孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

仏像愛好の集 7月7日 定例会にて 「問い合わせ」 の続編

7月9日に掲載の記事『仏像愛好の集 7月7日 定例会にて 「問い合わせ」 』 に対して、 三浦さんより御返事を頂戴しました。

以下 三浦さんよりの メールです。

先日はありがとうございました。

私の質問に対してごブログにとり挙げ、真剣に回答していただき本当にありがとうございます。

例の仏像、この仏像の所有者は中国からの骨董品バイヤーに見てもらいました。清時代に作られた阿弥陀三尊の右脇侍でお土産でなくて信仰対象として民家の仏壇上の置物だそうです。

これも一つの勉強になりました。”集い”の参加とブログを拝見させていただき、多々勉強になりました。もっと勉強したいと思いますが仕事や雑用で忙しくてきちんと学習することができませんでした。

仏像すきの私ような素人は仏像に魅了され感動され癒され、他に左右されずに自分の独自の思考で鑑賞に楽しんでいる方は大勢いると思います。好きな仏像と出会ってこころも豊になり、人生はもっとハッピーになります。

私は集いの”自由参加”の方針に感謝します。8月4日には先約あり、何時か都合がついたらまた参加させていただきます。

どうぞよろしくお願いします。

三浦

追伸 このメールを芝さんのブログに掲載していただいても構いません。 三浦 漢字のままで結構です

以上、 三浦さんよりの メールです。


【三浦さんへ、孤思庵からの返信 】
メール 有難うございます。 中国からの骨董品バイヤーの見立てで、清時代に作られた阿弥陀三尊の右脇侍でお土産でなくて信仰対象として民家の仏壇上の置物は 納得です。

清代は特に浄土教は在俗者による信仰が盛んだった。明代(1368-1644)、清代(1644-1912) を通じて、浄土教は中国仏教の主流でありました。 このことを知る中国からの骨董品バイヤーの強み の見立て根拠でしょう。餅は餅屋でしたね!日本の仏像は見慣れるも、中国の仏像・仏像事情は不得手です。

清代は17世紀~20世紀、日本では江戸時代の寛文年間 から近代の明治時代に当たる長い時代ですので、 どの頃の作品と見たてられたのでしょうか?! 興味です。おそらく17世紀、18世紀(日本では江戸時代)は無いのではと想像します。
いずれにしましても、 真鍮製ですので、 古い時代のものでは無いとの、 拙見立ては外れなかったと、安堵です。

阿弥陀三尊の右脇侍(勢至菩薩)は納得です。おそらく手の位置(内外の何方かを垂らす)・・・で、右脇侍と 見られたのだろうと思います。 右脇侍(勢至菩薩)とまでは、当てられませんでしたが、かろうじて観音菩薩ではないはセーフでしたね。

今回いろいろと勉強になりました。 仏像ファンの中で、仏像コレクターは少数派です、
仏像コレクションの仲間ができると また楽しいかもですね! 今後も宜しくお願いします。

尚、yahoo知恵袋への質問の件は その後、 閲覧数:21 と 増えましたが、 回答数:1 のままで、 有効な回答は有りませんでした。