孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

6月30日 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」 連れ立ち鑑賞会

既にMさん、SAIさんは、 27日(月)に 行かれた様です。普段月曜日は休館ですのに、6月27日(月)、7月4日(月)は、本館のみ20:00まで開館でしたんですね!賢い日程でしたね!


 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」  の鑑賞が まだでしたなら、私達は 30日に行く予定です。ご一緒しませんか?

6月17日のブログ仏像愛好の集in東博の 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」特別連れ立ち鑑賞会で広報しましたが、日が迫ってまいりました。

孤思庵等は、6月30日10時 本館玄関ロビー11室前に集合で 特別連れ立ち鑑賞をしたいと思います。
(⌒▽⌒)/

鑑賞会アフターは、(⌒-⌒)懇話会をされたら、楽しかろうと存じます。

また7月2日の「仏像愛好の集in東博」例会の11室などの仏像鑑賞は展示替え前ですので先月と同じです、同じものを何度もはと思われる方は、その時間帯を特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」を鑑賞に充てるも良いかもですね・・・。

日韓国交正常化50周年記念 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」

本館特別5室   2016年6月21日(火) ~2016年7月10日(日)
奈良県中宮寺門跡に伝わる国宝の半跏思惟像は古代仏教彫刻の傑作のひとつです。また、韓国国立中央博物館所蔵の銅製の半跏思惟像は、国宝78号像として広く親しまれています。本展は、日本と韓国の仏像の美を堪能するまたとない機会です。


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(左)国宝 半跏思惟像 飛鳥時代・7世紀 奈良・中宮寺門跡蔵 
(右)韓国国宝78号 半跏思惟像 三国時代・6世紀 韓国国立中央博物館蔵
   

半跏思惟像は、仏教の母国・インドにはじまり、中国、朝鮮半島、日本へと伝わりました。日本や朝鮮半島では6世紀から8世紀の間に多くの像がつくられ、そのなかには古代仏教彫刻の傑作といわれる仏像があります。奈良県中宮寺門跡に伝わる国宝の半跏思惟像はその一つで、優しく微笑む顔は誰もが知るところです。また、韓国国立中央博物館所蔵の銅製の半跏思惟像は、国宝78号像として広く親しまれています。日本と韓国に同じ姿の優れた仏像が残るのは、両国の古代から続く交流の深さを物語るといえましょう。
本展は、日本と韓国の仏像の美を堪能するまたとない機会です。
本展に先立ち、韓国国立中央博物館にて中宮寺門跡と韓国国立中央博物館の半跏思惟像を展示する特別展「韓日国宝半跏思惟像の出会い」(2016年5月24日(火)~6月12日(日))を開催します。

展覧会のみどころ

 



背筋を伸ばし、右足を左足の上に組んで坐具に坐り、右手の中指を頬に当てて思案する半跏思惟像です。日本で仏像製作が始まったのは7世紀初めで、その頃の作品は左右相称で硬く厳かな表現が特徴です。この像はそれにつづく7世紀後半の作で、柔らかい微笑み、ゆったりとした姿勢などの新しい表現と、肉身の起伏や衣の襞の形を単純化した旧来の表現が重なり合って、清楚で上品な雰囲気を醸します。他の飛鳥時代の木彫仏と同じように、この像もクスノキでつくられています。中宮寺門跡では、聖徳太子が母君、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のお姿を刻まれた、と言い伝えられています。
 




 
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韓国国宝78号 半跏思惟像(部分)
三国時代・6世紀
韓国国立中央博物館蔵

http://www.tnm.jp/uploads/fckeditor/exhibition/special/2016/hohoemi/uid000067_20160520182709304c9dea.jpg              三国時代朝鮮半島では、多くの半跏思惟像がつくられました。なかにはもともとの高さが3mに及ぶ半跏思惟像の下半身も残っています。日本の半跏思惟像は三国時代の影響を強く受けてつくられました。国宝78号像として親しまれるこの像は、製作が6世紀後半にさかのぼる韓国では早い時期のもので、銅造ながら高さが83cmある大作です。金銅仏らしい鋭利な表現が見られる一方、ふくよかな指をふっくらとした頬に添え、伏し目がちで、口元に微笑を浮かべる美しい作品です。
 






岩波文庫版『古寺巡礼』の中での、和辻哲郎中宮寺像の印象

…右手の障子で柔らげられた光線を軽く半面に受けながら、彼女は神々しいほどに優しい『たましいのほほえみ』を浮かべていた。(中略)   (和辻は同像を飛鳥彫刻と認識していた様です)→白鳳時代のもののように、精妙な写実を行なっているのである。顔や腕や膝などの肉づけにもその感じは深いが、特に体と台座との連関において著しい。体の重味をうけた台座の感じ、それを被うている衣文の感じなど、実に精妙をきわめている。
 わたくしたちはただうっとりとしてながめた。心の奥でしめやかに静かにとめどもなく涙が流れるというような気持ちであった。ここには慈愛と悲哀との杯がなみなみと充たされている。まことに至純な美しさで、また美しいとのみでは言いつくせない神聖な美しさである。この像は本来観音像であるのか弥勒像であるのか知らないが、その与える印象はいかにも聖女と呼ぶのがふさわしい。(中略)この像は本来観音像であるのか弥勒像であるのか知らないが、その与える印象はいかにも聖女と呼ぶのがふさわしい。・・・云々と書いた。和辻は、この像は性を超えた菩薩と知りながら、その優しさを女性的に感じ、聖女・また彼女と呼んで居ます。
私は、普段は耽美的に仏像を観るのは、自分流で無いとして来てますが、この像に限り、その様に観るのが相応しいと思うのです。自分が若き日に、最初に惚れこんだ仏像でしたからに・・・、 
懐かしき初恋の君に逢えるを楽しみにしています。