孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさんより 投稿 閑話休題(4月下旬からGWへ)


仏像愛好の集のメンバー Takさんより 投稿がありました。


久しく留守をしていました。昨夜帰宅し、今日は家の片づけや家事諸々をしていまし
た。

4月下旬からGWにかけての生活から抜粋のメールです。申し訳ありませんが私の
メールはほぼ自身の「記憶」と「経験」にもとずくもので、あまり学術的な内容では
なく、「記録」の報告とは違いますので、気が向いたら眼を通して下されば結構です
し、ブログ掲載が適切でないと思われれば、無視してください。



●4月25日(水)「半蔵門ミュージアム」では:

深夜・早朝からの大雨にもかかわらず、待ち合わせ場所に参集下さった方は3名(弧
思庵さん、Gouさん、Kitさん)、ありがとうございました。待ち合わせ場所のすぐ
隣、隣の建物で傘も必要ないほどの数歩の距離にミュージアム入口があります。開場
時間すぐに、いの一番での入場となりました。まだロビーにウロウロしている時分に
Fujiさんも顔を出して下さり、5名で会場を巡ることとなりました。私は最寄り駅か
ら乗り換えなしで30分強のところでしたし、自分本位での参集場所に指定していまし
たが、最寄であることには変わりないのですが、遠くからお越しの参集下さった皆さ
んには、雨の中を何回も乗り換えられて時間をかけて来られたことに感謝します。

受付で伺ったら2014年のビルの完成だそうで、新築のビルで内装も木調と大理石など
の石造りなどがマッチしていて、格調高い雰囲気です。相当に投資された結果の
ミュージアムかと推察しました。朝方から5名の拝観客(他に数名お見えでしたが
…)ではもったいない、そんな感じでした。これなら立川本部ではなく半蔵門に展示
場所を造られた意味があるな、と感じました。長野・善光寺で信者の方から「一般公
開時期」を伺ってから2年が過ぎていました。ミュージアムの立地場所は都心の一等
地で、英国大使館、皇居内堀も目の前で、ビルの規模も大きくさすがというところで
す。私の乏しい見聞では、京都「龍谷ミュージアム」の会場がやはり真新しい立派な
ビルでロビーから広く、2、3階と展示場が取られているところなど、そっくりの印象
です。ここでは展示はB1F、2Fと分かれ、シアターも3Fにありました。私たちの拝観
は、職員に案内されてエレベーターでの移動・拝観となりました。来場者が他にいな
いのに、各階共に多くの案内の女性職員が対応して下さいました。むしろ過剰なほど
の対応と感じるほどでした。

会場では、ガンダーラ仏教美術では石造(主に片岩製)の釈迦誕生の説話にまつわ
るものが多く、「占相」、「出城」、「梵天勧請」、「王の帰依と涅槃」など、また
両界曼荼羅」、「不動明王座像」(康正作・1606年)、「大日如来坐像」(山本先
生いわく運慶、1193年)、「神護寺経」(紺地金字一切経平安時代)、「真言八祖
画像」(八幅)、「弘法大師画像」(室町時代)などを拝観することが出来ました。
受付で頂いた「展示品目録」に記載された順番に巡ることが出来ました。とにかく
龍谷ミュージアム」の弟分といった感じのミュージアムに仕上がっていました。展
示美術品も同様ジャンルの西域、中国・日本での作品展示でした。「大谷コレクショ
ン」の充実ぶりから「龍谷ミュージアム」を超えることはないですが、都心で日頃出
掛けるには、適当かと思います。会場の照明は全体に暗めに感じましたが、要所要所
はLED照明がスポットで照らしており、あまり不都合は感じませんでした。最初から
最後まで貸し切り状態で、他に入場者がいないのがちょっと落ち着かない感じでし
た。次回は、「信仰の絵画」とのタイトルで8月1日(水)〜11月11日(日)の予定だ
そうです。

「シアター」は、「以前の東博・資料館」、「現在の東博・東洋館B1F・ミュージア
ムシアター」と同様に、前方右手入口から入場し、左サイド背中側にスクリーン設
置、正面にシアター形式のソファ数十席がシアター形式に並び、左右に緩い階段が付
いているレイアウトです。つまり、座席側から見ると向かって左側から入ってきて正
面スクリーン、スクリーン向かって右手横に画面操作用卓と機器が設置されている、
というところまで新旧・東博と同じです。また、映像の制作・編集が「凸版印刷」で
あるところも東博と同じでした。約15分の映写会でしたが、画面は大きく鮮明でよ
かったです。入口の案内板によると、30分置きに映写会を実施しているようでした。
東博のように3D方式か否かを聞くのを忘れました。

また、いくらかの「図書」コーナーもあり、飲み物のセルフサービスコーナーや休憩
コーナーもあり、のんびりするには心配りは十分です。今後も入場無料でよいので
しょうか?でも真新しい、きれい、静か、図書あり、お茶飲み放題、入場無料、各階
に女性の案内員付きとはいえ、入場者無しでは普段一人では気後れして出かける感じ
ではありませんでした。今後は、館長の講演会があるようですが、他に時期によって
何か企画もののイベントでもあるのでしょうか?当ミュージアムの所蔵コレクション
にはどのようなものがあるのか、知りたい気になりました。あまり「真如苑」という
宗教団体とはこだわらずに、美術・文化財の開陳という趣旨で受け止めていきたいで
す。

大日如来坐像」は、単独で展示されていましたが、特にこれといった細かな展示ま
での経緯などの説明などは無く、簡潔な展示でした。最後のコーナーに運慶像の胎内
納入物などの写真パネルや説明パネルが若干展示されていました。像そのものについ
ては、これまでに集いの会でも多くの説明や資料を眼にされていると思いますから、
省略します。

退館後にFujiさんと分かれた後は、GouさんとKitさんの案内で、ミュージアムからほ
んのわずか近くのビルの2階の定食屋さんで昼食となりました。ビジネスマンが多く
靴を脱いでの奥の座敷でしたが、厨房では近所の女将さんといった感じの方々がいら
して、気楽な感じのお店でした。各々の注文した品はみな美味しかった、とのことで
した。





●4月26日(木)〜:「炎の陽明学山田方谷伝〜」(矢吹邦彦著・明徳出版社・440
ページ)、「佐藤一斎〜克己の思想〜」(栗原剛著・講談社)の2冊をひろい読み返
し:

明治維新150年」の今年になって、改めて他のイベントや書籍を探しています。こ
れらの書物から私が疑問に思っていた「何故武士は藩や主家や家名、忠君などの事あ
るごとにいくさをし、挙句の果てにみずから“死”を選ぶのか?単に血の気が多かっ
ただけなのか?面子やプライドで生きていた武士はそれでも満足かもしれないが、他
の婦女子、配下の残された者たちはそれを望んでいたのか?」という、武士層の死生
観についての基本的な考えに少しは行き着くものではないか、と思いました。単純に
云うと、自分一人の美化、自己満足としての“死”ではそれで歴史は終わりです。み
ずからの“死”を肯定するのではなく、みずからの“次”に繋がる何かを持たなくて
はならない、それが歴史を終わらせない“伝承”であり、“教育”なのだと思うので
す。いつの時代にも単なる次世代への血筋の継承、文化の継承ではなく、そのための
人育て、人材教育がすべてだと思うのです。幕末からの識者の考えは、「治者は民の
父母であれ!」という江戸時代の全国の藩でのモットーが大きかったのだと思いま
す。二松学舎創建の三島中洲、東大・京大総長を勤めた山川健次郎、熊本第五高等学
校の秋月悌次郎などの維新の激動を潜り抜けた後は、人材の育成に取り組んできまし
た。新政府も欧米に列するには、資源・財力・武力の無いことを認識し、仇敵の幕臣
といえども重用し、寺子屋教育・私塾がベースにあった日本の人材育成環境に、明治
の列強対応政策が明確に上書きしたのだといえます。維新の改革は目覚ましいものが
あったのですが、次世代の統帥権などの軍部の権力掌握が日本を誤った方向に誘導
し、1945年まで長いこと誤りを正せなかったのです。明治新政府の民主主義の創造
は、長続きしなかったのです。





●5月4日(金):「龍谷ミュージアム」では:

私が今年の3月下旬に伺った京都・西本願寺向かいの「龍谷ミュージアム」のシリー
ズ展「仏教の思想と文化〜インドから日本へ〜」(1/9〜2/12、3/3〜3/31)では、仏
教がインドで誕生し日本に至るまでの2500年の歴史を、アジアと日本に大別して階を
分けて展示・解説していました。主に龍谷大学所蔵の文化財・美術品の展示でした
が、仏教誕生から中国の仏教までは、釈迦の故事説話にちなんだ「石造仏坐像」、
「石造仏伝浮彫・梵天勧請」、「托胎霊夢」、「出家決意・出城」、「降魔成道」、
「初転宝輪」、「涅槃…」、日本の展示では「唐招提寺」、「薬師寺」、「園城
寺」、「三室戸寺」、「東京国立博物館」などからも「曼荼羅図」や仏画、法具、仏
像などが展示されていました。

現在は、4月21日(土)〜6月17日(日)にかけて、「お釈迦さんワールド〜ブッダ
なったひと〜」のタイトルで同じような展覧会が開催されています。ガンダーラ石造
仏・浮彫、中国仏画や「出山釈迦立像」(奈良博)、「悉達太子坐像」(仁和寺)、
「涅槃変相図」(遍明院)などの出展です。

ホテルを早めに出立して、時間つぶしに「西本願寺」に寄り、寺域内からと龍谷大学
キャンパス(洋館のきれいな学舎が並ぶキャンパスも必見!)側からの「唐門」(別
名・日暮門、国宝、伏見城の遺構ともいわれる))の「桃山文化」の絢爛豪華、きら
びやかな門構えが感動モノです。厚く何重にも葺かれた檜皮葺の豪華な「唐破風屋
根」の門構えに、随所に打ち付けられた金地金具、釘隠し、軒や庇の金具彫刻文様、
随所に施された菊の御紋章と桐の紋章、両脇の宋風故事にちなむ彫刻、扉浮彫板絵の
「獅子像」、特に表面の浮彫板絵には幼い獅子に乳を与える母獅子像、2頭の子供獅
子と戯れる親獅子像などの、ほほえましい姿も交じっており、飽かずに魅入る建物に
なっています。わざわざ唐門まで脚を運んで来られる方々が、短時間で素通り同様な
のには「もっとよく見て行って!」と声をかけたいほどでした。2〜3年前には「西本
願寺・飛雲閣」(国宝)の三層楼閣と池泉庭園が公開されて、私も中まで入って充分
に鑑賞した覚えがあるのですが、現在は改修工事中で、建物にはネットがかけられて
観られません。隣の「興正寺」境内からの眺めも遮られています。

10時になって、西本願寺前の幅広い「堀川通り」をわたり、「龍谷ミュージアム」を
拝観しました。いの一番ではありましたが、それでも幾人もの入場者があり、GW期間
中は多めなのかな、とも感じました。展示会場は2階と3階に分かれ、2階では「お釈
迦さんの時代」、「お釈迦さんの生涯」、3階では「お釈迦さんを追慕する」、「お
釈迦さんの遺骨」とのテーマ毎に150点ほどの貴重な展示品が並んでいました。最初
は、日本各地の美術館からも多くの文化財が出展しており、普段は「東博・東洋館」
辺りでしか観られないような西域地方の出土品などが多く、「釈迦の生涯」、「釈迦
を追慕する」ではガンダーラの仏伝を基にした釈迦誕生から入滅までを、石籠や仏
画、涅槃図、経典、金銅誕生仏など、また「釈迦の遺骨」コーナーでは、石造浮彫仏
伝や舎利、「安養寺・釈迦如来立像」(清凉寺式)などを、間近かで拝見することが
出来ました。彫像では、「出山釈迦立像」(重文・南北朝・14世紀・奈良博蔵・木
造・金泥仕上げ・玉眼・像高約1メートル)が出色の像として印象的でした。6年間の
苦行の末に修行の無益さを知り、自ら山を下りた釈迦の姿、痛々しいほどに頬肉が落
ち、あばら骨の浮き出た痩せた身体、木の枝の杖をつく姿が本当の人間のように観え
ます。

「悉達太子坐像」(重文・院智作・鎌倉時代仁和寺蔵・截金彩色・玉眼)は、納入
文書により出家前の釈迦であることが知られる像で、体内に月輪が収められていたそ
うです。出家前というのに肉髻珠、白毫、三道をあらわし、耳朶を環状にし、如来
姿をしている。それでいて角髪を結ぶ中国風の童子形をしている、不思議な像です。
東博仁和寺展」でも出展していました。

また思いがけず、数年前に「大津市歴史博物館」で拝観し、「寺島」先生にお会いし
てしばらくお話しを伺ったことのある「釈迦涅槃像」(新知恩院蔵)がガラスケース
に収まってポツンと展示されていました。ほとんど脚を止める人のいないかわいそう
な仏さまでしたが、お陰でジックリ拝することが出来ました。大津歴博展示の時とは
違い、きちんとセットされた状態で展示されており、仏さまは蓮華台座様の枕に頭を
載せ、三層の寝台・台座の上に横たわっており、台座は江戸時代の後補のようです
が、涅槃図にあるように釈迦の涅槃の場に集まった動物たちが描かれています。収納
されていた木箱は無く、大津歴博のようなばらばらに分解された展示ではありません
でした。それでも、釈迦像の胸の水晶は、当時拝した以上に輝かしく磨かれていると
思われ、着衣の「截金文様」ははっきりと鮮やかに浮き立って、衣文の彫りも丁寧に
きれいに彫られていました。13センチほどの小像ですが、そのまま等身大に引き延ば
しても破綻の無い姿で拝されるのではないか?と思うほどです。当時、寺島先生は像
の顔立ち、耳のかたち、衣文の表情が快慶あるいは善円の作風と似ている、との話し
がありましたが、その後どうなっているでしょうか?私は似ていないと思っています
が…。

なお、「釈迦三尊像」(重文・14世紀・元・東福寺蔵)の3幅の画像中、「普賢菩薩
騎象像」では普賢菩薩の乗る白象の頭には何も乗らず、牙2本(左右各1本)で、耳朶
にイヤリングをしていました。後期出品の「釈迦三尊像」(重文・良全筆・南北朝
兵庫清荒神清澄寺蔵)などや他の宋、元からの請来仏画を拝してみると、これまで他
の展示会や寺院での見慣れた日本風の展示作例とは異なる、独特の中国風の雰囲気と
作風の仏画が多く、一種独特の雰囲気になりました。

龍谷ミュージアムのシアターは、最上階の3階にあります。映写会開催の案内が展示
会場内にアナウンスされて、鑑賞希望者を誘導されます。やはり数十席規模のシア
ターで、大型スクリーンに4Kハイビジョンの超高精細画像で「ベゼクリク石窟大回
廊」の映像が上映されていました。ちなみに2階にはベゼクリク石窟大回廊の原寸大
の復元展示コーナーがあります。



結局龍谷ミュージアムを退出したのは、午後2時過ぎになっていました。急ぎ京都駅
に戻り近鉄奈良駅へ向かい、「興福寺北円堂」諸仏を拝観しました。予想外に拝観
者が少なく、拍子抜けしました。案内のお寺の方々に伺うと、もともと関心のある方
東博「運慶展」に行ったのではないか、毎年決まって来られる近隣(大阪の周囲地
域)が多いそうです。結局はお堂を閉める午後5時過ぎまで、その場にお邪魔してし
まいました。





●5月5日(土)「木津川・現光寺・十一面観音菩薩坐像」開扉(5月5日のみ):

早朝からホテルを出発し、「加茂駅」改札に隣り合った「観光案内所」に、昨年秋に
現光寺収蔵庫で説明を受けた男性がいらっしゃったので、立話し。念のために現光寺
海住山寺コミュニティバス便を伺ったが、今日は現光寺開扉が1日のみで×、加
茂駅からの恭仁宮跡経由で海住山寺の山の下までのコミュニティバスも平日運行のみ
で×ということでした。止むを得ず現光寺⇒海住山寺を徒歩で登り(約1時間)、海
住山寺⇒加茂駅を徒歩で下る(約30分)ことと見積りました。昨年の男性に伺うと
「普通はタクシーでしょうね。現光寺に待たせておいて、拝観後は海住山寺まで向か
う。また待たせておいて駅まで下る。それで所要時間1時間。」という返事だった。
タクシーを脚に使うと効率は良いが、待たせるということは拝観時間を制限されてし
まうではないか。やはり、いつもの通り自分は自分のやり方しかない。老いた身体に
鞭打って、すべて徒歩行程としました。

現光寺の寺宝として重要な2点の仏さまが公開されるということで、出かけたのは
2017年11月1日でした。重要な2点とは「十一面観音菩薩坐像」、「四天王像・4躯」
です。今まで管理担当の海住山寺に拝観をお願いしても、1名や少人数での拝観はダ
メ、10名以上との但し書き付きで都合がつけば拝観可能だが30分程度、ということで
したが、木津川市教育委員会の企画により奈良博の協力で、公開が出来たものでし
た。思いがかなった当時の様子は、興奮して弧思庵氏宛てにメールを送ったのを覚え
ています。

で、今回も勝手知ったるお寺までの道すがら、新しい発見遭遇に期待しながらのんび
り出掛けました。天気は上々雲が少しあるものの風もさわやかで、気分爽快の日にな
りました。開扉の午前10時まではたっぷり時間があるので、駅近くの「御霊神社」石
鳥居から参道をまっすぐに歩き、既に昨年の拝観など2回ほど訪れている現光寺手前
にある燈明寺山の懐に位置する「旧燈明寺跡・御霊神社」に立ち寄り、何年もの間横
浜・本牧三渓園」に行っていないことを思い返しながら、誰もいない石段をのぼり
宝物館や五重塔事跡や御霊神社の社を巡りました。今年は南山科地域の寺院公開に合
わせた形での公開はないということを知っていたので、周囲を巡るのみで、少し早め
に土手沿いに現光寺に向かい、10分もかからずに小さな橋を渡りすぐに民家の間を抜
ける路地から現光寺敷地内に入りました。奥の朽ちた本堂前に新しく白いコンクリー
ト造りの収蔵庫が建ち、手前で折り畳みテーブルひとつの受付が出来ていました。昨
年と何も変わらずの佇まいです。お堂の前からは木津川を挟んで街並みを望み、その
先に南山科から海住山寺を包む山並みがなだらかな波打って望めます。すでに拝観者
がいらしたので伺ったところ、9時30分前に早めに開扉してくれたそうで、私も9時30
過ぎには受付を済ませて収蔵庫に入りました。先ほどの拝観者はごく短時間の拝観
だったようで、受付の方に伺うと拝観時間は5分だったそうです。もったいない!

お目当ての「十一面観音菩薩坐像」は、今日1日のみの開扉ですから、昨秋同様に心
に焼き付けなければと、覚悟して靴を脱ぎ階段を上がりました。思い返せば十一面観
音菩薩坐像だけでしたら、平成24年(2012年)春に奈良博で開催された「貞慶展」
(鎌倉仏教の本流・御遠忌800年記念特別展)に出展されており、それが最初の出会
いでした。6年前の最初の出会いと昨年秋の出会い、そして半年後の今回の出会い
と、仏さまに3回拝してもまだ失せない感動があります。帰宅したばかりで今日は纏
めるには自分の頭が働かないので、昨秋のご報告を思い返しながら、次回にまとめて
みることにします。もし、昨秋の弧思庵ブログ掲載の報告「今秋後半の巡拝旅行報
告・第2弾」(2017年11月17日付)が検索出来るようでしたら、参考までにどんな仏
さまか想像しながら、眼を通してみてください。





2018年5月7日  AM1:30 Tak