孤思庵の仏像ブログ

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「奈良国立博物館だより」掲載の情報(Takさんからの寄稿です)

【メンバーのTakさんからの寄稿です】

既に「孤思庵ブログ」にも掲載していただいた情報の第二弾です。
 
ブログの412日の「日記」の中で、「奈良博・なら仏像館のリニューアルオープン」で「名品展」開催というタイトルで掲載していただきましたが、その後の情報として、以下の内容を追加します。


 
奈良国立博物館だより」掲載の情報です。(原文に忠実に転載します)
 
   「なら仏像館リニューアルオープン」429日(金・祝)~
今回の工事は、外壁のクリーニングと補修、仏像専門の展示館にふさわしい展示ケースや展示台の導入、そして照明設備の一新を内容としました。ケースと展示台については、すべて免震機能を備えたものとし、ケースのガラスには高透過ガラスを採用、さらに低反射フィルムを貼付しました。照明は、天井照明や間接照明、また作品を直接照らすスポット照明のすべてにつき、LEDの器具を使用しました。これらの設備によって、展示されている作品の魅力をより多く引き出すことが可能となりました。
 
*尚、オープン時の展示内容については、前回お送りした奈良博サイトの展示リストアドレスの内容で変わりはないようです。
 
 
 
⓶ 前回の掲載内容のうち、「室生寺」発見の「二天王立像」について、以下の記事が掲載されていましたので、紹介しておきます。
「二天王立像 木造 彩色 平安時代9世紀)奈良 室生寺 像高:伝持国天1094㎝、伝増長天101.8㎝」
「女人高野」の名で知られる古寺、室生寺の仁王門楼上で発見された新出作品である。ともに甲冑に身を固める武装形像で、伝持国天像は肉身を朱色に、伝増長天像は白色に彩っている。いずれも眼をかっと見ひらき、閉じた口はへしめ、忿怒の相を表す。足下の邪鬼も当初のもので、伝持国天の邪鬼は肉身を緑色に、伝増長天のそれは朱色とし、青鬼・赤鬼としている。2軀ともに腰を左にひねり、顔を左(向かって右)に向けることから、造像当初から二天王像であったとは考えにくい。1軀は朱色、1軀は白色の肉身色であることを考慮すれば、四天王像のうちの2軀が残されたものであり、伝持国天は本来増長天、伝増長天広目天であったのではないかと思われる。品質・構造を見ると、いずれも腕を除いた像の中心部を針葉樹(カヤか)の一材から彫成して内刳しない堅固な構造である。腕も別材製だが大半を一材から造り出しており、その他の別材部は両肩から腰脇にかかる天衣遊離部程度にすぎない。太造りで量感に富んだ体型が印象的である。腰を強くひねり、両腕を大きくかまえて、見得を切るようなポーズを示し、これに応じて袖先が小気味よく翻り、運動感に富んだ像容である。近似する作例として、京都・仁和寺の二天王像(重要文化財)をあげることができる。仁和寺像は、仁和4年(888)の造立とみられる同寺金堂の旧本尊阿弥陀如来および両脇侍像と同時の作である可能性が指摘されるもので、このことから室生寺像の造立年代も9世紀末頃を中心に考えることができよう。 岩田茂樹(当館学芸部上席研究員)
 
以上です。

22日(金)の勉強会を楽しみにしています。

【メンバーのTakさんからの寄稿でした】