孤思庵の仏像ブログ

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東博新指定重要文化財特別陳列の報告(Ⅿさん投稿)

【メンバーのMさんからの投稿です】


4/19(初日)に東博新指定重要文化財特別陳列に行ってきました
仏像関係を中心に報告します。3/11にこのブログに投稿した「Mさんからの投稿 「新指定国宝・重要文化財の発表」」で文化庁の報道発表のアドレス(下記)はご紹介していますので、ここに書かれていないことで気がついたことなどを書きます。
 
まずは国宝になった西大寺興正菩薩叡尊。お寺で見たのはもう何十年も前で、覚えていません。今回は奈良六大寺大観の該当箇所をコピーして持っていきました。額の内側、仏像であれば白毫のある位置の内部に針金のコイル状のもの(銅製の円筒に銀線を螺旋状に巻いたもの)が入っているとのこと。生前から仏様と同様に尊ばれていたのでしょうか。像内納入品の展示は金銅八角五輪塔(水輪・火輪間が離れ、内に舎利を納入してあった)と自誓受戒記(35歳からの修行、自戒の次第を記録)の2点だけでした。
 
奈良・宝山寺 制吒迦・矜羯羅童子 「制吒迦童子の皮膚の柔らかい質感や左方に強い視線を送る表情に生彩のある造形を示す」と解説に出ていました。左手の指が頬に当たっている部分がやや窪んでいるように感じます。しかし、目の位置をずらしてよく見たところ、左手の指は顔に触れていませんでした。ローマ・バロックの彫刻家ベルニーニが作った「プロセルピナの略奪」では男の指が若い女性プロセルピナの肉に食い込んでいるところが大理石で巧みに表現されています。この童子像の表現はベルニーニの作品を彷彿とさせます。
 
京都国博・十大弟子 元京都鳴滝の常楽院に清凉寺式釈迦とともに伝わった像(釈迦は昭和13年指定、木造彩色97cm鎌倉時代)。作者と推定される院派仏師の院賢は他に東大寺の伎楽面(散手、承元元年1207の銘)があるが、この頃の伎楽・舞楽面の在銘遺品である康慶や定慶の同種遺品と比較しても特に慶派・院派の違いが明確に分かるわけではない。これはこの十大弟子の解説に「慶派風の写実表現を取り入れながら、堅実で品のよい作風に京都仏師の特徴を示している」ということと通じると思う。なお、三十三間堂の千手観音中に院賢作の像があるかは確認していないので、次回の集いまでに調べておきます。
 
埼玉・浄山寺 地蔵菩薩 今回の展示の目玉の一つだと思います。詳細については他のブログ(神奈川仏教文化研究所観仏日々帖)を参照(下記アドレス)。
このブログでは擬古作を疑っている意見もコメントされているようですが、私が実物を見た感想では9世紀頃の作としてよいのではないかと思います。両手先、両足先は後補でしょうか。また、4/19の昼頃に地元埼玉県越谷市の方が大勢で見に来ていましたが、その方たちから聞いたところ、背面首下方に内刳り、背板がありその中に文字があった、東北大震災で厨子内で転倒した後の修理を担当したのは明古堂とのことです。
 
石川・法住寺 不動明王 解説では歯に水晶を嵌めているとのことだが、拡大鏡で見てもよく分かりませんでした。
 
MOA美術館 十一面観音 解説では鑑真のもたらした新様が加味されているとのことだが、どこの部分なのかお分かりの方、教えてください。
 
パラミタミュージアム 十一面観音 昨年サントリー美術館「水 神秘のかたち」展で見た時は光背がありました。今回は光背なしです。(この光背は一部以外後補ですが、よくできています。)今回は背中がよく見えるということです。
 
大阪・清泰寺 菩薩像2躯 平安初期の如来の三尊は薬師三尊が多いと思うので、この2体は日光月光でしょうか。また、奈良博の国宝薬師如来と同系の作者の手になると推定されているそうですが、左脇侍(向かって右)の像の横顔を見ると、顎が下方へ膨らんでいる表現が奈良博の薬師如来とよく似ていると感じました。衣の部分には截金が残っていますが、平安初期にはないはずなので、例えば鎌倉時代後期ぐらいに施されたものではないでしょうか。(法隆寺の檀像の小さな如意輪観音の截金が弘安年間頃に興正菩薩叡尊の修理により施されたものということが類似の例として上げられると思います。)
 
大阪・尊延寺 降三世軍荼利足明王 解説では着衣に当初の彩色文様が残存とあるが、黒くてよく見えない。背面の衣だろうか。手足に巻き付く蛇は別材製。
 
滋賀・東門院 制吒迦・矜羯羅童子 この像は追加指定であり、上記文化庁の報道発表に解説文が載っていないので、ここに書きます。
木造不動明王及び二童子像のうち 鎌倉時代 12世紀
「東門院護摩堂本尊に付属する二童子像で、本尊と作風が共通することより三尊一具として製作されたとみられる。桜とみられる広葉樹材の一木造でともに内刳りしない。平安風の姿ながら、胸の厚い体型や制吒迦童子の動きのある体勢に新傾向が認められる。」
以前(明治42年)から指定されていた本尊不動明王の写真は掲示されていないので、手持ちの本(毎日新聞社重要文化財3)の写真を拡大して持っていき、展示の像と比較しました。本尊の表情は制吒迦童子の眼鼻口の表現とよく似ています。また、衣紋表現は矜羯羅童子の方に近いと感じました。なお、この2像は今回の展示で唯一4/24までの期間限定なので、興味のある方はお早めに。
 
大阪・泉穴師神社 木造神像 この像も追加指定であり、上記文化庁の報道発表に解説文が載っていないので、ここに書きます。
平安~鎌倉時代 1013世紀 展示は5躯(男神3、女神2
80躯を数える男女神の小神像群。ほとんどが12世紀ないし13世紀の製作になる。肉身を金箔押しとするものが13躯含まれ、また同木を用いて製作された一具像がみられるなど、神像製作のありようを考える上で注目される。」「XCT調査により判明した年輪の一致 男神坐像(その41)腹部高での断面 女神坐像(既指定 その60)腹部高での断面」
展示品5躯は全て彩色像で、この彩色は当初のものと思われる。肉身の金箔押しは確認できず。像高は各像とも約20cm。展示品5躯のうち年輪の写真を掲示している女神坐像(その60)のみ既指定品(明治32年)。なお、毎日新聞社重要文化財5の写真によれば、明治32年に指定された8躯のうち、今回展示されている1躯以外は像高28cm58cmで、作りも今回展示されているものよりは本格的です(それでもかなり素朴な像ですが)。
 
この他に、追加指定の納入品で今回展示されなかったもので話をしておきたいことがあります。次回集いの時に30分程度で新指定重要文化財関係の話をします。
 
【メンバーのMさんからの投稿でした。】