孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

弘明寺 鉈彫り十一面観音立像 頂上面は 姫神では


昨今 サークルスクエアのつぶやきに、弘明寺の鉈彫り十一面観音立像 を観に行かれたり、その計画をお持ちの方が散見されましたので、 昨日3日の 勉強会で「弘明寺の鉈彫り十一面観音立像ーその不思議な頂上面ー」 を一緒にディスカッションで 考えてみました。

弘明寺十一面観音の頭頂部突起の正面、背面、側面の写真を載せます。画像をクリックして拡大して見てください。皆さんはこれが女神に見えるか、立像の化仏に見えるか、いかがでしょうか?




  • 12時間前
  • 仏像好き 孤思庵
  • MMさん、御対応ありがとう存じます。 皆さん 一番左の画像、 正面のお顔全体をご覧ください。 十一面観音の他の頭上面と 比べて、頂上面を見ますと、 それが私には 和式の姫神の様に感じられるのですが・・・、皆様には如何 見えますか? 確かに 頂上のそれのまた頭上の突起は??ですが。、
    • 12時間前
    • 仏像好き 孤思庵
    • かと言って、MMさんの見たての様に その頂上面を化仏を頂いた菩薩面と見ますと この頂上面の意味合いは、如何になるのでしょうか? 皆さま 如何に思われますか?





3日勉強会のディスカッションの場での、Mさんの説明に、「学者の見解に  私が女神に見えるといった 上半身の 頂上面の 見解に 依代か 化仏かの両意見があるとの事」、そのキーワードで合点が行きました。

言われるとおりに依代か 化仏との見方に 反論するものでは在りません。 私もどちらかかと思います。存在意味的に 依代にせよ 化仏にせよ、かまわないのです。 只、 それが女神の形を とっていると 言っているのです。

 Mさんの説明に、 上半身 (私には女神の姿に思える)の頂上面全体が、  依代か 化仏かとの両意見があるとのとらえ方をMさんはされたようですが、 私には、その両意見の事は、上半身全体の斟酌では無しに、その像の頭上に付いている突起を論じているのでは と思えたきました。 その顔の上にある突起部分が  依代に、 化仏に 取れると 学者は言っているのかもしれないと・・・、
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よしんば、その論議の対象が 突起部分のみの考察で在っても 、上半身形の 頂上面 全体としても、
 それが、依代か 化仏かとの 両意見に反発するもので無いのです。

依代 : 神霊が意志を伝えるため人間界に現れるときに依りつくものをいう。樹木,石,幟,柱,御幣,人間,動物などが依代となる。

化仏 : 衆生済度のため、機に応じて如来・菩薩が出現させる仮の仏形。 また、菩薩(ぼさつ)などがその本地仏を表示するもの。

依代とも 化仏とも、そのどちらの見解も納得できます。 私は ただ、頂上面 全体が 女神の形をとっていると言いたいだけなので して、そげが依代でも化仏でもよいのです。  只それを どう見ても 女神の形では ないですか?

(男神や,ほかの形 で無しに)女神の形をとるに点に着目なのです。 この鉈彫り十一面観音が、 白山信仰の山林修行者の手に成るのではとの推測の根拠が、下段なのです。



伝承では、奈良時代修験道僧である泰澄は、幼少より十一面観音を念じて苦修練行に励み、霊場として名高い白山を開山、十一面観音を本地とする妙理権現を感得した。平安時代以降、真言宗天台宗の両教を修めた宗叡は、この妙理権現を比叡山延暦寺遷座し、客人権現として山王七社の1つに数えられている。

  菊理媛神、又は菊理媛命は、 加賀国の白山や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。
神仏習合では白山比咩神は白山大権現、白山妙理権現、または白山妙理菩薩とされ、白山権現神仏習合の神で、本地仏は十一面観音とされた。

やがて修験者が信仰対象の山岳を修験の霊山として日本各地で開山するようになり、白山においても、泰澄が登頂して開山が行われ、原始的だった白山信仰修験道として体系化されて「白山信仰」が成立 したそうです。


それを考えますと、弘明寺の鉈彫り十一面観観音像は、修験道神仏混淆 の産物で・・・、 鉈彫りの 理由もしっくりきますし、 神仏混淆白山信仰での 逆本地垂迹 にての十一面観音像、その頂上面は  菊理媛命と見るのは 見当違いでしょうか? 依り代説で在っても、その依り代に降りてくる神は 菊理媛命と見るのは 見当違いでしょうか?


世界大百科事典 第2版の解説

なたぼり【鉈彫】

像の表面に丸鑿(まるのみ)の痕を残す木彫技法,およびその技法で作られた木彫像。鑿痕は像全体に施される場合と,正面だけなど部分的に施される場合とがある。彩色漆箔は施されず素地のまま仕上げられ,作風は概して稚拙,素朴である。10世紀以後平安時代後期を中心に製作され,鎌倉時代以後の遺品はまれである。関東地方を中心に,富山,愛知以東の東日本に遺る。かつてこれを荒彫の段階で放置された未完成像とする論があったが,鑿痕が意識的につけられたと思われる像が多いこと,年代的にも地域的にも遺品が偏在していることなどから,現在ではその表現効果を意図して製作された完成像とするのが通説である。


デジタル大辞泉の解説

なた‐ぼり【×鉈彫(り)】

表面に丸鑿(まるのみ)の彫りあとを残した木彫。平安中期から鎌倉初期の関東から東北にかけて多くみられ、未完成のものとする説もあるが、仏像彫刻の一様式と考えられる。神奈川県弘明寺(ぐみょうじ)の十一面観音像など。


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鉈彫
なたぼり


木彫の技法。鉈を用い,また鉈を用いたかのようにおおまかな面で彫刻するもの。アフリカ黒人彫刻にその作例が多い。日本の仏像彫刻では,像身表面に丸鑿 (のみ) の彫り跡を縞模様に残した像を鉈彫像と呼ぶ。一見未完成とも見えるが作例も多く,一つの造像法と考えられている。制作は 11世紀後半以降,平安時代末期に集中しており,関東,東北地方に多く分布している。古い遺品では弘明寺の『十一面観音像』が著名。




【 呟き】
鉈彫り仏像は、いわゆる仏師作の一般の仏像でなく、 山林修行者の造仏 霊木・神木 それ自体の霊性に感じて、 そこからそれに内在する ほとけを 掘り出しあらわす。 その信仰の為 霊木を彫ること自体に 読経・写経の意味合い同様に宗教的意味をもつ。

経典には、「仏像を刻む鑿音に は功徳があると書かれていて、鉈彫(なたぼり)はその音を視覚的に表した表現である可能性がある」とされる。 目に見えない 「音」 を形に表しすなんて、すばらしい!  ますます鉈彫り仏ファンになりました。