孤思庵の仏像ブログ

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知恵袋に質問したら! 「仏像探訪記」で周知のあの せきどよしお さんから回答を貰いました!

Yahoo!知恵袋に質問したら! ブログ「仏像探訪記」で周知の、あの せきどよしお さんから回答を貰いました! 回答の御礼をコメントIPした後でせきどさんと気付きましたので、 「何時もブログで勉強させて 貰ってます」との 御礼を書き漏らしてしまいました。


【自分の質問】

仏像趣味の人間です。 只今、東博の11室に 三十三間堂の 湛慶作・院承作 ・隆円作...


仏像趣味の人間です。 只今、東博の11室に 三十三間堂の 湛慶作・院承作 ・隆円作の千手観音が三躯 出品されてます。慶派・院派・円派・の作風の違いを見せる為と思います。

院派・円派・    
慶派の作風の違いを調べても、慶派、円派、院派の特徴を語る様な一般向けの書籍はあまり見かけません。書物等には、系譜や著明仏師名は出ても、作風の特徴のことは良く説明されてないように見えます。

難しいのでそうなっているとは存じますが、三十三間堂の 湛慶作・院承作 ・隆円作の千手観音を引き合いに その作風の違いを 教えて頂けませんか?


和様と言われる、優しく、優美etc、具体的には、薄い肉体、浅い彫り、平行して流れる衣文と瞑想的な表情、これらは平明優雅で仏の本様と称され、貴族社会に愛されましたところの定朝様の系譜作風を比較的に変えずに受け継ぐのが、院派円派だそうですね。それらの朝様式は定番となり、その貴族達の注文の要求に応えるあまりその後の仏師達はその形をなぞる事に専念して進歩、変革、脱却が無く、形式化やがて形骸化していったようです。
他方、高級貴族連中には慶派の写実の表現が、あからさまで品が無く感じたので、定朝様をそのまま踏襲している、院派円派が京都の政権を中心に活躍たそうです。慶派の活動は、東大寺興福寺などの復興事業での作仏で、天平の仏たちに様式を学び、写実の様式を勉強したと思われています。
院派円派の仏師は慶派のように像に署名をする事が殆どありませんでした。
署名を遺さないという事は、自己主張が無い事とも通じます。つまり伝統的であり、慶派の様に各自が自己の工夫をしない様にみられてます。院派・円派は伝統的ですが、形式化、形骸化に進む作風と・・・、つまり職業的、仏師としての趣が強いと言われてます。

慶派は芸術家タイプで、自分なりの作風の主張する姿勢があった様です。この辺までは理解してます。

自身が、以前に教わった 善派の特徴:曲線的な丸みがあって、均整のとれた体躯や切れ長の目、小ぶりで愛らしい鼻や口元、 やや複雑で柔らかで丁寧な衣文を持つ着衣 肩から腕への天衣の処理が一度腕の外に垂れて、それから、また腕をまたいで、腕の内側に移り、 そしてまた腕をまたいで、天衣の先端は外に垂らす。 彫り口は、繊細なまでの鋭い刀の冴えを表わし、独自の作風で、素木の木肌が特徴的に細やか。

この様な、作風の特徴で、何派の作品かを見極められるような特徴を お教え願います。

三十三間堂の 湛慶作・院承作 ・隆円作の千手観音を引き合いに その三派の作風の特徴、違いを教えて頂けませんか? また 院派と円派との相違点も 宜しくお教え願います。
慶派,院派円派,三十三間堂,湛慶作,隆円作

【せきどよしお さんから 頂いた回答】

只今、頂いた回答の引用転載許可を申請中! 追って掲載できるかと存じます!  

尚、「Yahooのネット検索で、 「仏像趣味の人間です。 只今、東博の11室に」とのキーワドで 知恵袋項目で検索すれば・・・、 せきどよしおさんの 回答が読めます! 」 孤思庵


上の 手段を とったが、 せきどよしおさんの 回答が読めない!(よく聞きましたなら、キーワド打ち込み、ウエブ検索した様です、それでは文章が出ませんので・・・、キーワード打ち込み欄の 直ぐ上のウェブ 画像 動画 辞書 知恵袋 地図 リアルタイム と在る内の 知恵袋 の処を 左クリックして 検索ねがいます。さすれば 私の質問に 続いて せきどさんの 回答も読めるはずです!) 
 斯様な手段で、公開されてますので、引用転載も 許されるものとして、下段に せきどよしおさんの 回答 を引用転載します。

ベストアンサーに選ばれた回答

2017/8/1308:13:03
例示された「善派」に関する特徴のような形で慶派、院派、円派についてまとめるのは、なかなか困難なことと言わざるをえません。
「善派」は善慶(善円)、善春およびその周辺に関して目配りすればよいので、時代・地域ともに限られた中での作品の検討ですみます。しかし、慶派(奈良仏師)、院派、円派となると、活躍した期間も長く、ことに鎌倉時代中期以後はそれぞれの系譜も明確ではなくなり、拡散的になっていきます。また、相互に影響を受け合ったという側面もあるでしょう。従って、「写実を取り入れ、革新的な表現に積極的だった慶派、一方、保守的な表現にとどまることが多かった院派・円派」という非常におおざっぱな言い方はある程度できるとは思いますが、それ以上に派としての特徴を的確にまとめるのは、難しいことだと思います。

蓮華王院本堂(三十三間堂)の再興造仏では、3派それぞれが同時期、同形の千手観音像を造像しているので、比較しやすいともいえます。
しかし、ここでもまた難しい点が存在します。
三十三間堂は平安末期に創建され、その時の造仏の中心を担ったのは奈良仏師の康助と考えられます。しかし一時に千躰もの等身大の千手観音像をつくるのですから、おそらくは院派、円派も仏師も総動員されたのでしょう。
三十三間堂は鎌倉中期に焼けて、千躰の千手観音のうち救い出されたのは百躰余りで、他は灰燼に帰しました。調査・研究によると、今お堂に並んでいる観音像のうち、創建時の千手観音像は124躰、鎌倉時代に補われた観音像は876躰と考えられています。中尊の千手観音坐像の左右に五百躰ずつならぶ観音像を拝観して何ら違和感がないのは、創建時の像に合わせてあとの像がつくられているからです。
創建時の124躰ですが、すべて無銘です。院派、円派、奈良仏師の作が混在していると推測されますが、まったく区別がつきません。それぞれの派にはそれぞれの作風が若干はあったかもしれませんが、このようにつくると決め、ひな形(様)が示されれば、派の作風や仏師個人の個性はひとまず置き、全体として調和のとれた作品群になるよう造仏する、仏師にとってそれが当たり前であったのだろうと思います。
それは鎌倉再建のときも同様であり、どの像も基本的に創建時の様式にならって制作されているので、そこから派の作風を見つけ出すというのはかなり困難なことです。

しかし、鎌倉再建期の観音像には銘記があるものが一定程度含まれています。
この銘記を頼りにして、各派による違いを浮き彫りにするのは、まったく不可能ということでもありません。
慶派では、中尊の千手観音坐像を担当し、おそらく全体の指揮もとっていたであろう湛慶、院派では貴族からの結縁を受けての造像を多く含むなど、盛んな活躍が見られる院承、そして、派としては低調になってきつつあったものの、その中でひとり奮闘していた円派の隆円、この3人の銘のある千手観音像がそれぞれ一定数あり、その中の1躰ずつ、計3躰が東京国立博物館に寄託されています。おっしゃる通り今3躰が揃って展示されているので、比較するチャンスとなっています。
上述したように、一見この3躰はほぼ同じ姿形に見えます。しかし、人がつくっているわけですから、よくよく見ていくとそこには若干の差異も存在します。そこから3派の特徴の糸口がつかめるかもしれません。

実はこのことについては、すぐれた論文がすでに書かれています。
山本勉氏「蓮華王院千体千手観音像にみる三派仏師の作風」で、東京国立博物館の研究誌『MUSEUM』543号(1996年8月号)に掲載されています。同館の資料館をはじめ、大きな図書館には所蔵されていますので、手に入りやすいです。この論考は、まさに東京国立博物館に寄託されている三十三間堂の湛慶作像、院承作像、隆円作像を比較検討するという内容ですので、もしまだお読みでなければ、ぜひお勧めします。
以下、この論文の内容に沿って述べると、湛慶の像は他の2像よりも肩幅、腰、裾など広く、また奥行きがあります。院承の像はもっとも細く、隆円の像も細いが院承の像よりも変化があり、立体感が見られます。さらに、顔つき、下半身の衣、合掌している手によって像の前の空間をどう扱っているかなどについても、湛慶作はメリハリがきいていて生き生きとしている、院承作は抑制的で生気に乏しい、隆円作は繊細で優美な中に抑揚をつけていて、両者の中間のようなところにあるということがいえます。
ただし、これらは派としての作風である部分もあり、また仏師個人としても力量の部分もあるのでしょう。また、当時院派を代表する仏師であった院承の作品が生彩を欠いているといったことは、仏師を取り巻く何らか別の要因が存在したことを示すものであるのかもしれません。

 【以上 せきどよしおさんの ご回答 文です】                                     


流石に せきどさん! 的確なご回答で、納得が行きました。 回答文中で、山本勉氏「蓮華王院千体千手観音像にみる三派仏師の作風」が、東京国立博物館の研究誌『MUSEUM』543号(1996年8月号)に掲載されています。と教えて頂きましたので、近々平日に東博の資料館に行き、 研究誌『MUSEUM』543号を閲覧して 【特集】鎌倉時代彫刻史の諸問題  蓮華王院本堂千体千手観音像にみる三派仏師の作風―四〇・四九三・五〇四号像を中心に―(山本勉) を読みて更なる勉強をしようと思います。」孤思庵