孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

出光美術館「祈りのかたち 仏教美術入門」 by Takさん

「仏像愛好の集」のメンバーのTakさんから 投稿が届きました。 ブログ掲載します。

【以下 Takさんの文章です】
私のいい加減な「仏像無関係の便り」を度々お送りしていますが、それを我慢して掲載して頂き、恐縮です。私にはなかなか貴兄や赤羽の方のように、的確な仏教・仏像関係の学識や知見がなく、皆さんにご報告出来る情報などが無く、ご期待に沿えません。それでもあるがままに勝手に、近況報告を懲りずに届けます。
 
724日(月)は、契約しているCATVの保守員が見えて、設置機器の点検に来ました。はがきとメールで連絡が来ていたのですが、私がうっかり忘れていたので、「急に」ということになってしまいました。お陰で、予定していた「沖ノ島」写真展に行きそびれてしまいました。
 
 
今をさかのぼること約2500年、人生の苦悩について悩んだ末に到達した釈迦の答えをもとに誕生した仏教。その教えはシルクロードを通して東アジアへ、そして6世紀の日本へと伝えられました。その後も続々と最先端の仏教教学・宗派が大陸から伝えられ、さらにその内容を我が国の実情に合うように変化して、密教や浄土信仰、禅といった諸宗派が成立し、現在も篤い信仰を集めています。
救いを求める人々の願いと、ほとけに対する祈りの気持ちは美しい仏画や麗しい仏像、端正な経典や荘厳な仏具となり、今日まで守り伝えられてきました。
本展では、広大な密教世界を図示した曼荼羅、死後に迎え入れられる憧れの極楽浄土やその反対に恐ろしき責め苦の世界を描いた地獄図、厳しい修行を通して悟りを求めた禅宗の祖師図や近世の禅画など、仏画を中心とする出光コレクションの中から代表的な仏教美術作品を厳選し、各時代・各作品にこめられたほとけへの信仰の心と荘厳の諸相をご堪能いただきたいと思います。
』(展示概要)
 
今日(725日・火)は、午前中の横浜での野暮用が早く終わったことから、もともと予定していた展覧会でしたが、かなり早めに、1230には、「出光美術館」で開催中の「祈りのかたち 仏教美術入門」展覧会に到着しました。開幕日の午後ではありましたが、EV8階へ上がり、少し暗めのゆったりと落ち着いた感じの会場の雰囲気ですが、さして拝観者が多いほどでもなく、楽々と自分勝手に鑑賞して廻れました。後期展示もあり、すべてを観賞してきたわけではありませんが、予想以上に充実した展示内容だったという印象でした。仏像、仏具、経典や各種仏画曼荼羅などの密教美術関係、来迎図を中心とした浄土教の世界、禅宗の美術までを網羅して、すべての出展文化財が「出光美術館」所蔵の出光コレクションということで、拝観する者の眼を楽しませてくれ、また驚かせてくれました。
入場すぐに、「絵因果経」(重文・奈良時代)が、鮮やかな墨跡の経文と、巻物上段を埋める色鮮やかな絵巻が、眼をひきつけました。過去に修復の手が入っていることを念頭においてもです。「過去現在因果経」の教えを絵画化したものとのことで、興福寺伝法院由来のものだそうです。釈迦の出家、修業、魔王や畜生の妨害、瞑想など、順を追って岩山や樹木で、話しのあらすじを区切って分かり易くしているのも、これ以降の絵物語の起源になっているような気がしました。近くには、東博・東洋館で馴染みのような、ガンダーラ出土の石造の彫像や漆喰(ストゥッコ)製の仏頭などの奥に、数体の金銅仏がケースに入って並んでいました。私としては初めて拝観する仏像ばかりでした。「金銅仏三尊眷属像」(中国・十六国時代)、「金銅仏坐像」(中国・唐時代)、「金銅仏坐像」(中国・北魏時代)、「金銅二仏並坐像(中国・北魏時代)、「金銅仏立像」(朝鮮・統一新羅時代)、「金銅菩薩立像」(中国・随時代)などなど。「金銅二仏並像」を知った時、すぐに脳裏をよぎったことがありました。過去に「静嘉堂文庫美術館」や「奈良博」で同じような金銅仏を拝した際に、どちらの会場でも正面からしか拝せないような展示状況で、像の裏面が拝せなかったので、裏面の線刻の仏像表現の拝観を断念せねばならず、その都度会場には、鏡を置くなり画像を添付するなりで、裏面も拝観者に知らしめてくれるようにお願いしたことがあったのですが、今日は思いがけず、展示品の前のキャプションのすぐ下に、カラーで画像が添付されていました。欲を言えばやはり鏡設置が望みですが、むしろ画像展示のほうが克明に表示され、分かり易いかもしれません。事情を知らない拝観者にも、くどくど説明するよりも、黙って像の裏面について、知らせることが出来るように配慮されており、感心しました。他にも美術館の「仏教美術入門」らしい心配りというか、アピールを感じました。各章ごとに大きな解説パネルが掲示されているだけでなく、特に仏像彫刻や仏画に関して、初心者にも分かり易いように、各尊格(如来、菩薩、天部、明王部、大日如来地蔵菩薩など)ごとに各部位や持物など、私たちが日頃勉強している名称(螺髪、三道、瓔珞、髻、印相、条帛、裙などなど)を明示したパネルやキャプションがあり、何も知らない拝観者でも、ちゃんと解るようになっています。密教美術の世界では、「不動明王童子図」、「愛染明王図」、「大威徳明王図」などの尊像図や大きな「両界曼荼羅図」がいくつも展示されていました。その中で、眼を引いたのが、「胎蔵界曼荼羅図」(無指定・絹本着色・南北朝時代)での各院の区分と院についての説明がパネル表示されていたり、「真言八祖行状図」(重文・絹本着色・平安時代1136年)でも、展示説明に工夫が見られました。壁に掛けられた説明パネルでは、本図が伝来したという「内山永久寺真言堂」の堂内図示では、堂の間取りと八祖図の架けられていた場所の関係などが、大きく掲示されていました。その後に各画像が展示されており、「龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏、一行、恵果、空海」の八祖の八枚の大きな画像がズラッと展示されているのも圧巻です。ただし、キャプションには番号が振っているものの、八祖の古い順に展示されておらず、展示場所を横に行ったり戻ったりとなりました。また各画像の説明にあわせて画像パネルに番号を振って、大きな画像の中で、各画像の中心となる各祖の描かれている場所や、由来につながる解説を簡単ですが、表示しています。これは、キャプションに文章で説明されているだけでなく、画像を見る拝観者にとっては、画像のどこを見たらよいかを教えてくれるので、分かり易いものかと思いました。今まで、国宝や重文などの貴重な文化財、特に仏画などでは、よっぽど説明を受けるか、自分で知識習得をして行かないと、本物を眼の前にしても、何が描かれているか判らない、ということがありましたが、このような配慮は歓迎です。さすがに「入門」展覧会です。
「内山永久寺」と云えば、会場の半ばに、柱を背中合わせに展示された「増長天像」、「持国天像」(無指定・鎌倉時代)は像高約70㎝程の像で、両像とも顔や甲冑や裳などに、綺麗な彩色もかなり良く残った寄木造り、玉眼の力強い迫力に漲った慶派様の優秀な像です。像の頭から裳の裾までの体幹部を、脇の後ろに沿って前後に剥いであることが分かるほどに、また左右の肩から腕の付け根部分が、継いでいることが分かるほどに、痛みが目立つものではありますが、邪鬼を踏まえた堂々たる像です。この二体は、片手を頭上に掲げ持物を持ち、片手を腰に当てたスタイルで、内山永久寺西院伝来と云われるもので、四天王像の二体かあるいは二天像かです。同寺のパネルの前で、ある和服を着た夫婦とおぼしき2人から「内山永久寺」は何処にあるか?との問いかけがあり、しばらく私が知っていることを話ししましたが、「フーン」と云ったきりで、結局はあまり関心が無いようでした。
「青銅鋳弥勒菩薩図経筒」(無指定・平安時代1147年)には、筒胴体には、弥勒菩薩とおぼしき像様が、像本体だけでなく銘文までも画、陽鋳されているのは、どうやって鋳たのでしょう。緑青の青色が邪魔して、鮮明には判じられませんが、それでも光背から蓮華座まで、しっかり眼にすることが出来ます。また「普賢菩薩騎象図」2幅は、各々特徴のある、彩色もそこそこ残る端正な画像です。1幅は白象の鞍上の普賢菩薩像が、象に比較して極端に小さく、同心円状円光背から放射状に頭光が描かれており、また、雲乗の雲すれすれに頭を低く下げた白象は、ちゃんと6本の象牙を描き、頭上には蓮華台座とおぼしき台上に立つ極く小さな3体の人物(仏?)を載せています。1幅は、普賢菩薩像は画面に対しても、鞍上する白象に対してもそれなりの大きさで描かれており、像容画はっきりと観られます。白象は顔をまっすぐ前に向け、6本の象牙を描き、頭上にはやはり台座上に極く小さな3体の人物(仏?)を載せています。
当麻曼荼羅図」(無指定・絹本着色・鎌倉~南北朝時代)は、1m四方程度のあまり大きくない曼荼羅図ですが、茶系統の綺麗な色調の、オペラグラスを使っても眼が痛くなるほどに、細緻な画面構成は、当麻曼荼羅の原本の4分の1程度の画像で、画面周囲には、説話や「極楽浄土の観想法」(16観)が描かれています。気になってすぐに右側下の「雑想観」(阿弥陀三尊像)に眼を向けました。如来の印相までは小さくて判別出来ませんでした。この図にも、詳細の解説が付いており、感服しました。同じように「六道・十王図」(六幅対・無指定・絹本着色・室町時代)も、「十王地獄図」(双福・重文・絹本着色・鎌倉~南北朝時代)にも、初めて拝観しても分かり易く解説がありました。他には、地獄の種類や六道世界、裁きの期日、地獄の場所など、普段知ることの無い仏教の教えが、これでもかと解説されています。
工芸品では、「蝶文蒔絵経箱」(無指定・南北朝時代)、「金銅蓮唐草文透彫経箱」(重文・室町時代)が特に気を惹かれました。また「禅宗の美術」関係は、一休ゆかりの禅画や墨蹟が盛りだくさんでしたが、その中でも新知見として、「出光興産」(石油元売会社:出光美術館を経営・運営)の創業者である「出光佐三」氏が、「仙厓義梵」(せんがいぎぼん)のユーモアある仏画や墨蹟を、1千点も蒐集する愛好家だったということです。このコーナーはざっと流して鑑賞しました。
気になって、会場のあちこちで散見された、初心者向けだけではない、多くの仏教美術に関する情報が、少しでもメモれたら、今日訪れた意味もあると思ったのですが、持参したノートに書き写すには、時間もなく、あまりにも気が遠くなる作業に思えたので、すぐに諦めました。かといってカメラを取り出すわけにもいかず、ガッカリしましたが、退場して来てからショップで2,100円也の「図録」を手にしてみたら、会場で解説していたパネルの多くが、図録のページの各所に解説されており、内心、図録までもが入門展と銘を打つだけのことはある、と得心しました。
 
閉館時間が来ても、お尻を叩かれないので、粘りながらピンポイントで当麻曼荼羅図」などを戻って観て廻りましたが、1730過ぎにはさすがに退場を促されました。週末だったら1900まで時間延長されているそうです。退出時にEVを待っていたら、思いがけず後ろから私と同年配とおぼしき女性から声を掛けられました。「先日の清泉女子大学での講演会に参加されていましたね。最後に山本勉先生に話しかけられていましたね。」というものでした。結局、有楽町まで、彼女の「おしゃべり」を聞いて、別れました。彼女とは、またどこかでお会いするかもしれません。美術館を出ると、ちょうど会社の終業時間と重なり、駅までの通りは、社会人の男女で一杯で、まるでラッシュアワーのようでした。
 
 
2017726日 AM300 Tak