孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

【10/9改】 我が国一の仏像と評された「大安寺の釈迦如来像」を 運慶は見ているのか?


【大安寺の釈迦如来像を 運慶は見ているのか?】
昨今の孤思庵の疑問 運慶は 七大寺日記」によると、薬師寺金堂 薬師如来についての表記に「大安寺の釈迦像を除けば最もすばらしい」と述べられている。斯様に我が国一の仏像と評された「大安寺の釈迦如来像」を 運慶は見ているのか?との疑問なのです。

【運慶の時代】
運慶の最初の造仏は安元2年(1176年)に完成した奈良・円成寺大日如来最晩年の運慶の仕事は、建保4年(1216年)には、神奈川・称名寺光明院に現存する大威徳明王像。

【乾漆 大安寺本尊釈迦像の焼失の時期?】
その頃まで大安寺本尊釈迦像は在ったのか?

下の新潟産業大学人文学部紀要 6  大安寺釈迦像の記事では・・・、寛仁元年(1017年) 三月一日 西大寺焼亡 但し 本尊釈迦像は免火 と、 これで運慶がこれでは、焼失の時期は?のままです。さすれば、大安寺本尊釈迦像は何時に焼亡か?

確証に至りませんがそれぞれの年代から推測して、運慶が大安寺の釈迦如来像を見ている公算は大と思います。

ネット検索で探した論文】 ネット記事を熟読したいと、新潟産業大学人文学部紀要 6  大安寺釈迦像 Page 1 1997 第6新潟産業大学人文学部紀要 からの転載を試みましかが 上手くゆきませんでした。一度は出来ても消えてしまってました。残念!

興味ある方はPage 1 1997 第6新潟産業大学人文学部紀要 ←をクリックしご覧ください!
そして 御教授ください。

自分でネット検索した上記で転載は上手くゆかなかったのですが、 その後、落ち着いて、分科会勉強会で Takさんから 配って頂いた資料を自宅で再読しましたら 何と! 同じ論文でした。熟読の為にと 汗だくで、ここに転載しようとし、出来ずじまいでしたが、それは 徒労だったんですね!・・・ 頂いた資料で勉強します。 解らない事が出ましたら 質問しますので御教授」願います。

もう一つ 京都大学の論文  摸刻の意味と機能 ---大安寺釈迦如来像を中心に--- 皿井 舞
も配布してくれました。 合わせて熟読したいと存じます。

これ等を参考に 、教授を得て、遠くない時期に 「運慶は「大安寺の釈迦如来像」を見ていた」とのブログか 勉強発表をしたいと思います。
果たせなければ、皆さんの協力を得て、適当な時期に この辺の勉強会をしたいものです!


またTakさんは、「運慶と興福寺の西金堂釈迦如来像」と題した興福寺 国宝館館長の金子啓明氏の記事を提供してくれました。そこには、西金堂の釈迦如来座像が運慶作に評定された「類聚世要抄」の事や興福寺の鎌倉復興、西金堂修二会 堂衆・運慶 などの興味深いが乗ってます。

Takさん、いろいろありがとうございました。