孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

金子啓明氏 講演  「阿修羅のうれい」      ★★★★

 
仏像愛好の集のMさんからの情報で、下記浅草寺 文化講座に初めて行ってみました。
仏教文化講座 第741回
8月25日(金)丸の内マイプラザ4階ホール
午後1時開場 入場無料 申込不要
第1講座(午後2時)
可能性への挑戦
NHK大相撲解説者
舞の海 秀平氏
第2講座(午後3時)
阿修羅のうれい・深大寺白鳳仏のほほえみ
興福寺国宝館館長
金子 啓明氏

ここ数年興福寺国宝館館長  金子 啓明氏がお気に入りでありまして、氏が講師との事で出かけました。 今回の講座 配布資料無しで、スライド映写の為 真っ暗に近く ノートは取れませずでしたので、拙いい文章です。

浅草寺は東京都内最古の寺で聖観音宗総本山 なかなかの学問寺と 聞いて居ました、月に一回で第741回 も続いて居るのですね! (数年通っている 奈良興福寺文化講座(東京)は今月で232回です、其の3倍も続いてiるのに存じませんでした。すわこの講座も通わなければと思ったのですが、今までの講座内容を調べた見ました、前月分しか検索できませんでした。 7月は第1講座 水素エネルギー社会の構築に向けた取り組みと課題  首都大学東京大学院教授  京都大学触媒・電池元素戦略ユニット教授  宍戸 哲也氏 第2講座 浅草寺花やしき 成城大学非常勤講師 小沢 詠美子氏 と在りましたので、 仏教美術や仏教全般の特化では無さそうですので、此方の毎月のチェックは必要ないみたいです。 金子啓明講演 で検索しても 出て来ませんので、また金子 啓明氏関係の情報が在りましたら、宜しく お知らせお願いします。

さてこの度の講座「阿修羅のうれい・深大寺白鳳仏のほほえみ」の取り上げは、当時東京国立博物館特任研究員で、興福寺創建1300年記念 「国宝 阿修羅展」を担当された金子氏ですから 思い入れありなのでしょう・・・、 もしかしたら この「国宝 阿修羅展」がきっかけで、興福寺所属の国宝館館に転職されたのかと思います。さらに言及すると 興福寺の阿修羅像に惚れての転職なのかなと ロマンチックに想像したりします。 東博の同展からもう八年も経過なのですねッ。 今でも鮮烈に思い出されます。 集客導引2カ月間ほどで約95万人1日当たりの入場者数1万5000人超は、記録であありましたが、大勢の観客は、よく見いり、おじゃべりの声は聴かれなかったそうです。 それには、阿修羅像だけを 広い一室に展示、 中二階的な場所を作り、阿修羅像の周りも広く取り、 廻りながらどの方角からも見られる工夫をしたので、 この大勢の来場にも拘わらず、 良く見られ無かったの観客の感想はなかったとの自負の言葉がありました。

そして何故に 人々がここまで見入る像なのかの解説がなされました。阿修羅の人気は面差し名在り、 それは眉を寄せ気味まっすぐな視線 春香を見ているのか? それとも己の内相 先ず同時代の傑作仏像の 薬師寺薬師三尊の 脇侍月光菩薩を参考に出し、 その三屈法が在るプロポーションを讃え、 それに引き換え 阿修羅像は 細身で抑揚のない身体で、その魅力はプロポーションでは無しに 何と言っても顔 面差しで、一致するだろうとの事でした。 

されど褒めなかった阿修羅のプロポーションですが、 その特徴ある肢体 特に異様と見える細腕ですが・・・、 その長い細腕に依る空間の支配 彫刻空間と云うのださうですが、 その力は持って居る様です。 そういえば数々の似ている大日如来坐像 の中で、運慶の円城寺の大日像も、その智拳印の腕の空間支配に、感じ入るところで在り、 それを彫刻空間と云えなよいのだと、この講演で知れました。 阿修羅像に戻ります。 もしこの像が、入るだけで良しとしての ガラス展示ケースに納めて居たら、 前出の「彫刻空間」は死んでしまうだろうは、想像が付きます。 あの広い一部屋に阿修羅像の一躯だけのガラスケース無しの広々の展示が 大いに有効的、大成功だったと 自賛気味も在りましたが、実にその通りと思います。

また逆に言えば その広い空間を持て余すと感じさせない阿修羅像の力量に感嘆です。 何度も見て来ているのに、この東博の阿修羅展示で、 魅了されてしまった観客は かなり大勢と思います。 孤思庵自身も見慣れて居た阿修羅像でしたのに それまでとは相違に、素晴らしく感じました。(きっと 前出の空間に加え照明の力もあると思います。 像が赤っぽく感じられました。 それで像を照らす光源を注視しましたら、暖色の高原が混じってました。 このライティングはもはや単に博物展示の明るさの照明では無しに、ステージ的の照明、店舗展示照明的に移行して来ているのです。数年前より 此処東博の展示ガラスケースの切り替えが進んできており、ケースの天上に照明器具が付いたものから 天上もガラスのケースに衣替え、 照明は 真上からの天上の照明でなしに、 ケース天板のガラスを通過させての遠方よりのスポットライト的に変わってきています。きっと学芸員の裁量から、照明の専門家の仕事に変わってきたのだろうと想像してます。 東大寺法華堂の月光菩薩像も、東大寺ミュージアムに移って、見ましたら この見慣れてお顔が それまでに無い様に美しく感じられました。これも展示空間とライティングの効果と思います。 今後ますますライティングの専門家の仏像展時にコラボしてゆくだろうと感じます。 でもライテング効果はお化粧の様で、如何のものかとも思います。 大昔 孤思庵が中宮寺で 半跏思惟像に在った時は 旧堂内での 障子越しの自然光ででした。 今もそれを懐かしむファンは多いのではないでしょうか?!

またも孤思庵の特徴での脇道に話がずれましたが、金子氏の 阿修羅像の顔の解説に戻しましょう。本来の仏像のまなざしは図像学的に一致した者ばかりでない事を例を挙げて・・・、金子氏は云われました。前出の法華堂の月光菩薩、衣裳から 帝釈天は 多く仏像ファンの意義の無い処ですが、そのお顔は 帝釈天に相応しくない、 それどころか天部のお顔で無い、 悟られた仏菩薩の顔と金子氏は云われてました。 そんなところで、いつの間にか月光菩薩と言われる様に成ったかな? と孤思庵も月光菩薩のお顔を仏菩薩のお顔と気付かされました。 斯様に金子氏は、 彫刻史ばかりでなく 仏像ファンの鑑賞的に合致する 説明をされます。 また仏教にも造詣深く、よく仏典・論書の話が出て来ます。 きっと仏教がお好きなのでしょう、で公立 の博物館でなしに 興福寺の機関の国宝館に御勤めなのkでは? その興福寺国宝館も定年まじかとの事  今後どの様にご活躍に成るのでしょう。 孤思庵は追っかけさせてもらいます。 

金子氏は 興福寺の阿修羅像が、阿修羅に在って特別の面貌の説明に入られました。 阿修羅と云う神をまず説明されました。阿修羅は戦いの神で、天界最高武神のインドラ(仏教に取り入れられ帝釈天)と闘い続ける続ける戦闘の神で、怖い姿の神である事を 三十三間堂二十八部衆の中の阿修羅像や いろいろの絵画での姿をスライドでみせ、この興福寺の阿修羅像は異例であると解説されてました。続いて皆々を魅了する興福寺阿修羅像のお顔を解説されました。
まず正面の顔は15歳ほどの少年に見えます。 これは誰でも感じる事で意義の無い処です。、 金子氏は眉を寄せ遠くを見る この面差しをこころが揺れていると見られる見られてました。 何に揺れていると思われるのでしょうね?! まっすぐなまなざしは何を見ているのでしょう? それは内省のまなざしなのでしょうか? 三面の顔を持つ阿修羅像、それを金子氏は以下のように説明されました。 正面に対して左右の脇面は共に少し上方に位置し、 重なる耳は省略され、髻も三つにせず重複を避けて居ると、 三十三間堂の修羅像と相違を説明されました。 
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此処で、 本来の阿修羅を思えば、忿怒の形相はさもあらんと思いますが、 願主の光明皇后は幼くして亡くした王子が在り、その面影を写して興福寺像のみが例外的に作られたと云われがちですが、 法隆寺五重塔北面が釈迦涅槃(涅槃像土)の様子の群像の中の阿修羅像を注視してみますと この表情も忿怒ではありません! 釈迦涅槃の場面ですので、忿怒は相応しくないは理解できるところですが、それにしても この広隆寺像は腕の細さと表情。共に興福寺像に通じてませんか? 孤思庵は興福寺像は、先達の法隆寺像に倣うってい思うのですが、皆さんは、如何ですか?!

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それは置いおいて、金子氏の解説に戻りますと 三つの顔を見て行くのに、順番が在ると言いわれます。
ところで、皆さんは、お堂で仏像を後ろまで拝見できる場合の 仏像の廻り方をご存知でしょうか? 私は昔に、左回りとは習いましたが、これは今も残るインドの作法だそうです。常に仏像を右に見ながらの方向で回るのです。此処でまた脱線話です。  偏袒右肩を習った時に それは僧が相手に恭敬の意を表す袈裟(けさ )の着方で、右肩を肩脱ぎにし、左肩のみを覆うことと習いました。 それは尊敬の相手に右肩を見せる事に成ります。 仏像を左回りは・・・、廻る自分の右肩を見せる事となり、 同じ礼法の所作に通じると思います。 因みにインドでは肌を見せる方が正装とされるそうです。 菩薩の上半身に着けるは条伯で、多く肌を見せて居ます。 肌を見せるは暑い国、寒い国では肌は見せない。 途中の中国でだいぶインド式が中国式に変容したことはご周知の事ですね。 

本題に戻ります。 阿修羅像を 左周り廻って、 初めて最初見られる脇面は 右面です。クリックすると新しいウィンドウで開きます  クリックすると新しいウィンドウで開きます

右面は、顔の眼鼻の造作が 中央に集まって居て、三面中 最も年少に見えるとの事です。そして眼の焦点が定まらず、下唇を上の前歯で噛んでいる。これは回心が始まったばかりで、納得しきってない表情ととらえられてました。

そして、後を廻って 次に見えるのが左面です。 この顔は 本面と 右面の中間の 年頃と顔の表情に見えるとの事です。 私もそう思えます。 だいぶ正面の顔に近づいてきてます。
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この変容が 阿修羅の 闘争の神から 仏の守護神への変容の課程を現しているとの事です。これを金子氏は揺らぎとおっしゃっているのではと思えます。 平らたく言えば 反省後悔のプロセスと云えましょう。 反省を当時の言葉では懺悔(さんげ)と言います。罪や過失を懺悔すること。また仏,菩薩などの前でみずからが犯した身体的行動上の罪悪,言葉のうえでの罪悪,心理的精神的な罪悪を懺悔する儀式・修法に悔過が在り、 一般には吉祥悔過、薬師悔過 等種々在ります。 ここでは光明皇后の光明の名となって居る 金光明最勝王経の中の、懺悔に関するものとして『夢見金鼓懺悔品』が在ります。
それは、妙幢(みょうどう)菩薩が自らが見た夢の話をするところから始まり、夢の中で、一人の婆羅門が光明に輝く大きな金の鼓を打ち鳴らすと、その音色の中に、懺悔の法(金光明を聞くことによる苦の消滅と滅罪及び懺悔)が聞こえてきたと 釈尊の前で述べます。と言う経で、

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そもそも、金鼓と云う荘厳具、空を打つ婆羅門 や28体の像 は、光明皇后が、母の橘三千代(たちばなみちよ)の一周忌の供養のため興福寺に西金堂(さいこんどう)を建立し、釈迦の浄土を立体的に表す 釈迦如来、釈迦の十大弟子、四天王、八部衆などを共にを為したもので、その一連に阿修羅を含む八部衆が在るのです。また上出の金鼓(こんく)も共にその西金堂に納められていたものです。ですので、この阿修羅の変化は、金光明最勝王経の中から、懺悔に関する『夢見金鼓懺悔品』による懺悔によるものと判ります。 
西金堂に釈迦に釈迦如来像は奇異に思った事も在りましたが、西金堂の諸像は金光明最勝王経の釈迦の浄土を立体的に表したものだと理解が進み、最初 これ何?と思った国宝の興福寺蔵の鋳銅製の金鼓も、その意味とかつては黄金に輝いて居て、それを打つ婆羅門増が一具のものと解ってくるのです。 

金子啓明しは斯様に、仏像を、造像時の仏教の理解とその精神を 踏まえて、その理解で、残されてる仏像を その形から当時の思いを読み取られます。 お詳しい仏教の理解を踏まえた、それで居ながら、楽しめる仏像趣味の方向性での、仏像の見方を 易しく解説してくれます。
仏像は本来 仏教の像 との本道の 扱いをされて居ると存じます。 孤思庵の仏像趣味も その方向性でありたいと思ってます。 ですので金子氏の ファンなのです。

また、金子氏 その穏やかな口調は、幼稚園児に仏教の話をされるという 花園大学文学部国際禅学科の佐々木 閑教授 の講演に通じる様で、素人にも、解り易いような穏やかで優しく、 大切な事を教えてくれて居る様に感じるんです。 同感の同志は居ませんか? 


「阿修羅のうれい・深大寺白鳳仏のほほえみ」 が講演会の表題でしたから、 上記のお話に続いて、最近 国宝に新指定成った 深大寺の銅造釈迦如来像に付いても後半で述べられました。 
後で調べましたら、 金子啓明氏には(『国華』1100号、1987年)にて、、「如来像 深大寺」を書かれているとわかりました。 それででしょうか  深大寺の銅造釈迦如来像の像様の魅力に付いても 素晴らしいと熱く語られてました。その部分の報告もしたいのですが、それははまたの機会にします。

昨年7月に聴講した 興福寺文化講座(東京)で 「運慶と興福寺北円堂の諸仏」と題して、同じ金子氏がされた 無着像の下向きの目つきにと世親像の上を向く眼付に それぞれの境地の違いを解説された、あの名講義に並んで素晴らしい講演でした。 そんな良い講演でもれでも  三重ノ海さんの漫談的講演から、居続けた聴衆の内の何人もが 中座して帰ってゆきました。 自分には面白い講演ですのに・・・、人それぞれに思い好みは相違だなと思いました。