川崎大師教学研究所 講演「大伝法院本尊等之事公開講演会」に行きました。
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【本文】
≪川崎大師教学研究所 第17回「公開講演会」≫
題 名
「高野山大伝法院本尊等之事 ―弘法大師空海から覚鑁が学んだこと―」
講 師
神戸市東灘区、新義真言宗総本山根来寺文化研究所 所長中川委紀子先生(67)
(真言宗各派総大本山会(各山会) 本年度 密教学芸賞 受賞)
日 時
平成28年11月6日(日) 午後2時~午後3時30分
会 場
川崎大師教学研究所講堂
「高野山大伝法院本尊等之事 ―弘法大師空海から覚鑁が学んだこと―」
講 師
神戸市東灘区、新義真言宗総本山根来寺文化研究所 所長中川委紀子先生(67)
(真言宗各派総大本山会(各山会) 本年度 密教学芸賞 受賞)
日 時
平成28年11月6日(日) 午後2時~午後3時30分
会 場
川崎大師教学研究所講堂
受講料
無料 事前申込不要 定 員 100名
主催 川崎大師教学研究所
に行ってきしました。
主催 川崎大師教学研究所
に行ってきしました。
【参考 画像】
講演内容は
■根来寺本尊と大塔に付いて
■覚鑁と大伝法院・末寺根来寺の創建について
1大伝法院本尊像
2大伝法院本堂内の荘厳・安置本尊
3大伝法院墎内堂塔
4大伝法院の法会組織
等の講義が行われましたが、私には正直難しかったです。大筋は根來寺を開創された覚鑁上人は肥前で生まれました。13歳で京都・仁和寺の寛助僧正に従い出家得度し、奈良と京都を往復しながら仏教を学び、20歳になると高野山に登り、真言密教の復興に努力しました。
やがて鳥羽上皇の庇護を受け、学問探究の場である「伝法院」を高野山上に建立します。同時に根来近郊の荘園を院宣により賜り、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。しかし大伝法院方は高野山の一部の人たちとの間に確執を生じ、結局、保延6年(1140)に根来に移ることとなりました。
大筋この話な覚鑁上人の事績的なお話なのですが、強調されて居たのは大伝法院方と高野山の人たちとの間に確執が生じ、袂を分かったと云われてきた事に対し、 講師は、両寺と醍醐寺などの聖教文書から見て、言われて来た両派のいざこざは否定的に成ってきていると述べられた。 又、覚鑁上人の空海上人崇敬に関しては、覚鑁上人は仁和寺にての出家得度の僧なのに、高野山に大伝法院を建てた心情を 空海上人への強い信仰を持って居た事の証と捉え講義されました。根来寺にある大師堂も、然りで、空海上人への強い信仰と云われまして、従来の覚鑁の空海真言宗の決別との見方を否定されてました。
日本仏教史は不勉強・不得手の仏像ファンとして、興味を引きましたのは今、高野山には無き大伝法院を偲ばすものは、今も残る根来寺の再建の大伝法堂と再建の大塔なのでして、更に大伝法堂内の大日如来、金剛薩埵、尊勝仏頂の丈六仏坐像3躯の奉安です。大伝法院墎内堂塔並本尊等目録に、已上三尊皆院覚作と在るそうです。 この文章から根来寺の各像が 高野山の伝法堂の像の尊名と像様が一致と観られ、根来寺の各像が重文に指定だそうです。
実は数年前に「仏像愛好の集い」メンバーの古参の方々と根来寺に参拝したことがあり、その時はまだ高野山の昭和再建の大塔を見る前でしたので、此処の大塔の立派さ、又、伝法堂の丈六仏が3躯の並ばれる壮観が記憶に在ります。醍醐寺文書の大伝法院覚鑁の事績は 難しかった私には、そんな根来寺参拝の経験もありでしたので、講義中は特に根来寺の大塔、大伝法堂の三尊の解説が面白かったです。 大塔に付いて、 金剛界曼荼羅の三昧耶会の大日如来の三昧耶形は塔であるとの例を挙げて、この大塔は 仏舎利塔では無しに、大日如来そのものをを現していると解説されました。この大塔が大日如来! 奈良・鎌倉の大仏のような巨大な大日如来坐像に思えてきました。
この大塔の内部は 胎蔵生曼荼羅の中台八葉になって居るそうです。 本尊は胎蔵生の大日如来なのですね。並ぶ伝法堂の中尊は金剛界の大日如来 この二つで金胎を現しています。
この大塔、さすれば起源はチャイティヤ(祠塔)なのかなと思いました。
これは以前に、他で教わった事ですが、仏塔にはスツーパ(墓)とチャイティヤ(祠塔)の大別が在るとの事でした。
チャイティヤ【caitya】 (世界大百科事典 第2版の解説)
古代インドで礼拝対象一般を指すサンスクリット。パーリ語ではcetiya,漢訳は制多,制底,支提など。〈火葬のための積み上げられた薪〉を意味するという説もあるが,その原義は明らかでなく,礼拝対象,や礼拝対象をまつる場所(霊廟)もチャイティヤと呼んだ。また初期の仏教徒の主たる礼拝対象であるストゥーパを指すこともある。チャイティヤ堂caitya‐gṛhaとはストゥーパを本尊とする祠堂。
簡単には、釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚の仏舎利塔のストゥーパと本尊(仏像)を祀る祠堂(祠塔)とのチャイティヤに大別してます。
伝法堂の金剛界と大塔の胎蔵生の金胎一具 や、伝法堂の柱絵には三十七尊の種字。とか大伝法堂の復元図には、東寺の講堂立体曼荼羅を思わせる安置尊尊像・荘厳に覚鑁の空海傾倒が見られるそうです。
以上講義内容を報告しますが・・・、古文書や寺、覚鑁の事績。御願寺、御侍僧、法会のお話も多かったのですが、そちらは不得意ですので、自分に いささか分かる事を拾って書かせて頂きました。本筋を書けずで済みません。
そんな中、覚えてますは、御願寺と大日如来像に付いて、でして、(随心院 聖教) 『御持僧作法』〈後表紙外題〉勝覚僧正筆 の中に 塔変成金剛界九会曼荼羅主法界躰智遍照如来、此則威光普照日天子也(以下省略) 私の訳では・・・、塔内の変性した金剛界 九会曼荼羅の主、法界体性 智の大日如来、はすなわち威光を普く照らす天子なり と書かれているのではないかと思います。もっと意を取れば、大日如来は天照大神=天皇なりと言っているのだろうと解します。 この時代の神仏混淆の一例と思いました。
講座修了後に 質問をする人はいませんでした。私は講師に 真義真言宗という良い方は古風でないと感じたので、その様に言い始めた時期を伺いましたら 江戸時代からとのお応えを貰えました。もう一つ根来寺の尊勝仏頂の定印の掌に持つ事物が何なのかを聞きたかったのですが、講師を応接室に連れて行く役目の若い僧に途中で遮られ、思うに任せませんでした。 無念!
【添付画像】 根来寺 尊勝仏頂 坐像 持物は??何のでしょう?
鉤・鈎 (こう) は、先が曲がった棒状の、もっぱら金属製の器具である。と聞いた事も在りますが…、
今回、また調べ直しましてみましたら、
を見つけましたので、その持物は「鉤」なのでしよう!