4/14 奈良興福寺文化講座( 東京) その第一講 「興福寺五重塔と三重塔」
前回3月の奈良興福寺文化講座( 東京) は予定日を忘却で行けなかったのでしたが、昨日4月14日には行ってきました。
事前にブログで広報や 仲間達の宣伝のお蔭かな? 「仏像愛好の集」のお仲間が4名も受講しました。 その内 Kiさんは初回受講でしたが、終わって伺いましたなら、幸い お気に召した様です。
実は 4日前の10日に興福寺を訪れ、両塔を見て来たばかりですので興味深かったです。
今回の興福寺散策で、三重塔へは初めて行きました。 何時も目立つ五重塔ばかりで、三重塔は行ってなかったのです。三重塔はそれ自体の高さにが五重塔より低いばかりか、場所が悪く.境内の外れに在るばかりか、その立地は岡地の下で、離れた場所ではその上部も見えないのです。何でこんな低地に塔かといぶかります。
初めて唐の下に着て、説明の立札を見て、驚きました、五重塔は室町時代の再建は知ってまして、三重塔は人気からしてそれより遅いと思いこんで居ましたが、何と鎌倉時代の塔でして、五重塔より古いどころか、北円堂(ほ くえんどう)とともに興福寺最古の建物なのです! 目立たぬながら、国宝の塔にたがわぬ風情ありです。
4月10日の訪問時は丁度背景の一本桜が満開で印象深かったです。本日の文化講座で、辻 明俊執事の話の中にも、「この三重の塔の場所は、桜の穴場で地元の人はここに観桜に来るのだ」との話が出ました。
観て来たばかりの光景の話でして、興福寺の塔のお話は実に納得でした。
仏塔の話は インドの源流・中国の塔・我が国の塔 との建築史的な話も在りましたが、その方面の内容は、概ね周知の事柄が多く、初耳の事柄は少なかったです。もっと突っ込んで、 仏舎利塔(ストゥーパ)と祠堂(チャイティヤ)迄の言及をとも思いますが、 この講座では相応しくないのでしょうか?!
御坊様が、お話し頂いたのに、 「文化講座」の第一講を 意識をされてか、仏教文化史的な講演でした。
次回は 第二講の 多川管長の 『春日権現験記絵』の世界 を書きます。