでは、講演会で指摘された、 仏師がアーチストになる瞬間の作風を鑑賞してみましょう。


 1,  経典と仏像の「働き」   1-8  三重・瀬古区 十一面観音立像 平安時代(9世紀)
 〔右の踵(かかと)を上げている〕 


 『十一面観世音神呪経』--白檀の十一面観音像を造り、西向きに像を安置し、行者が毎日 十一面観音の呪文を唱えると、15日目の夜に道場に「十一面観音菩薩が入ってくる。 同時に安置されている像が「自然に動揺し、頂上面が「声を出して」行者を讃える。観音が偶像である白檀像に宿り、像が十一面観音像になって動くクライマックスのシーンを形で表した。



2,  図像(「様」または「様式」)の立体化
 {不動明王「十九観」の顔〕

4-15 個人蔵  不動明王半跏像           平安時代 (12世紀)
頭上に莎髻 髪は巻き毛と弁髪  額に水波の皺  右目 見開き、左目 閉じる
下の歯右上の唇を噛み、左下の唇を露出して上牙を現す 以上は十九観の様式
但し、右足を踏み下げて座り、羂索を腹前に構える例は珍しい。


不動明王を観想するために、十九の形の特徴を挙げる。

http://www.shorenin.com/gokaicho/images/dian1.png 不動十九観の儀軌

1. 此の尊は大日の化身なり。
2.   明(真言)の中に阿(あ)、路(ろ)、喚(かん)、蔓(まん)の四字あり。
3. 常に火生三昧に住す。
4. 童子形を現じ、身、卑しくして肥満せり。
5. 頂に七莎髻あり。
6. 左に一弁髪を垂る。
7. 額に皺文あり、形、水波のごとし。
8. 左の一目を閉じ、右の一目を開く。
9. 下歯、上の右唇を喫み、下の左唇、外へ翻出す。
10. その口を緘閉す(閉じる)。
11. 右手に剣を執る。
12. 左手に索を持つ。
13. 行人の残食を喫す。
14. 大盤石に安坐す。
15. 色醜くして青黒なり。
16. 奮迅忿怒す。
17. 遍身に迦楼羅炎あり。
18. 変じて倶力迦大龍と成り剣に纏わる。
19. 変じて二童子と作り、給使す。
これを図像に描き、図像からどのような彫像にされたかを見る。

【十九観の不動像の出現の重要人物】

天台僧  比叡山五大院の  安然(841~915年)      
真言僧  石山寺の淳祐(890年953年
 
画僧      飛鳥寺の玄朝  10世紀末(平安中期)に活躍した。生没年不詳。
東大寺要録》(1106)によれば,南都元興寺住僧であり,987年(永延1)東大寺大仏殿繡曼荼羅の修補にたずさわり,地神を描いたという。
大江親通の《七大寺日記》(1106),《七大寺巡礼私記》(1140)の元興寺の条には金堂の厨子内の浮彫十二神将は玄朝の図像に基づいて制作されたものと記されている。興福寺に現存する板彫十二神将がこれに当たると考えられる。



[十九観の不動像の誕生]

天台僧   安然(841~915年)       
真言   淳祐890年953年)           
                                      不動像が、儀軌と相違・・・、
                                           儀軌に合わした造像をすべき!と主張
            ↓

画僧 (絵仏師)玄朝  (10世紀末に) 
                                      ● 儀軌に合わした図像 (白描図) を現わす。
            ↓

 仏師たち                 (11世紀以降)
                                      ● 玄朝の 図像(絵)をもとに 彫刻の仏像を立体作成。
                 


  http://www.horakuji.com/gallery/hudo.htm                                          
                                               玄朝作  不動明王 図像 (白描図)
                                                https://blogs.yahoo.co.jp/dsjyr911/12297574.



1-15 の画像が検索不可の為 類似像 参考掲示  鎌倉 明王院
 




3, 来迎阿弥陀三尊像に見る両脇侍像の形姿
1-6 称名寺金沢文庫保管)  観音・勢至菩薩立像 鎌倉時代 (13世紀)
〔観音と勢至菩薩の形姿も違い) 

来迎図では、斜め下に下降す場面では、観音が前で、勢至が後に続く、前の観音の方が腰を落とし前傾が深い、立ち姿の姿勢の相違で。前からの両膝の間隔幅が 観音の方が広く 勢至の方が狭気味となっている。  私の見た感じでは???


  眷属
4, 仏師のこだわり
1-3  東京国立博物館  四天王眷属立像(東方天、南方天)  康円作  鎌倉時代(1267)
〔他に 四天王眷属像の遺作は無い。〕
持国天東方を守護。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。 増長天南方を守護。鳩槃茶、薜茘多を眷属とする。 広目天:西方を守護。龍神、毘舎闍を眷属とする。 多聞天:北方を守護。夜叉、羅刹を眷属とする。

・装束に身分 : 眷属とも筒袖    方天眷属の 靴の破け & 裙のサイドにほつれ
・身色   :   【東方天】  天王 (青)  眷属(赤)    ・   【南方天】  天王 (赤)  眷属(黒)

東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 彫刻 四天王眷属立像(してんのうけんぞくりゅうぞう)&nbsp 拡大して表示     
  東方天眷属                          南天眷属の ↑右靴先の破け  に ご注目     http://image.tnm.jp/image/1024/C0085448.jpg
  http://image.tnm.jp/image/1024/C0085448.jpg                                       
・装束に身分 : 眷属とも筒袖    方天眷属の 靴の破け! & 裙のサイドにほつれ

・身色   :   【東方天】  天王 (青)  眷属(赤)    ・   【南方天】  天王 (赤)  眷属(黒)

「青春、朱夏、白秋、玄冬」「青竜、朱雀、白虎、玄武」ともに中国の五行説に基づく考え方です。
「青竜、朱雀、白虎、玄武」とは、東西南北、四つの方位を あらわす象徴的聖獣で
四神といいます。東を「青竜」 南を「朱雀」西を「白虎」 北を「玄武」。



【付録】 内刳    背繰りでなしに・・・、脇繰り?
4-18  京都国立博物館   不動明王立像  平安時代 (11世紀)
脇からの内刳の様子を 見て頂きたくて、同像の写真を探しましたが・・・、 ネット検索
では見つかりませんでした。珍しい事例ですのに、世間では斯様に 注目されてない様子です。

(10/5修正)
内刳は、干割れ防止のための工夫ですが、 昔は用材を 枯らしきる 乾燥はしていないと聞き驚いたものです。 干割れ防止の為に内刳などもするのに、なぜ用材を枯らしきらなかったか疑問でしたが、 最近の新知に、枯らさないで彫った仏像は 細かい干割れは多く出るものの・・・、却って突き抜けるほどの干割れぬは成らないそうです! 乾燥させた用材の方が、却って突き抜ける干割れに至る事が多いと 踏んでいたんですね!


【鑑賞の後に…】
仏像にはそれぞれに力が存在するを感じました。 、本特別展の数日前に 多摩美大 美術館の特別展「神 仏 人」を見てました。そちらは空いていた所為もあるのでしょうが、実にのんびりと楽に鑑賞できました。 それに比べ、本展は 、楽ではありませんでした。 素晴らしい秀作を堪能と云うよりは、、毛色が違い、工夫の見どころのある作品を揃えたようで、秀作を揃えて鑑賞の一般の展覧会とは相違ででしたが・・・、 そこそこの力を持った作品が集められていたのか 、多摩美の特別展よりは圧力が違うように感じられました。仏像にはそれぞれに力が存在するを感じました。 まだ見ぬ 東博特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」や、サントリー美術館の「京都・醍醐寺展 真言密教の宇宙 」の風圧が楽しみです。 力ある仏像の鑑賞はそれなりにエネルギーを消耗し、楽では無いのだと思います。本展は秀作の鑑賞と云うよりは、造った仏師が如何に工夫しているかを見抜く・発見する訓練のように思えました。
仏像彫刻は 儀軌で大体のフォルムは規定されて居るものの、そこには若干の自由が存在していて、その自由の範囲内に仏師たちは、独自性や工夫を凝らして、アーチストとなる。そんな事を認識したのでした。


★6日の勉強会の個人発表のコーナにて45分ほどの時間を頂き、 特別展「仏像の姿」~微笑む・飾る・踊る~の鑑賞と、記念講演会に一緒した方と・・・、上の趣旨にて 共同発表をしていました時に この特別展の狙いは、 同展の副題コピー 「仏師がアーチストになる瞬間」にあると思いました。 その発表の時に 付け加えて説明したのですが・・・、 この記事に在りませんでしたので、 下段に加筆させて頂きます。

【同展の副題コピー 「仏師がアーチストになる瞬間」】
上のコピー(キャッチ-フレーズ)は ちよいと わかりづらい向きもあるかと、自分の解釈を述べさせて頂きます。
まず仏師です。仏師は 彫刻家の中で特に仏像を専門に作る者を指す。 と一般にはとられていますが、 仏師を彫刻家としてしまうのには? です。往時は 彼らは彫刻を彫っている彫り師と云うよりは・・・、 施主の依頼のもと 仏像(仏教の信仰対象である仏の姿) を彫り上げる技術者の側面もあるでしょうが、 写経と同様に宗教行為との側面も少なくなく、多くは技術者では無しに僧侶の意識ではないのでしょうか?
次に仏師は儀軌(仏,菩薩,あるいは神を対象に行う儀式や祭祀の規定)の中に、その仏、菩薩の尊榕も書かれている)。修法に必要な仏像類はすべて儀軌に準拠して彫刻され,図絵にされた。 各仏像を造るのであって、 芸術彫刻のように自由にその姿態・姿勢を造れません。そうした規制の中での造像ですが、 儀軌の文章に限界もあり、添えられた図も略図であって、実際の仏像との間にはかなりの隙間として自由裁量の部分が存在してます、 その隙間的 自由裁量の所に、仏師の工夫、独自性が発揮されるのです。 顔の説明に慈悲相・瞋怒相とあっても、目鼻口の形態や配置の設計図に至りません、それを具現する際に 此処仏師の裁量が入る余地が在り、それぞれの仏像が違った印象の像になっているのだろうと思います。在る仏師は儀軌を緩く捉え、自由裁量を増やしています。 儀軌に衣の柄の指示はないと思います。 されど在る仏師は切金で荘厳しています。そんな仏師の自由裁量の工夫、独自表現がなされているを 「仏師がアーチストになる瞬間」とコピーしたのだ と感じました。 本展の狙いは仏像鑑賞時に儀軌の図像的意味と並行して、その仏師の自由裁量部に施した芸術性も自分知識と自分の感性で、鑑賞すべきと 示唆されて居るように思えました。 簡単な事を大仰に書いてしまいましたが、我ら仏像愛好の仲間には日の浅い方もいらっしゃり、 そちら向けの老婆心と寛恕ください。 中級は入門・初級の上に築けるもの。この「集」の意義は「仏像への誘い、初心の方へのご案内もとえ考えてますので・・・、ご容赦 m(__)m  。

  2018年 10月1日 夜 孤思庵  (10/9加筆修正)