孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

「仏像愛好の集」Kanさん の観仏記

仏像愛好の集のKanさんから、「急でしたが、8/19~20に守内さんと奈良・京都に行って来ました。観仏記、ご覧になってください。」との Eメールを頂きました。 此処にKanさんの8/1920 奈良・京都観仏記を転載します。


8/1920 奈良・京都観仏記
8月初旬に奈良博から送られて来た「博物館だより」に、特別展「源信」に愛媛・保安寺の阿弥陀三尊が出展され、奈良博保管の地蔵菩薩・龍樹菩薩と合わせて五尊同時に出展されると載っていた。なら仏像館で地蔵・龍樹を目にする度に保安寺阿弥陀三尊と並べて拝したいものだと思っていたのでこの機会は逃せないと考えた。
また前々から京都・慰称寺地蔵堂地蔵菩薩立像を拝観させて頂きたいと思っていた。しかし開帳日が8月の地蔵盆の前の日曜日とあって、京都は暑いだろうと二の足を踏んでいた。今年は7月に孫のKAI君と京都・奈良に行き暑さに自信が付いていたので、思い切ってMUさんを誘い、慰称寺地蔵堂開帳日に合わせて出掛ける事にした。
東京駅を8時に出る新幹線に乗車したため、11時半頃大和西大寺駅に到着。久し振りに、駅構内の立ち食いうどん屋さんで早目のランチになった。冷やし山かけ温玉うどんが美味しかった。
 
8/19(土)
 東大寺ミュージアム 8/18/30まで東大寺大仏縁起絵巻が公開されている。KAI君が行ったお寺の仏像で一番良かったのは東大寺大仏だと言い、夏休みの自由研究のテーマを「東大寺大仏」にしたので絵巻を見てみたかった。この日は上巻しか公開されていなかったが美しい絵巻物だった。
後日KAI君のために、この絵巻の絵をそのまま使った絵本「生まれかわり」と「祈りのちから」を図書館から借りたが、私も読んで初めて絵巻の全内容がわかった。知っている物語もあったが、知らない物語もあったので、ミュージアムでは上巻・中巻・下巻を同時に公開して貰いたかった。
 
 奈良国立博物館 「源信展」は7/159/3まで開催されている。KAI君と京都・奈良に行ったのは7/1617なのでこの時も開催されていたが、時間もないし地獄絵には興味がなかったのでスルーしていた。送って頂いた「博物館だより」のおかげで仏像も結構出展されている事がわかった。
仏像では奈良・高雄寺観音菩薩立像、滋賀・荘厳寺空也上人立像、平等院雲中供養菩薩像、岐阜・新長谷寺阿弥陀如来立像、京都・即成院二十五菩薩坐像のうち当初像三体、東大寺・知足院地蔵菩薩立像、京都・清凉寺地蔵菩薩立像、お目当ての保安寺阿弥陀三尊及び地蔵・龍樹が展示されていた。また江戸時代の作だが當麻寺護念院法如坐像・化生法如坐像が興味深かった。
阿弥陀五尊像のキャプションには「比叡山・横川式五尊、院政期京都仏師作か」とあった。現在別々に安置されている阿弥陀三尊と地蔵・龍樹は元は愛媛県八幡浜市の梅之堂というお堂に安置されていたという資料がある。阿弥陀五尊像は絵画では残っているものがあるようだが、彫刻では梅之堂のものだけらしい。
 
8/20(日)
 慰称寺地蔵堂 京都駅前から市バスで四条烏丸へ、四条烏丸から8系統の市バスに乗り換え「高雄」の一つ手前「御所ノ口」で降りる。ところがおしゃべりしていて次のバス停まで行ってしまい、あわてて降りる。あらかじめ乗り換えのバス停の場所を、「バス・鉄道の達人」と言うサイトで調べてあったので、歩いて一停留所戻っても高雄行のバスに間に合った。
 「御所ノ口」でバスを降りると、すぐ目の前に「国寶 子安延命地蔵尊」と書かれた石柱があるが地蔵堂が見当たらない。坂の上を見ると軒先に地蔵盆の提灯がたくさん下がっている家があったので行ってみると、そこが地蔵堂で裏に地蔵菩薩が祀られた収蔵庫があった。地蔵堂は中島地蔵堂、中島の光堂、梅ケ畑地蔵堂とも呼ばれる。
 この地蔵菩薩は右肩から胸にかけて露わにしたお姿で、広隆寺の平安前期作木造地蔵菩薩立像に非常によく似ている。そのため、同じ作者に造られたという説もあるが、鎌倉時代広隆寺地蔵菩薩を模刻したのではないかという説もある。現在は平安時代の作という事で重文指定されている。
 山の中に、このように素晴らしい彫りの仏像があるのに驚きながら地蔵堂を後にし、バス停でバスを待っていると、我々と入れ替わりで拝観に来た山女さんが話し掛けてきた。なんと収蔵庫の中に入れて貰ったと言うではないか。バスが来るまでしばらく時間の余裕があるので、急いで地蔵堂に戻って、入ってもいいのか確認するといいと言う。お堂にいらした地元の方々とは、ついさっき、東京から来たとか仏像の載っているチラシを頂きたいとか話したばかりなのに、何で入っていいと言ってくれないのと胸の中で思う。でも山女さんのおかげで、もう一度じっくりと間近で拝観させて頂け、法輪の截金文様も見ることが出来た。山女さんはこれから神護寺まで歩いて
行くと言っていた。
 
 広隆寺 慰称寺地蔵堂地蔵菩薩を拝観したら、広隆寺地蔵菩薩を拝観しない訳には行かない。バスを乗り継ぎ広隆寺霊宝館を訪ねる。霊宝館内部は照明が暗くて拝観しにくい。おまけに双眼鏡も単眼鏡も使用禁止なので、目が暗さに慣れるのを待つしかない。しかも扇風機が45台回っているだけの環境。それ程暑い日ではなかったので助かった。
 地蔵菩薩は霊験あらたかな「埋木(うもれき)地蔵」と呼ばれて信仰されて来たとの事。お顔の印象はちょっと違うが、体や衣文の彫りは瓜二つで堂々としている。
 
 京都国立博物館 「閻魔と地蔵」と言う展示をしていた。「かつて洛北梅ケ畑地蔵堂に安置」と言うキャプションのある重文地蔵菩薩立像が出ていた。梅ケ畑地蔵堂と言えば今朝行った慰称寺地蔵堂の事ではないかと密かに興奮する。
 また、内山永久寺伝来地蔵菩薩のキャプションには「袈裟の下に法衣を着する地蔵を垂首(たりくび)の地蔵と呼ぶ。奈良春日社を中心に行われた地蔵信仰に基づくもの」とあったが、源信展に出展されていた東大寺・知足院地蔵菩薩も垂首の地蔵ではないかと思った。
 
今回は雨にも降られず、暑いだろうと、行きの新幹線の時間はいつもより1時間遅くし、帰りの新幹線も早くしたが、2日間を有効に過ごせた観仏の旅だった。
 
                                     KN

以上、の 観仏記 の投稿でした。
Kanさん、ご投稿 有難うございます。 

良い投稿と思われました 読者の皆さんには、 Y!ナイス にクリックを お願いします。投稿者の励みになると思います。 

また、日頃投稿をされてない皆さんにも 此の投稿に触発を受け、是非に投稿をなさって下みてください。