孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさんからの 投稿 「奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝」



「仏像愛好の集」のメンバー Takさんからの 投稿です。前回のメール寄稿の続きになります。





7月29日(土)

「奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝」あべのハルカス美術館

翌7月29日(土)は朝ドラを見てから行動開始。しかし、「お父ちゃん、どうしたの?」昨日1回見なかったドラマの急な意外な展開に、ショックを受けてしまって
しばし絶句。さて、いつもなら「四天王寺」境内を散歩して時間つぶしをするところを、暑いので、「天王寺公園」に変更し、近くの「茶臼山」に向かいました。大阪
冬の陣では徳川家康本陣が、夏の陣では真田幸村本陣が設けられた所だそうで、小高い丘の上からは、周囲のビル群が見渡せて、近くには通天閣も望めます。降りたとこ
ろに、サクラ満開の今春も足を運んだ大阪市立美術館があり、天王寺動物園までも目と鼻の先です。整備された公園内を天王寺駅へ向かい、超高層のあべのハルカスへ時
間調整をしながら、ゆっくりと歩きました。EVを降りると、団体客がロビーに詰めていたので、まさか?!と思いましたが、展望階へ行くための行列と分かり胸をなで
おろしました。それでも会場時間の10時になる前には、2、30人の列が出来ていました。今日は展覧会初日なので、こんなものかな?と思いながら、入場口に向かい
ました。何度か訪れた美術館ではありますが、まだまだ会場の様子を覚えていず、順路などにウロウロすることしきりでした。今回の「西大寺展(大阪会場)」へ出かけ
た理由は、東京会場(三井記念美術館)では出展していなかった、幾つか目玉の出展作例があるからです。仏像で云えば、寺外初公開という木津川「大智寺・文殊菩薩
獅像」で、昨年秋に拝した仏さまですが、やはり壇上で仏具・法具に囲まれた姿は、大略は鑑賞出来ましたが、出来ないところも多々ありました。や、今年正月の公開
時に出掛けて拝した「浄瑠璃寺大日如来坐像」、「浄瑠璃寺不動明王及び二童子像」(いつも本堂内の出口近くで拝している、私の好みのほとけさま)、「宝山
寺の諸仏」、「松林寺の諸仏」などなどはその例です。

西大寺は、天平時代に創建されて以来、国家鎮護の寺として、1250年間奈良の都を護って来ました。いったん荒廃した寺を再興したのが「叡尊」と弟子たちでし
た。叡尊については、よく言われる逸話に、「弘安の役」(1281年)の際に、数百人の弟子や多くの他寺僧を引き連れて、石清水八幡宮に詣で、戦勝を祈願する
と、叡尊所持の「愛染明王像」の鏑矢(かぶらや)が、西を目指して飛んでいき、大風が起こって、北九州に迫ってきた異民族の軍隊の軍船が、破損・沈没してしまった
ので敵を滅ぼすことが出来た、というような言い伝えがあります。これが叡尊の験力が発揮されたこととして愛染明王との繋がりが語られています。後には、昨年に奈良
博と金沢文庫で開催されたのでお馴染みの「忍性」との関係から、東国の活動につながることにもなり、各地に強い影響力を及ぼした僧侶となります。その叡尊の事
績と時代を追いながら、会場を巡って来ました。

入り口を入ってすぐ、大勢の入場者が賑やかにしている場所がありました。すぐに「音声ガイド」の貸出場所であることは解りましたが、私が機械を借りるわけではな
いが、何故賑わっているのか気になり、覗き込みました。例によって職員が高齢者に、機械の取り付けと、操作方法を教えていましたが、数人が固まって、たどたどし
い手付きで機械を操作するのに、うまくいかないようで、周りの人達も一緒になって、本人の頭に手を出すものだから、余計混乱しているようでした。待っている夫
婦に伺ったら、「展覧会は「音声ガイド」無しには巡れない。とにかく地元で開催される大きな行事なので、何も知らないで来て、開場を見渡しても何があるのか、皆目
見当がつかない。解説パネルを読むのもおぼつかないので、ガイドの順番に展示番号を探して、耳から聞こえてくる説明に聞き入るだけ。」という関西弁での話しでし
た。ここまで極端な入場者も少ないとは思うが、多かれ少なかれそんなものかな?と思った。見回すととにかく老若男女の多くの入場者が、機械を身に着けていた。一昔
前の展覧会とは様変わりです。



⓵「塔本四仏坐像」(重文、西大寺

入場すぐに、1本の柱を背にした4体の塔本四仏座像の展示です。東京会場では2体(阿弥陀如来、釈迦如来)のみの展示でしたが、当会場では4体全て(阿閦如
来、宝生如来が追加)が揃いました。



⓶「十二天像」(国宝、西大寺

1.5m四方ほどの大きさの仏画で、十二天とは仏法を護る天部の諸尊で、方位を護る神々で、密教の道場を護るものだそうです。



⓷「如意輪観音半跏像」(重文、西大寺

左足を垂下して岩座に座す二臂の如意輪観音像です。左手首先や右腕肘先を欠落している30~40㎝位の小さな像ですが、端正な顔付きと髻の丁寧な造りが気に入り
ました。造像時期は平安時代・11世紀ということですが、彫りの深い端正なバランスの良い姿で、岩座に垂れた裳や左足側面に作られた、渦巻き状の衣文の形状がアク
セントになっているかわいい仏さまです。



⓸「金光明最勝王経」(国宝、西大寺

よく歴史の勉強をすると出てくる奈良仏教の国家鎮護思想の教えを説く経典で、「国分寺建立の詔」などで、日本歴史にも大きな影響を与えたもののようです。なん
と国宝でした。それなら、「塔本四仏坐像」が展示されている展示部屋の片隅の壁際に、小さな展示箱に入れられて、殆んどの人がのぞき込んでもすぐその場を去ってし
まう状態でしたが、歴史上の影響や意味を明らかにして、他の古文書と一緒でもいいので、観易い場所に展示して欲しいものです。



⓹「西大寺資材流記帳」(西大寺

この古文書も、「金光明最勝王経」と同じ展示箱に納められ、「塔本四仏坐像」の対角線上の場所のコーナーに展示されて、冷遇されている感じです。寺院の財産目
録ということで、寺院の土地、堂宇、寺宝、所領などの財産を纏めて、縁起などとともに朝廷に提出して承認、認知してもらう記録だと思っている。ちょうど展示されて
いたのは、寺域内の堂宇の大きさや造り様式、所蔵・安置されている寺宝などが堂宇ごとに列挙・記録されたものでした。



⓺「文殊菩薩騎獅像」(法華寺・菩薩像のみ)

会場半ばに島のように設えられた低い展示段上に2体、腰高の高い段上に1体の像が並ぶ。進行方向正面高い段上に菩薩像のみの姿が観られる。光明皇后の発願によ
り開創された「法華寺」(総国分尼寺)に安置の、本来は、本像が獅子の背の蓮華台座上に座する像です。本像は結跏趺坐する像として造られています。「覆肩衣」
(ふっけんえ)と「袈裟」を身に着け、髻の高い大きな頭部と端正な顔立ちが印象的な、右手に剣、左手に経巻を載せた蓮華を持つ、しっかりとした深い彫りの菩薩像で
す。



⓻「文殊菩薩騎獅像」(重文、般若寺)

低い段上には、本像が法華寺文殊菩薩像を背に立っています。般若寺は、叡尊によって造像された「周丈六・文殊菩薩騎獅像」があったが焼失、別の蔵に安置されて
いた本像が本尊となったと云われている。頭部を八髻(はっけい)に結んだ童子形で、彫りの深い明瞭な衣文状態はさすがで、木質の胸飾などが綺麗な出来をしてお
り、薄く眼を開け、遠くを見据えた視線のキリリとした顔立ちは、緊張感のある姿となっています。菩薩の乗る獅子像も、力強い姿で彩色もほどほど残る勇猛な顔立ち
と筋肉の張った四肢は、造作の優れた像と感じます。



⓼「文殊菩薩騎獅像」(重文、大智寺)

私が大阪会場で一番期待してきた像の展示です。展示の像は、先の法華寺像を背に、般若寺像と共に斜め後ろ向きに展示されています。3体の像が120度の角
度で、みな尻を中心に外側に向かって立っていることになります。各像の背面は、各像の立つ間から奥の像の背後を覗くことが出来、ラッキーでした。昨秋の拝観
時に拝すことが出来なかった、像の背中側が拝することが出来ました。私が昨年(H28年)秋に京都・木津川方面の寺院巡拝に出掛けた際に、訪ねたお寺です。当
時も本会のブログに私の巡拝紀行文を掲載して頂き、眼を通された方もいらっしゃるかもしれません。

大智寺は、寺伝では、行基菩薩が造営した木津川に架けた橋が洪水で流されたままになっていましたが、交通不便との理由で鎌倉時代に橋を架け直した際に、流れ
の中に残されていた橋柱が、光り輝くのを見つけた者が西大寺の僧に伝えてたところ、僧はその木を使って「文殊菩薩像」を刻むことにしました。像を造って堂に安置し
たところが「橋柱寺」(きょうちゅうじ)となり、現在は「橋柱山大智寺」と号する真言律宗西大寺の末寺となっています。私が当時拝した像の姿は、堂内でもあり、そ
れなりには拝観出来ましたが、十分とはいえませんでした。以下は、昨秋当時の鑑賞記録です。



『畳敷きの堂内に入ると、中央護摩壇の先に須弥壇があり、4本の柱に囲まれた大きな厨子が据えられ、垂れ幕の奥に「本尊・文殊菩薩像」(重文)が安置されていま
す。……天井は全面に格天井造りで、現在は単なる板張りになっています。堂内は、それなりに天井灯もあり、そこそこ明るさに不足は無いのですが、肝心の厨子内はや
はり暗く、持参したヘッドランプを点けっぱなしにしていました。拝観は、本尊の厨子の前の仏具などの荘厳品のところまで、像に触れるくらいまで近づくことが出来ま
した。……「本尊・文殊菩薩像」(重文)は、右手に知恵の剣、左手に巻物が載った蓮華茎を持ち、蓮華座に左足を垂下して半跏に座して獅子の背中に乗るという、半跏
趺座の「文殊菩薩像」となっています。像そのものは70㎝程の大きさですが、獅子に乗っていることもあり、全体では像高は2m強にもなろうかと思いました。制作時
期は鎌倉時代、寄木造り、玉眼という話しでしたが、厨子奥に入っていることで、なかなかはっきりとは尊顔を拝するのが難しく、……一生懸命下から覗き込むようにし
て、少しでもはっきりと観たい一念でした。宝冠は金属製の細緻な作りのもので、月輪・日輪装飾、左右側の宝珠飾、頂上部の宝塔上の装飾など、錆さびではあります
が、細かい華美な飾りが付いており、頭上で二段に重なるように載せているようです。頭上があまりにも派手派手こってりぎっしりしているもので、髻がよく見えません
でしたが、安倍文殊院の像がそうである様に、宝冠の大きさ高さに匹敵するほどのもののようです。胸飾やその下の瓔珞などは、錆びてはいるものの宝冠装飾と同様、綺
麗な作りがはっきり分かります。本尊之顔立ちは少し下膨れの面長な輪郭に、目鼻立ちの大きめなしっかりした造形で、特に厚めの唇は朱色がはっきり分かるほどに目
立ち、迫力のある顔立ちになっています。……幾度となくお顔に下方からライトを当てて見ても、……どうも私には玉眼とは判別出来ず、最後まで気になった点です。顔
立ちはさすがで、「安阿弥」つまり「快慶」かとの評価があるように、しっかりとした肉付きのふくよかな、大きめの目鼻立ちのはっきりしたお顔は、その美しさと金
泥の深い立派なところなどは、そんな説にうなずける雰囲気の仏さまです。上半身の甲冑は非常にしっかりとした彫法でシャープな彫りと輪郭が目立ち、描かれた文様も
かなりはっきりと残っている感じです。腰から下の座している脚膝部に比べ、上半身が大きめに胸を張った感じの像態に感じました。両腕の着衣の襞の処理や、両
腕や足の裳の弛みを持たせた裾の括りまでがしっかりと、細か過ぎるほどに表現されていました。左足の垂下に合わせた衣文の流れるような彫りと表現は、綺麗に要領よ
くまとめられているように感じますが、膝部などの衣文の彫りの簡素な点が、その表現を和らげている様です。甲冑の文様だけでなく、左右脚膝部の裳に描かれた文
様も、かすかな彩色とともに残っているのが良い感じで、雰囲気を醸しているようです。お顔や身体全体の破たんの無い姿は、確かに相当の腕の仏師の手になるもの
と思われます。……堂々とした獅子に乗る蓮華台座も、ハッキリとした緑色の彩色と、連弁に各々描かれている金線は遠眼にも鮮やかで、……あまり大きくない像が、安
倍の文殊院像ほどもあるように圧倒される姿になって迫ってくるようです。……獅子像は、緑色を中心とした胴体の彩色の綺麗な、ドッシリとした丁寧な造りの像とし
て、胴体と四肢の踏ん張りの様子が、バランスの良い安定感のある秀作だと感じました。』



今回、本像を再び拝してみて、印象は変わらずでしたが、厨子内の悪条件の時だった初見の内容を、再確認出来ました。大きな獅子像は、隣の般若寺の獅子像のよう
な勢いのある象ではない様ですが、後世の手が入っているにしろ、正面を見据えた均整の取れた綺麗な造りと思えます。また、新発見がいくつかありました。両腕の鰭
袖(はたそで)状の衣の弛みの後ろ処理が今回背後から拝されたことにより、綺麗にきちんと折りたたんで、プレスしたように規則正しく、折り返し襞が並んだ処理がさ
れており、両腕とも袖が後ろにまっすぐに直線的に向いていることが分かりました。また、昨秋には獅子像が前に視界を遮っていたことからはっきりしなかった、腹
帯の部分で、裙が左右脇腹に、甲冑に捲れあがっている部分が、よく判りました。背中側の姿が観られるようになったことから、背中側の腹帯は水平に腰回りを巡り、そ
の捲れ上がった裙が背中を巡り、甲冑の周りに張り着くような状態になっているようです。環状の光背には、3か所にわたって陽刻で、唐草様の植物文様が散らされてお
り、その光背は、蓮華台座の像のお尻直後にホゾ穴があり、像高に合わせた単純な細い棒で光背を支えて立てています。また、間近かで拝することが出来たことで、初
見でははっきりしなかった半跏像の左足と蓮華台座の関係をよく観ることが出来ました。半跏の左足は、蓮華台座の外側に足を垂下しているのではなく、蓮華台座の一
部をえぐる形で、連弁を左足の部分を欠き、連肉をえぐる凹ます形になっています。左足の鰭袖(はたそで)状の弛みに合わせて、左足に接する両側の連弁は、意識
的に欠いた様になっていて、左足が連肉に埋め込まれるような状態になっています。左足によって蓮華台座のえぐれ凹みがどれほどのものかは、台座から降りた姿を観た
ことが無いので判りません。「安倍文殊院像」の左足の造作はどうなっていたか?同じ様に裙裾を波打たせていることは承知しているものの、蓮華台座に食い込むよう
な左足の垂下状態だったか?よく覚えていないです。お寺では、菩薩像が獅子像から降りている状態の時に拝観したことが無く、降りた時に拝すれば蓮華台座の状
態が分かるはずなのですが。私のこのような鑑賞と勝手な推測について、気になるところです。こうした点について、関係者に伺えるとよいのですが、少し掘り下げ
て調べてみようかなと思っています。



⓽「智光曼荼羅」(重文、元興寺

昨年秋に元興寺を訪れた際に、「宝物館」で、拝観したことがあります。「当麻曼荼羅」、「青海曼荼羅」、とともに浄土3曼荼羅のひとつだそうです。奈良時代に元
興寺の僧・智光が極楽浄土を夢見て、その様子を描いたものという。縦横70~80㎝程度の厨子に入っており、扉絵には四天王像が描かれ、かなり保存状態も良
好と云えます。



⓾「菩薩坐像」(重文、百毫寺、伝文殊菩薩

百毫寺多宝塔の本尊と云われる像で、像高1m程度だが、大きく感じられるほどに迫力と端正な像態が優れていると思われる。説明では、「平安時代前期の典型的な作
風を示す堂々とした像」とあり、あながち観方が間違っていないと思う。頭上には大きな髻があり、髪のまとめ方は左右で渦巻き状に巻いている形状が面白い。気持ち両
肩を張った姿勢で、条帛の彫りも確かで、複雑に折り返しなどが著されており、若干大きめかと思える顔には、落ち着いた静かな顔立ちの表情をしている。



⑪「矜羯羅童子(こんがらどうじ)像、制吒迦童子(せいたかどうじ)像」(重文、宝山寺

平成28年に、宝山寺本尊の「不動明王坐像と脇侍像他2像と倶利伽羅龍剣」が重文指定になった。その脇侍像2体が今回展示された。1m程の江戸時代の造像にな
る2体で、「京都仏師院達」の制作との研究があるそうです。量感のある両像は、平安、鎌倉時代などの造像時期の像とかなり雰囲気が異なる感じで、着衣の襞や衣
文の処理の仕方が為す技なのかと、考えてしまいます。大きな裳裾を引くのも目立つものとなっているようだが、身体の彩色や着衣の紋様彩色も含め、破たんの無い像
態と思える両像です。



⑫「五大明王像(厨子入り)」(重文、宝山寺

展示会場の最後になるような場所の展示で、像そのものは小さいものですが、厨子に入ったままの展示で、厨子は高さ横ともに1m程の大きさで内壁を含む箱内部全
体が金箔仕立てのようです。「生駒聖天」で知られる宝山寺ですが、私は訪ねて行ったことは無く、あまり縁の無いお寺でした。五尊は、平安時代にも貴族社会で盛んに
なった信仰だそうです。すべての像が20㎝程度の小像で、中尊・不動明王坐像、降三世明王立像、軍荼利明王立像、大威徳明王騎牛像、金剛夜叉明王立像が各々忿怒
形の形相で、火炎光背を背負う姿で、各々多面多臂の細かい表情をして、腕の動きなども違うが、それぞれの特徴を捉えた細かい造像が出来ているようです。よく知りま
せんが「淡海」73歳の時の江戸時代半ばの造像だそうです。



⑬「普賢菩薩騎象像」(重文、岩船寺

幾度となく、お寺で拝した像で、菩薩像に比して小さめの白象に載り、面長の顔付と撫で肩の華奢な体躯と肉付きの薄い結跏趺座の膝脚部、大きめの髻と天冠台から垂
下する大きな側飾かと思われる装飾、控えめな像態という印象です。白象はこれまで拝した他寺院像に比べて、彫りが滑らかだが肉付きが無く、迫力が無い、四肢に蓮華
台座を踏む。



⑭「大日如来坐像」(浄瑠璃寺

今年の正月上旬に「灌頂堂」での公開日に出掛けて来ました。畳敷きの仏間に安置された本像を拝観したのが、初見でした。昨年秋に芸大の女性の研究者から説
明を受けた像で、円成寺大日如来像、横蔵寺・大日如来像との調査比較で、興味を覚えました。今冬のお堂での拝観では解らなかったことが期待されました
が、特に改まったことは無かったようです。



⑮「吉祥天女像」(重文、浄瑠璃寺

云わずと知れた、本展の目玉の出展作例のひとつです。東京会場(三井記念美術館)では、期間途中から展示されたとたんに、来場者が極端に増えた、ということ
を聞きました。さすがですね。私もこれまでに公開期間を調べたうえで、何回も浄瑠璃寺に出掛けたことがありますが、九体阿弥陀坐像の中央付近の壇上に置かれた厨
子にはなじみがあります。必ずLEDの使用許可を得て、じっくり拝しています。厨子の扉絵も決して見過ごすことは出来ません。今回は厨子無しで、身体全体が四周か
ら拝することが出来、感動ものでした。厨子を出た姿は初めてで、ガラスケース越しに周囲を何周も廻って、背面の姿や服飾の様子を拝しました。予想通りバラン
ス良い丁寧な服飾の造作と彩色が、見飽きませんでした。右手を垂下して与願印を現わし、左手を肩口まで屈臂して宝珠を載せる姿は、色白でふくよかでしなやか
な、豊かな黒髪の女性の雰囲気が溢れています。鰭袖(はたそで)のついた襼襠衣(がいとうえ)、筒袖、大袖、裙、蔽膝(へいしつ)などの細部を見直し、体幹
部の造りや割首などを確認し、全体に紅色の鮮やかな彩色や、蔽膝の造形や紋様と緑色をベースにした彩色、両袖に大きくふっくらとした鰭袖や、胸高の白く長く大き
く結んだ腹帯など、鳳凰?を頭上に冠したきれいな宝冠や瓔珞などの装飾、足下に眼をやると、靴を包む雲状にふっくらとたるんだ裙裾など、見飽きません。



⑯「不動明王及び二童子像」(重文、浄瑠璃寺

何故か私の贔屓の仏さまです。お寺に参ると必ずお堂入り口の四天王像の2躯と共に、阿弥陀像横の暗く少し奥まったお堂出口横に安置された仏さまに向かいます。阿
弥陀様と比べて狭く暗い場所に立つせいか、あまり関心を寄せる拝観者が少ないようです。不動明王像は巻き髪でかわいいくらいの弁髪を垂らし、口を固く結んで左
側の牙だけを出す姿で、体躯はしっかりとしたあまり動きの無い感じですが、しっかりとした彫りの着衣が力強く綺麗な出来だと思います。矜羯羅童子(こんがらどう
じ)像は、おっとりとした顔立ちで、胸前で合掌して上方を見上げる、ふっくらした体つきが童子らしい幼さとかわいらしさを表わしています。制吒迦童子(せいたかど
うじ)像は、両腕の肘を左右に大きく張り、金剛棒を顎の下に当て、両手で棒を押さえ支えて、踏ん張っている元気がみなぎる体躯で、やんちゃな童子の様子が誇張では
なく、表現されています。造像した仏師は、「康円」ともいわれているが、確証はないそうです。



⑰「愛染明王坐像(厨子入り)」(重文、称名寺

愛染明王坐像は、厨子から出た形で展示されているので、像全体が拝せるのは好ましかった。金銅製で像高10㎝程の小像ですが、これは「五指量」(ごしりょ
う・5本の指を並べた寸法)だそうで、明王像にふさわしい造作をしており、像の裳部分には「銀象嵌」が細工され、全体に細緻の優れたものでしょう。皿状の光背に
も陽刻が施され、座する蓮華台座には、細かい装飾的な細工が施され、台座下部まで手の込んだ細工で観る者の関心は強まります。台座裏には、制作年・制作者などの制
作経緯が刻銘されているそうです。説明によると30㎝程の高さの小さな厨子にも、天井には龍絵が描かれ、観音開き扉内絵には、「金剛欲」、「金剛慢」が、内壁に
は「金剛触」、「金剛愛」という4菩薩が配されているということで、各菩薩絵ともに、彩色豊かな色合いで綺麗に描かれています。

この仏さまは、以前に「金沢文庫」で拝したことがあったかと思いますが、思い出せませんでした。



このほかにも、西大寺あるいは叡尊に関した多くの出展例がありましたが、記載は省略します。

今後の展示替えも楽しみです。期待しているのは、当然のことながら「愛染明王坐像と像内納入品」(西大寺)、「不空羂索観音坐像」(不空院)などです。私は、両
像ともにこれまでにお寺で拝したことはありますが、展覧会ではまた別の観方が出来るでしょう。機会があれば改めて拝観することも考えています。





2017年8月7日 AM3:00  Tak