孤思庵の仏像ブログ

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「仏像愛好の集」 Takさんの投稿  新聞の運慶関連連載記事

「仏像愛好の集」 Takさんの投稿 

                新聞の運慶関連広報連載記事の宣伝
 
921日(木)の「興福寺文化講座」新宿教室には7名の参集があったようで、盛況何よりです。お疲れ様でした。
いつもながら、金子啓明館長のお話しは、お寺や仏さま、そして仏教の教えの世界を、新鮮に格調高く分析しており、新知見も多く、私にとっては感銘を受ける講座となっています。私は、第1講の後の休憩時間に、立ち話でしたが館長にお話しを伺うことが出来、あわせて充実した時間を持つことが出来ました。館長には感謝しています。手元にある館長の著した「北円堂無著・世親像私見」(S50年・Museum295 )を読み返そうと思っています。
また、第2講の多川貫主の講話も新シリーズに入り、分かり易く知らない世界について教えて頂けるので、興味津々です。この講座の10月から来年3月までの講座内容も分かり、毎月の開催が楽しみです。
 
さて、当日、切り抜きを持参し幾人かの方にはご紹介しましたが、直近のメールでもお伝えした「朝日新聞」の21日付の広報記事の他にも、夕刊に毎日連載の記事がありますので、ご案内します。朝日新聞を購読されている方には、いささかご迷惑かもしれませんが、記事の大部分は皆さんには、既知のことが多いはずですが、それでも新知見もあるやもしれず、メールすることとしました。この連載記事はいつまで続くか判りませんが、今後も気をつけて見て行きたいと思います。なかには新知見のこともあるやもしれませんから。また、掲載記事については、集いの会の定例会に配布出来るようにしたいと思っています。
 
921日(火)夕刊・2面(運慶をたどって―1東大寺・南大門・金剛力士像)
「運慶という名前は、中学生の時から知っていたと思う。鎌倉時代ごろの人で、奈良・東大寺の仁王像を造ったという。歴史の教科書にあった仁王さんの「にらみ」は、東北の田舎に住んでいた少年の記憶にもはっきり残るくらい迫力があった。」出だしは、朝日新聞の担当記者の記憶から始まる。第一回の対象作例は、そう「東大寺南大門仁王像」。これまでの通説から始まり、89年の修理時の経緯や、発見された資料などを紹介し、当時文化庁の故松島健氏の「運慶の名前を快慶の前に置き、しかも快慶よりも1字分高く書き始めている。運慶を差し置くわけにはいかなかったからではないか。運慶が快慶の阿形制作にもかかわり、全体の統括責任者だったことを示している」とコメントしている。・・・運慶が確かに造ったか、その可能性が高いとされる像は現在、約30体しかない。それなのに、仏教美術の世界では運慶は別格に扱われ、様々な議論がある。・・・「運慶展」を前に、謎の仏師ゆかりの地を歩いた。(編集委員・小滝ちひろ
現在私たちが知りうる、多くの学術的な資料や記録は、多くの人々の手により、古くからの貴重な文化財を消失や損壊から守りながら、実際に修復や記録を通して、多くの新知見が生まれて、私たちの眼の前に広がるということです。慎重で地道な作業によるものだということを、このような新聞記事の少ない行面にも、熱意がうかがい知れます。
 
922日(水)・夕刊・2面(運慶をたどって―2円成寺大日如来坐像)
1967(昭和42)年のこと。神奈川県に住む中学2年の男の子が、漫画家・石森(石ノ森)章太郎さんの事務所を訪ねた。小学生の頃から漫画少年。自信作を批評してもらうつもりだった。」・・・しかし、偶然その場にいた赤塚不二夫さんに一喝された。「今から漫画家になろうなんてダメだ。もっといろんなことを勉強しなきゃ」。・・・そのひと言で、少年の漫画熱は急速に冷めた。それでも美術への志だけは消えず、東京芸術大学で彫刻史を学ぶ。後に清泉女子大学教授となる美術史学者、山本勉さん(64)の、「人生の選択」だった。・・・大学2年生だった74年秋、古美術研究旅行に出かけた時に出逢った円成寺大日如来坐像を目の当たりにして、氏は運慶にのめり込んだという。その後、光徳寺・大日如来坐像や真如苑大日如来坐像が陽の目を見る場面に立ち合い、第1級の研究者としての地位を築いた。「あの時、赤塚さんに叱られなかったら、運慶の研究はしていなかったかもしれない」。さすがは「天才バカボン」の「パパ」だな。(編集委員・小滝ちひろ
こうした少年期の話しは、何かほのぼのと氏の姿を思い返して、現在の「山本勉先生」からはうかがい知れない、エピソードです。こんな記事も掲載されているところ、日頃、私たちが氏の研究内容を追って四苦八苦しているだけでなく、別の一面に接することが出来、楽しく読んでしまいました。
 
923日(木)・夕刊・2面(運慶をたどって―3興福寺・西金堂釈迦如来像・仏頭)
「運慶の仏像かどうかは、像の胎内に納められた木札の墨書に名前があればはっきりする。しかし、それには仏像の中をのぞいてみなければいけない。信仰の対象である仏のおなかを見る機会は、数十年か数百年に一度巡ってくる修理の時でもなければ難しい。ところが、誰でも見られる古文書から、思わぬきっかけで判明するケースもある。」・・・2005年のこと。奈良・東大寺が運営する東大寺図書館(奈良市)の研究員だった横内裕人(48)=現・京都府立大教授=は中世文書の勉強会に出席するため、市内にある奈良文化財研究所を訪れていた。・・・なにげなく引っ張り出したのが、興福寺の年中行事などをまとめた「類聚世要抄(るいじゅうせようしょう)」だった。・・・「仏教芸術」(毎日新聞出版)に「『類聚世要抄』に見える鎌倉期興福寺再建―運慶・陳和卿(ちんなけい)の新史料―」という論文が掲載されたのは、20073月。本を手に取ってから2年が過ぎていた。とたんに、「新たな運慶仏の確認」と注目を集めた。・・・運慶が鎌倉幕府の要人らに招かれ、鎌倉にいたと推定された時期だけに、定説を揺るがす発見と、学界は騒然となった。「新たな運慶仏発見につながる記録はまだまだ眠っているんじゃないか」。横内さんはそう考えている。(編集委員・小滝ちひろ
まだ最近の出来事ですが、運慶の眠っていた真実を明らかにしてくれました。こうした地道な研究や調査が、現在でも各地で多くの人々の手によって進行中であり、もしかしてひょっとしたことから、今にも新しい発表があるやもしれません。自然科学だけでなく、ちょっとした気付きや失敗などの経験も、新しい世界を造り、変えていくものだと知らされます。
 
922日(金)・夕刊・2面(運慶と修二会)
「奈良・東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)は、お堂の舞台で打ち振られる大たいまつで知られる。」・・・「過去帳」が練行衆(れんぎょうしゅう)(こもりの僧)によって恭しく読み上げられる。・・・1時間はかかる奉読の途中、ひときわ重々しく読まれるのが「当寺造営大施主将軍頼朝右大将」(とうじぞうえいのだいせしゅしょうぐんよりとものうだいしょう)。平氏の南都焼き打ち(1180年)でほぼ全焼した寺の再建で最大のスポンサーだった、源頼朝だ。その前後には、復興の資金集めに奔走した僧・重源や、南大門の仁王像建立にあたった快慶の名もある。ところが、二王像の「総合プロジューサー」とされる運慶の名は出て来ない。」東大寺史研究所研究員の坂東俊彦さん(47)は「理由はわからない。寺と運慶の間に問題が生じたのか」と不思議がる。京都国立博物館の連携協力室長、淺湫毅さん(あさぬまたけし)(53)は2002年ごろ、その答えにつながるかもしれない史料に行き当たった。歴代の練行衆が延々と書き継いできた「二月堂修中練行衆日記」だ。この「練行衆日記」が京都国立博物館の工房で修理を受けていた。工房管理を担当していた淺湫さんが訪ねた日、たまたま修理台に載っていたのが1183(寿永2)年の部分。何人ものお坊さんの名前が連なる中に「運慶」の文字があった。「運慶かあ」。・・・この人物は仏師の運慶とは別人、という見方も強い。でも淺湫さんはひっかかりを感じ、83年前後の「練行衆日記」を調べた。・・・「ついには関東で制作中に亡くなった。その情報が東大寺に伝わるのが遅れ、過去帳に載らなかったとも考えられる」と、淺湫説は大胆だ。運慶と東大寺をめぐる謎はまだ完全に解決してはいない。(編集委員・小滝ちひろ
そう、思い出しました。私が数年前の秋に、逗子の「浄楽寺」の「阿弥陀三尊像はじめ運慶諸仏」の公開日に、数人の女子学生を引率して来た山本勉先生と、お堂の中でお会いしたことがありました。その時に、私がお寺の檀家の方(入場受付を担当していた)と、運慶が関東下向したか、修二会の5回の運慶の名前は運慶か?などと話しをしていた時で、まさに私の後ろから、話しを聞きながら先生がお顔を覗かせたのでした。まさに汗顔ものでした。それ以来先生には、私の名前は知らずに顔だけを覚えられたのでした。また淺湫毅先生は、東博勤務時期に、幾つかの講演会の講師をされたり、別の講演会の企画・運営などで、よくお会いしお話しを伺っていました。最近、京博に移ってからも「仏像三昧」連続講座の時には、いろいろとご教授いただきました。東大寺の坂東俊彦研究員には、昨春の私たち有志の「特別拝観」で、大仏殿壇上連弁拝観、戒壇院千手堂拝観などの説明・案内などで、大変お世話になりました。これらの方々が、私たちの勉強を支えて下さっているわけで、本当に有難いことです。
 
ちょうど今日(22日)の夕刊までの掲載分をご紹介しました。明日からの連載記事が楽しみです。また、機会があればメールにてご紹介していければよいな、と思っています。私の知らない多くのことが、この連載で知らされることと思い、楽しみです。
 
ついでながらご紹介します。私が購読している朝日新聞には、数か月前から「古都さんぽ」という文化面での、月1回程度の連載記事があります。紙面の下部分の5段半分をとり、紹介者は東京芸大の薮内佐斗司教授で、最近は東北の寺院と仏さまの紹介が続いています。慈恩寺や宝積院などです。寺院の歴史、仏さまの紹介・由来など、気楽に読めるものですが、他の同様の像との比較や共通性など、それなりに詳しく説明されているところもあり、毎回関心を持っています。
他にも読売新聞や日経新聞なども類似の記事を掲載しているかもしれませんし、書店の店頭には主に美術雑誌など、これまでにも、ご紹介したことのある雑誌や定期刊行誌など、「これは!」という寺院や仏さまのことがあれば、賞味期限はありませんので、月遅れでもよいのでご紹介していければ、と思っています。初心者の私としては、集いの会の皆さんからも是非情報提供をして下されば、うれしいです。
 
とりあえず今日はこれまでにします。
 
2017922日 2000 Tak


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