孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

東博展11室示替え

Takさんからの投稿を見落としてました。m(__)m、遅ればせながら・・・、UPします。

東博11室展示が、1025日(火)~H2925日(日)の間、展示替えされます
先に私からお送りしたメール「例会はドタキャンで・・・103日付」の送信の際に、展示像に「浄瑠璃寺伝来・十二神将像・辰神像」が予定されていることをお伝えしましたが、1体ではなく、3体が展示されることになっています。2体多く拝することが出来て、少しは良かったですね。他にも「東大寺伝来・大黒天立像」、「大倉集古館・法蓮上人坐像」、「曹源寺・十二神将立像・12体」、「大将軍八神社・男神像、武装男神像」など、おなじみの仏さまが姿を見せて下さるそうです。
 
 
浄瑠璃寺伝来 十二神将像・戌神像」           浄瑠璃寺伝来 十二神将像・辰神像」
    
 
 
 
●また、1023日(日)まで展示されていた、「多武峰伝来・十一面観音菩薩立像」について、皆さんの中にも何回もご覧になった方が大勢いらっしゃることと思いますが、ある関係者から同像についての論文が掲載された書籍・東博研究誌「MUSEUM660号(20162月)を頂きました。会のメンバーの方には、既にご存知の方もいらっしゃることと思いますが、私にとって新知見のことばかりでした。簡単にご紹介します。
 
多武峰伝来・十一面観音菩薩立像」 重文、唐時代、7世紀、多武峰伝来、東博列品番号C-304
本像の解説では、像高42㎝、白檀の一材彫出、小さく丁寧に作られた頭上面は、頭上と後頭部に合せて十面を戴き、本面と合わせて十一面となる。左手は水瓶を持ち、右手は八の字にねじった数珠を絡めている。精緻な胸飾、瓔珞そして天衣、小像ながら破綻の無い像容になっている。ここまでは私の見た目で書けることです。ここから先は、上記書籍・三田覚之氏の論文からの転載、要約です。
 
新知見1. 右足のみほぼ足下全体に角枘を作り、蓮華台座の枘穴にはめ込む形式となっている。左足裏は扁平になりペース状の塗料が塗られていて、台座には枘穴が無い。これは淺湫毅氏、西木政統氏の協力で調査した結果で、江戸時代の修理では、足枘片方の姿で完成終了していることとなる。あとから左足の足枘を削ったということは、不自然で考えにくく、修理前から片足のみであったと考える。つまり、像の制作当初からのものであろう。理由として、白檀による十一面観音像について、「十一面観世音神呪経」などいくつかの中国(周、唐)の経典には、釈迦如来のもとを訪れた観音菩薩は、一切衆生の悩みを救うため、自らが保つ「十一面」という心呪(陀羅尼)を説きたいと願う。観音菩薩は、「白檀」によって「十一面観音像」を造り、本尊として十五日間行なう「十一面心呪の行法」、「像の供養法」と儀礼が完結した時の「奇端」について説く。これにより座所を離れずに空を行くことが出来、結願時に観音菩薩の来迎により、白檀像が「揺れ動く」、「自然動揺」ということが書かれており、供養の対象である白檀像について、「動く者よ、震え立つ者よ」と呼びかけ、願いの成就を祈っているという。この考えや伝えを踏まえて、これが実際の造像に際し、右片足立ちに通じるものになったと考えられる、という。また淺湫氏はもっと直接的に、本十一面観音像の環状耳飾りや、「法隆寺」の「九面観音像」(模刻・東博列品番号C-221)にみられる、本体と同木から彫り出された耳飾りや、頭上化仏についている頭飾なども、輪環状で同じ考えが適用されるだろう、と主張されている。
他に新知見23として、本像が「神呪経」のどちらの訳本に基づく造像かが論じられている、像の持物の「瓔珞」か「数珠」かの判断。白檀像に関する寸法の基準になる尺度、についても論じられてているが、ここでは上記新知見1.のみ紹介し、他は別途書籍紹介をすることとします。
 
 多武峰伝来・十一面観音菩薩立像」
                             
 
 
法隆寺 九面観音菩薩立像(森川杜園模刻)東博蔵」
   
画像、うまく張り付くかな?
 
 
20161024日 Tak
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