孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

仏像愛好の集 のメンバーTakさんからの投稿 近況報告(6月中旬)


仏像愛好の集 のメンバー Takさんからの投稿
 
●先日は奈良の親子ツバメの事をお話ししましたが、今日(15日)夕方には、以前にもご報告したことのある、私の自宅近くにある住宅のカーポート庇にあるツバメの巣を毎年観察していましたが、今年もやはり昨年の巣に黒い子ツバメが4羽顔を出しているのを見つけました。最初は自家用車の陰からしばらく見ていましたが、動きが無いので巣の下まで入っていくと、子ツバメは一斉に口を開けて警戒しているのでしょうか、動きが激しくなりました。下がって見ていると、親ツバメが帰ってくると子ツバメの啼き声が大きくなり、親ツバメが一番端の子ツバメの大きな口に餌を押し込んだ感じでした。親ツバメはすぐに外に飛び出して行くと、子ツバメは啼き止み動かなくなります。今年も自宅近くで観察をすることが出来るようで、楽しみが出来ました。
 
●私宛に届いたメーリングリストの中に、学生時代のサークルの同級生からのものがありました。一昨年暮れに集いの会のメンバー有志でお邪魔した鎌倉市内のお寺(浄光明寺)の奥さんからの情報でした。横浜市営地下鉄センター北駅」近くの「横浜市歴史博物館」の常設展示室の一隅に展示するということで、博物館側から奥さんに展示資料の提供依頼があったそうで、資料や写真を当時の仲間からもかき集めて博物館に届けて、何とか小さなスペースに学生時代の活動報告が展示された、ということでした。「小机城跡の発掘調査」についてのミニ展示が期間を区切って展示紹介されたということです。博物館は私の自宅から地下鉄利用で片道30分弱で行ける場所です。これまでにも幾度か出掛けたことがありますが、日頃はあまり興味のないものが多く、足が向かなかったところです。小机城跡は、JR東海道新幹線「新横浜駅」近くの史跡で昭和39年、40年に3回わたって発掘調査をしました。私は当時あまり関わっていなかったので細かいことは知らず仕舞いでしたが、当時は同級生や先輩などからは様子を聞いていました。お世話になった奥さんが中心になって熱心に携わっていたことを覚えています。展示期間が716日(月・祝)までということで一度出かけてみようかと思っています。
 
また「小机城址」は見応えのする平山城で、私は社会人最初の勤務地が「横浜線」の「鴨居駅」近くだったことから、隣の小机駅から間近かの小机城址は何回か行ったことがありました。学生時代の仲間の発掘現場の跡も見て廻ったことがありました。築城時期や築城者は不明ですが、室町時代からの城(砦?)と聞いていました。戦国時代には「北条氏」が土地の領民を「小机衆」として組織し、拠点としていたようです。また豊臣秀吉の「小田原攻め」の際は小机衆は城を出て小田原城に籠城した記録があるそうで、城は無傷のまま残ったようです。その後徳川時代に入って廃城となりました。私が行った当時は、城山(といっても標高50mもないような丘陵地)は竹林が多く、それでも空堀、二の丸跡、本丸跡、やぐら跡などがありました。あまり手入れしていない感じの場所でしたが、現在はどうなったでしょうか?
 
東博の秋の特別展「大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展のパンフレットを見て、ちょっと気を付けなくてはということがありました。既にネットの展覧会サイトでも説明がありますが、展示予定の仏さま:「本尊・釈迦如来坐像(行快作)」、「十大弟子像」(10体勢揃い・快慶作)、「六観音像」(6体勢揃い・定慶作)のうち、六観音像の展示方法です。最近の展覧会では、仏さまの四周から拝観出来るようにガラスケース入りや露出展示での方法が取られています。寺院安置の際には光背が当然のようにつけられているものが、展示会場では光背を外して展示されるケースが多かったのですが、今回の六観音像はオープンの102日(火)から1028日(日)までは光背付き、1030日(火)から閉幕までは光背外しとなります。光背が無ければ当然の事で、仏さまの背中が良く拝することが出来るようになります。京都のお寺では、宝物館の壁に一列に並んで安置されているので、背中は普段拝観出来ませんので、是非六観音像の背中の拝観のために、老婆心ながら展覧会は最低2回は足を運んでください。ある先生に六観音像の背面画像を見せていただいたのですが、腹帯からの裙の折り返しが正面からだけでなく、背面の折り返し衣文の表現が「手を抜いていない」綺麗な彫りのしっかりした造りになっていました。お寺で仏さまに向かった時は、いわゆる宋風の衣文の過剰な皺襞表現があまり好きになれなかったのですが、今回画像でですが各仏さまの背面姿を拝してみて、あまり気になりませんでした。実際の展示場所で仏さまの背中を拝したいと思います。皆さんも是非仏さまの後姿に注目してください。
特別展「大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展  https://artexhibition.jp/kaikei-jokei2018/ 
 
●今年4月に鎌倉で開催された「高徳院・国宝銅造阿弥陀如来坐像シンポジウムー保存と修理―」は都合で聴講が出来ませんでしたが、身近な「鎌倉大仏」なのに、古文書史料や由来などについて専門家でも判らないことが多く日頃から気になっていたので、鎌倉市の職員に概略お話しを伺いました。平成12年度と13年度にかけて発掘調査が行われました。「鎌倉の世界遺産登録」に向けた活動の一環で、これまで多くの謎を秘めた鎌倉大仏を知ろう、というものでした。
①大仏は誰が何故作ったのか?資金調達は如何したか?②木造と金銅仏製の大仏は何時作ったのか?⓷大仏殿は創建時に造ったのか?大きさは?④鋳造の金属調達は?⑤中央や東国の古文書に記載が少ないのは何故か?⑥幕府や御家人などの支援はあったのか?などなど。
当の職員には以前に名刺を頂いたりしていましたが、時間をかけて話しを伺ったのは初めてでした。鎌倉大仏について少し時間を取って説明してくださいました。彼は昨年来から「永福寺」も話題になったりで、職員の出番は多く忙しかったようです。帰り際に、「職員に講師になっていただき、集いの会メンバー少人数でレクチャー(時節柄、永福寺鎌倉大仏極楽寺か)を受けたい」旨をお願いしたところ、「市役所の勤務との調整が必要だが協力する」とのことで良い感触でした。
 
手間を省いて、69日(土)午前258 のメール記事をコピー貼り付け。
羽黒山五重塔特別拝観」、「羽黒三所大権現・秘仏本邦初公開」
五重塔特別拝観…H30428日(土)~114日(日)8301630 500円(共通券700円)。
羽黒山頂儀式殿・三所大権現公開…H30428日(日)~114日(日) 8301630 300円(共通券700円)。
出羽三山神社の三神合祭殿再建200年、羽黒山神社150年に当たる佳節の今年、貴重な行事が行われるとのことです。昭和41年(1966年)国宝指定の五重塔初層が廃仏毀釈以降初の開扉、出羽三山の守護神である三所大権現の公開。適切な秋の時節を「羽黒山トレッキング巡拝」として予定したいと思っています。残念ながら昨年の白山信仰1300年行事には満足に巡ることが出来なかったので、今回は是非にと考えています。
学生、社会人時代には山歩きのみの考えで、「出羽三山」の登山を計画したことがありましたが、交通不便ゆえに実現しないまま現在まで来てしまいました。でも新幹線も出来て以前よりは楽に動けます。今回は、三山まで欲張らずに「羽黒山」だけにするつもりです。三山は、「月山」:過去、「羽黒山」:現在、「湯殿山」:未来、で自然と信仰の世界です。これから具体的に計画を立てていきます。
 
2018616日 AM0:30   Tak