孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

7/8改 「仏像の集」のメンバーの Takさんの 近況お便

最下段に 訂正記事を 載せました!7/8


「仏像愛好の集」のメンバーの Takさん が近況のお便をメールしてくれました。転載します。

「集いの会」の関係でいえば、既に6月の行動予定通りで、天気を気にしながらの毎
日でしたが、東京の21日(火)午前中だけはひどい雨天となったものの、遠出をした
日にちは、幸いにも雨天の合間を縫った形となり、傘を差すようなこともなく、予定
を消化することが出来ました。



1.6月21日(火)東博「ほほえみの御仏展」、「古代ギリシャ展」 

・ここでは、仏像に造詣の深い「集いの会」の多くのメンバーの方が鑑賞に行かれた
ことと思いますので、「集いの会」で話題になることと思い、省略します。

開門前には、雨の中熱心な方々が多く詰めかけ、警備が厳しく、荷物チェックなどを
された後、本館に向かいました。荷物チェックは、これからしばらく実施するそう
で、「集いの会」の定例会、基礎勉強会の際は、そのつもりでお出かけ下さい。何故
中宮寺像に人気があるのか、ガラスケースを取り囲む人数が多く、韓国像にはあま
り人数が集まっていなかったが、韓国での開催と同じように、たった2体が10メート
ルの距離で向かい合う展示になっていました。これは、聞くところによると、韓国の
博物館館長が、韓国像は中宮寺像に比べて像が小さいことから、並べて展示すると見
劣りがする、との思惑から、韓国会場、日本会場とも同じ展示形態をとった、という
ことでした。でも、私としては金銅仏としては大きい部類に入ると思っていたので、
予想外の逸話にビックリでした。本当か否か判りません。韓国像の後ろからの姿、台
座の特異な形態が思いがけず、しばらく見入ってしまいました。また、金銅仏として
は、何か顔付きなど異質に感じられ、法隆寺の48体仏などの方が、柔らかな表情や体
躯をしているようで、ハッキリ違うな、と感じました。ガラスケースでの展示とはい
え、間近く鑑賞できる興奮は久し振りのもので、中宮寺像頭部の宝冠取付け釘穴や瓔
珞取付け釘穴、腕釧取付け釘穴から、右腕脇下の添え木や像脚部段状接合部、顔部額
の宝冠跡の額との状態の違いなどや左足踵の補修跡など、今まで確認出来なかったこ
とがすぐに発見出来る驚きがありました。初日だったせいか、入場者が多いと予想し
てか、監視員は「国立科学博物館」からの応援職員が目立ちました、私が先日見学し
た「恐竜展」で科博の館内で見かけた男性職員が、東博本館正面玄関に立っている姿
を見かけました。特別展などがあると、応援に来るそうです。ちょうど科博は「恐竜
展」が終わったばかりだったので、東博の屋外と会場内の整理・監視の応援に10名程
度駆り出されているとのことでした。

NHKTVでの特集番組を録画していますので、改めて時間を取って見直して、併せて会
場の雰囲気を思い出そうと思っています。





2.6月23日(木)京博「徳川家康没後400年・徳川将軍家と京都の寺社・知恩院を中
心に」展、彫像関係平常展示「定朝様と慶派の仏像」。仏教大学ミュージアム「発遣
来迎展」。

・「発遣来迎展」は、佛教大学の広沢キャンパスにある「宗教文化ミュージアム」が
会場になっていました。早朝、京都駅で時間調整をして、主要な観光地へ向かうバス
の発車を見送って、1時間に3本の乗客が数人の「山越」行きバスに乗車し、龍安寺
妙心寺などを過ぎて、約50分で終点に到着し、徒歩10分で「広沢の池」に到着。広々
とした長閑な池の畔をのんびり歩き、そのすぐ先に、佛教大学キャンパスがあり、
ミュージアムの扉を開けました。一見学校の校舎のような建物の1階奥が展示会場に
なっており、思った通り、見学者は誰も見かけず、ついに2時間後に退出するまで、
誰も来ませんでした。ガランとした展示場に一人で、「観無量寿経」、「二河白道
図」、「阿弥陀来迎図」、「選択本願念仏集」、「安楽集」、「一枚起請文」など、
法然の教えである専修念仏に関する多くの文書や経典などが並んでいるのを観て廻り
ました。 

お訪ねした学芸員が不在で、思いがけず、暇そうな職員と長話しをしてしまいました
が、親切にも「事務所の書棚にある書物を差し上げます」との有難いお話しがありま
した。遠慮なく見廻して、展覧会図録(今年、H26年)の2冊や、佛教大学発行の研
究資料(「月輪寺の仏たち」)、そして「佛教大学宗教文化ミュージアム研究紀要」
を書棚から見繕って3冊(「仏像をめぐる指向性と嗜好性・仏師と願主のはざま」、
「湛慶様式の形成と展開をめぐる試論・湛慶周辺作例における造形的志向性への視
座」、「興福寺天燈鬼・龍燈鬼像の造形的系譜をめぐって」)を頂戴しました。もっ
とじっくりと見廻せば、面白い論文や資料があったのでしょうが、無料という誘惑も
ありましたが、最初の訪問先で、この先荷物にもなるのでこれくらいにしました。職
員からは、他の大学での展覧会の紹介(龍谷大学ミュージアムでの「本願寺展」)の
紹介もしていただきました。

帰りは、ミュージアムのすぐ前のバス停で、大勢の幼稚園児とジャンケンをしながら
バスを待ち、往きとは別の路線バスに乗って、また小一時間で、午後2時過ぎに京都
駅に戻って来ました。



・「徳川将軍家…」は、あまり彫像関係の話題が乏しいのですが、徳川家康、秀忠の
坐像が、2014年に重文指定となったもので、親子像が揃って知恩院の外部に出ること
は初めてということでした。どちらの像も、外見上はあまり差異が無く見えるが、秀
忠像は、秀忠本人が七条仏師・康猶(こうゆう)に命じて作らせたというもので、家
康像も康猶作?とされている。両像とも一抱え以上に大きく、また仏像を見慣れた眼
には、単純な造形にがっかりでしたが、紋様彩色には細工の精緻さに感心しました。



・「定朝様と…」は、新知見の仏様も多くて、感動しました。出展されていた仏様
は、以下のサイトをご参照ください。

http://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/index.html         

愛宕念仏寺・金剛力士像2体(玉眼)は、鎌倉時代初期の「慶派仏師作」?だそうで
す。手の届く間近が良い。

金剛寺大日如来坐像(智拳印)丈六像は、光背、装飾、宝冠など完璧な堂々とした
姿。胎内仏あり。手の届くほどの間近さが良い。

金剛寺不動明王坐像は、大日如来に引けを取らぬ大きさと迫力で、光背の迦楼羅
もども眼を離せない。胎内銘の「仏師行快」の写真も添えられている。手の届くほど
の間近さが良い。

三十三間堂千手観音菩薩立像は、「仏師湛慶」作の9体のうちの1体。まさに手の届
くところで、少し横に廻りこんでの鑑賞も可能。   

妙光寺薬師如来坐像は、無指定だが、秀作。結跏趺坐の両足裏にまで衣が掛かる
が、衣文がシャープでくどくなく、顔部は眼(玉眼)の大きなはっきりとした顔立ち
で、高知・雪蹊寺薬師如来像と類似しているとして、「仏師湛慶」作?と推定して
いる。

西寿寺(尼寺)・阿弥陀如来坐像は、60㎝くらいの小像。白毫の穴に銀製の筒を嵌入
しているという。定印の印相で、全体にバランスよく衣文の表現もシャープで不可な
く纏まる。鎌倉時代中期とのこと。

愛宕(おたぎ)念仏寺・金剛力士立像は、2体とも玉眼、鎌倉時代前期の作。一見東
大寺南大門像のミニチュア版?慶派仏師の作との表示あり。

西住寺・宝誌和尚立像・平安時代11世紀の作と云う、顔部中央が縦に割れ、中に十一
面観音の顔を彫る異形像で、全体に彫り浅く、左右腹部から脚部にかけて鉈彫り風な
表現あり。ガラスケース入り。

清水寺・伝観音菩薩勢至菩薩立像は、藤末鎌初12~13世紀の作と表示され、東国浄
楽寺像に近似するという。髻高く宝冠装飾類、持物無しだが痕跡あり。寺伝では、阿
弥陀三尊の脇侍という。ガラスケース入り。

などなど。

3階では、京博ボランティアの男女4名が、仏像の摸像や頭部の玉眼構造を解説する為
の、素地の模像を広げて説明コーナーを設けていました。呼び止められたので、少し
話しを聞いて、像を手に持たせてもらったりしました。





3.6月24日(金)滋賀・大津歴博「大津の仏教文化16・歴博周辺のほとけさま展」

 以前、「阿弥陀さま展」で出かけたことのある「大津市歴史博物館」に足を運びま
した。2両編成の京阪電鉄石山坂本線の「別所駅」で下車。大津市役所前を通って、
園城寺三井寺)山門の手前を右折し、坂を登ると正面の「琵琶湖」の水面が光る先
に、対岸の「三上山(みかみやま)」、博物館左手奥に「比良山(ひらさん)」、
「壺笠山(つぼかさやま)」、その背後に「比叡山(ひえいさん)」が緑濃く展望出
来ます。6月上旬まで、「H27年度新収蔵品展」を行なっていたそうで、歌川広重の五
十三次浮世絵などが展示されていたそうです。午前9時開館でしたが、到着したのは
10時過ぎ。しかし、館内はガランとして、職員のみ数名に会う程度です。一人で展示
場を巡るのは、あまり気持ちの良いものではなく、少しでも見学客がいると安心出来
るのですが、今日もまた一人でした。「ミニ企画展・大津の仏教文化16・歴博周辺の
仏さま」展と云うもので、確かに昨日の展覧会と比べても、ローカル色が満ち溢れた
展示内容でした。

・菩薩立像(大津市指定文化財)・平安時代(8C~9C前半)・大津市最古の木彫像の
ひとつ。北保町自治会蔵。像高100㎝。園城寺の旧蔵で、本尊が不明の脇侍像か?

阿弥陀如来坐像・平安時代(9C前半)・園城寺金堂蔵。上半身の肉付きに比し結跏
趺坐の膝部が極端に小さい(左右幅狭く、前方への張り出しが小さく像の奥行きがな
い)。結跏の組んだ両足が見えない。第1・2指を念じた印相。像高44㎝。

・千手観音立像(大津市指定文化財)・平安時代(9C 前半)・近松寺蔵(秘仏
尊)。銅造鍍金。バランスが良く、衣文がシャープ、天衣・瓔珞がしっかり付いてい
る。体幹部一鋳、腕は合掌手+宝珠手+両肩と左右前後3列(前5本、中7本、後7本)
の左右各21本。化仏、宝冠、持物、天衣遊離部、光背、頭部の頂上仏面や頭上面(10
面)は別鋳。この時期の金銅仏(特に千手観音像)は数が少なく。貴重な作例。像高
40㎝。

阿弥陀如来立像・平安時代(12C後半)・両国寺像。像は小さめの平たい頭部、穏
やかな面相、彫りの浅い衣文。バランスや造りはきれい。像高50㎝。

地蔵菩薩立像・平安時代(12C後半)・園城寺釈迦堂蔵。釈迦堂は清凉寺式釈迦如
来立像が本尊。本像は脇檀の厨子内安置。頭体幹部材はヒノキ材と思われる縦一材よ
り彫出の一木造。内刳り無し。右肩に覆肩衣、その上に衲衣を着け左肩にかけ、左手
を屈臂し宝珠を持つ。右手に錫杖を執る。間延びした顔付き。像高63㎝。

弁才天坐像・江戸時代(17C初期)・近松寺蔵。頭頂に身体は蛇で頭部は老翁の姿
をした宇賀神を戴いた宇賀神弁才天で、頭部に金属製の鳥居形を載せ、垂れ目のふく
よかな面相で、中国の貴族衣装を纏い、八臂の腕を持ち宝珠などの持物を持ち右足を
崩した安座の姿。像内墨書銘には、七条大仏師・孝極(康極)法印により造像と知れ
る。江戸初期の七條仏師の基準作とされる。像高71㎝。

・釈迦如来及び両脇侍像・江戸時代(17C初期)・園城寺唐院・三重塔蔵。宮中の法
会のために造られた由緒正しい仏像とのこと。中尊は、素地の表面仕上げに截金文様
を施し、写実的な面相、衣文の表現は鎌倉時代以来の慶派の流れを表わし、体躯の大
ぶりで角張った形態は室町時代の作風と思われる。像底の墨書銘から御陽成天皇の七
回忌に宮中で行なわれた法華八講の本尊であったことが分かる。像の頭部内に墨書銘
があり、七条大仏師(西仏所)法眼康温作であることが知れる。江戸初期の七條仏師
の基準作として貴重。三像ともに金属製の大きな派手な宝飾冠を頭部に載せる。中尊
像高48㎝。

ほか8体、合計15体の展示でした。

図録を用意していないと云うことで、大学のミュージアムより手抜きだなと思いなが
ら、展示の仏様の写真等が無いか伺ったが、全て期間中の展示委託で提供出来るもの
は無い、との返事でした。「比叡山展」図録、「大津の文化財大津市制100周年」
大津市教育委員会刊)を受付カウンターで閲覧させてもらいましたが、コピーも大
変なので、帰ってから機会があれば何処かでじっくり観てみようと思い、午後1時に
博物館を後にしました。








東京芸大美術館の「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」(7月5日・火~8月7日・日)に
ついて、私は7月7日(木)に出掛けるつもりですが、芸大からの情報で、展覧会関連
の担当学芸員による「ギャラリートーク」があるそうです。以下に開催日と時間を紹
介します。

 第1回・7月 9日(土)AM11:00~11:20、 PM4:00~4:20 の2回。

 第2回・7月16日(土)AM11:00~11:20、 PM4:00~4:20 の2回。

 第3回・7月23日(土)AM11:00~11:20、 PM4:00~4:20 の2回。

 第4回・7月30日(土)AM11:00~11:20、 PM4:00~4:20 の2回。 

 *開始時間に、3階展示室集合です。

 *私もギャラリートークに合わせて、7日以外に別途日程調整して、会場に行くか
もしれません。


・只今見た「山本勉」先生のツイッターに、どういう訳か「瀬谷貴之」先生とツ―
画像が出ていました。こうした画像は珍しく、印象に残りました。


【以上がTakさん が近況のお便をメール文です】




山本勉@eoruri_t 6月24日

両氏のツーショットの画像を探し 転載しました! 金剛心院(宮津市日置) の一日調査折の、ホテル部屋での就寝前の軽く一杯の様ですね・・・!、

山本氏と瀬谷氏は交友関係にある様ですね!私も両氏の別々での講演会で、お互いを批判めいたは聴いた話しぶりを聞いた事があります。最初は仲が悪いのかと思いましたが、考えれば、仲が悪ければ、相手に触れ事無しで済ますでしょ、仲が良いので、遠慮なく言えるのでしょうかと・・・、お二人だけの共著は知らないのですが、「運慶 - 時空を超えるかたち (別冊太陽)」を始め、何人かの共著的出版や、ネット検索しましたら・・・、ズバリお二人でご一緒の講演会もあった様ですね・・・、!」孤思庵





【Takさんから 訂正のお便りが在りました】
山本勉先生のツイッターの写真の人物は、瀬谷先生と山本先生ではなく、天橋・若狭方面の寺院調査研究に同行された他の先生だそうで、写真を撮られたのが、山本先生だそうです。当初の誤った情報発信ご免なさい。
以上、Takさんから 訂正文です。


ケアレスの思い込みは恐ろしい! 気が付かなかったです!」孤思庵