孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

新規新人さんに寄せて!  図像学 に興味ありませんか?

仏像愛好の集に、ここ3回ほど ブンブンさんの紹介で、お若い方がお二人 来られる様に成ってきてます。 嬉しい限りです。 お若いせいもあってか、失礼ながら、まだ初級とお見受けしましたので、 仏像の基礎を復習してみます。  皆さんの様に何十年来の キャリア仏像ファンには 釈迦に説法でしょうが・・・、新人さん向けと ご容赦下さい! 

まず仏像とは何でしょうか? 彫刻とは如何に違うのでしょうか? 

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近代美術館に展示でしたか?! 日本近代彫刻史上最高傑作であり、重要文化財指定の荻原碌山の絶作 『女』 は、仏像バカの私にも素晴らしいと感じます。 その素晴らしさは美術でして、表現者(作者)が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々とされます。この像では
感覚、感情かなと思います。勉強してみましたら、モデルは夫のとともに
新宿中村屋を起こした実業家相馬愛蔵の妻の黒光で、、碌山の作品『女』像は黒光をモデルとしたものだと言われている。人妻との恋の葛藤?内面の相克・葛藤を、表現するを成し遂げています。

一方仏像を考えますに、まず、仏像は芸術品でしようか? 本来それは仏教の像 仏像観賞なんて、 フェノロサの美術(一種の哲学)の方向性になってからでして、それ以前は 拝むもので、観賞するものでは在りませんでした。 運慶に芸術的才も在るのは認めますが、運慶願経、 興福寺復興に おいて、技術者では無しに 僧侶を感じます。 その僧侶達が造像した仏像、 仏教の像としても鑑賞したく思います。
仏像が何を意味するか 把握に在ると思います。 まず仏像は、芸術彫刻と違いを認識しましょう、 私は仏像を
ポートレート写真に喩えます。 大切にするポートレート写真、 写真自体が大切なのでしょうか? いいえそこに写って居る人が大切なのです。 斯様に 仏像の価値も そこに安置の仏像が尊いのでは無しに、かたちどられた仏、(尊)が尊いのです。 阿弥陀如来立像が尊いのでは無しに、阿弥陀如来尊いのです。本体、色も形もない 真実そのものの法身尊いのです。 そこで、その法身の 仏・菩薩・明王・ 天部の 意味を知ろうと思います。 平安時代の 鎌倉時代の仏像と云う美術史に対して 此方の、釈迦如来阿弥陀如来観音菩薩地蔵菩薩の意味を考えるのを図像学と言います。 

図像学」というのは、仏像仏画に見られる美術的表現の含意や由来などを研究する学問のことです。 「描かれた絵柄、仏像の姿勢の意味やそれにまつわる歴史を知っていれば、昔の作品でも、身近に感じられると思います」  貴方は、「図像学」に興味ありませんか?

仏像の図像学のに関して、仏像の入門書の多くは・・・、基本の如来・菩薩・明王・天部衆 の尊格の意味合いから、 入って居ます。
ここで、簡単な比喩的説明をしますと、如来は悟った存在で、研究の成った教授の様なもので、菩薩行は上求菩提下化衆生と言って、菩薩は自らの修行勉強中で、傍ら学生には教えることもしする、助教、講師のような存在です。
明王は その路線とはちょっとずれた存在と思います。 密教における尊格及び称号で、如来の変化身ともされてます。菩薩と共に衆生を覚りへと導く尊ですが、 正しい法を護るために菩薩の姿をとる正法輪身の菩薩に対して、導き難い相手に対して忿怒尊の形をとる教令輪身の姿が明王 とされます。天部は 仏像グループは仏教以外の神が仏教にとり入れられて,守護神となったものです。 重ねて言えば もとインドの神々です、 天と呼ばずに 伽藍神荒神などの神や、蔵王権現・飯綱権現など権現は 中国や我が国の神が守護神と成ったもので、天とは区別されてます。

その他(天竜八部衆とか色々あります。それらの龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅緊那羅摩睺羅伽は個の名では なしに、其々の種族の総称です。

先述で、仏像を 肖像写真になぞらえましたが、 の意味は 写真自体に在るのではなく、 その人の写真 つまり、その人に意味があるのです。恋人の写真は その写真が大切なのでは無しに、 そこに移って居る人物の恋日つが大切なのです。 そういう認識した後で、7月23日まで東博の11号室の入り口 メイン展示に出てました 大蔵集古館の 普賢菩薩騎象像、を見てみます。 

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確かに 美しい造形です。 この彫刻が美しいのでしょうか? もしかして、美しく見るのは 法身普賢菩薩が美しいからではないでしょうか? 邪鬼や奪衣婆に 美ものも あるのでしようか?・・・、 この普賢菩薩騎象像に 匹敵する易しく美しい 奪衣婆像は無いでしょう。それは、 つまり普賢菩薩が美しいからなのではないでしようか? 

ここまで来たら、普賢菩薩が何故に美しいか、 普賢菩薩って どの様な 菩薩なのかを知りたくありませんか? それが 「図像学」 です。

普賢菩薩は梵名のサマンタ・バドラとは「普く賢い者」の意味であり、彼が世界にあまねく現れ仏の慈悲と理知を顕して人々を救う賢者である事を意味する。また、女人成仏を説く法華経に登場することから、特に女性の信仰を集めた。
慈悲と理知を顕す。 それに相応しく 前回の11室の メイン展示に 在りました 大倉集古館の 国宝 普賢騎象像は その様に美しいです。 女人成仏を説く法華経に登場することから、特に女性の信仰を集めたと在ります如く、平安や鎌倉の 上流階級の女性に大層な人気で、それに相応しく 普賢騎象像は美しく作られた とも言われてます。 

その様に 仏像の尊の 意味や信仰を 知りますと、 現在の仏像の鑑賞が 「その尊の意味やそれにまつわる 歴史を知っていれば、千年前の作品でも、身近に感じられます」. 一緒に 図像学を楽しみませんか? 

続いて 各 尊の意味合いを 個々 勉強したく思います。ご賛同の方は いらっしゃいませんか?