孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

『仏像と木の交流~古代一木彫像の樹種をめぐって』

集のメンバーのTakさんから『仏像と木の交流~古代一木彫像の樹種をめぐって』の出版のニュースが寄せられました。紹介します。




以下Takさんの文章です。
本日、私の学友(青山学院大学・考古学)から、電話があり、以下のことが分かりましたので、ご報告します。既に皆様にはご存知のことかもしれませんが、念為でご連絡します。まだ私は書籍そのものを本屋で確認していません。
 
昨年(平成27年・2015年)5月に、成城大学で開催された創立100周年記念シンポジウム・『仏像と木の交流~古代一木彫像の樹種をめぐって』の講演発表の記録が単行本になったそうです。金子啓明・岩佐光晴・能代修一・阿部久著 201512月発刊 東京美術 159ページ ¥2,000 
 
当時、Mさんが、単独で聴講されていた講演会です。またその樹種鑑定の報告もあったかと思います。結構マイナーなマニアックなテーマで、それでいて像の素材は必須事項のものであり、我々の学習会などでもしょっちゅう話題になる事柄で、関心のあるところです。
私は、1月の基礎学習会でも、ある展覧会の図録に掲載されていた樹種毎の説明資料を複写して、学習会の席で参加された皆様に配布させてもらいました。26日(土)にもこの出版についての報告と、学習会での配布資料を持参しようかと考えています。
 
 【以上Takさんの情報文でした。】

★閲覧者の状況に依り、コメントを開いて読めないと  聞き及びましたので、本文末に転掲載してみます。

Mです。
私はその講演会があった大学の聴講生ですが、残念ながら講演会当日は用事があり、参加できませんでした。私が以前集いの会で報告したのは、暗夜軒さんの仏像樹種紹介に関する小原二郎氏の古い説への反論として、月刊文化財に掲載された金子啓明氏の文章を紹介したものです。1年以上前のことです。今回出た本は書店の店頭でざっと見ました。なお、詳しい内容は神奈川仏教文化研究所の観仏日々帳(1/22 下記アドレス)に載っていますのでご覧ください。

http://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-106.html
以上削除
2016/2/2(火) 午前 11:18[ buo**iorn*1206 ]返信する
顔アイコン
仏像がどの様な樹種で作られたかが、どうしてそんなに問題にするのかとお思いの方も多いと存じます。 飛鳥時代の木彫仏はクスノキでした。 奈良末、平安初期の木彫仏は、ながらくヒノキと思われて居ましたが、近年の研究で 殆どがカヤ材と解ってきました。 それにどんな意味があるというのかと云われる向きも多いかと存じます。


中国に於いて十一面観音像の造像の源とも言われる「仏説十一面観音神呪経」(耶舎崛多 ( やしゃくった )訳)に拠れば ・用材は白檀 ・身長1尺3寸 云々と説かれていると在りますし、また玄奘訳『十一面神呪心経』の解釈書として唐の慧沼が著述した『十一面神呪心経義疏』には、十一面観音像を造る場合には「白檀」の代用として「栢木」を用いることが説かれています。削除
2016/2/2(火) 午後 1:16[ 孤思庵 ]返信する
顔アイコン
仏像を造るな際しその材は吟味されたに違いありません。その一つに芳香があったでしょう、招来の白壇は像然り、奈良時代クスノキにも芳香があり、カヤも幾分の甘い香りを持つと云えましょう。


御神木、霊木 をもって仏像を彫りだす。は長谷観音の霊木譚にも在るように、霊木の認識があり、信仰上に大いに関係している様です。 奈良末、平安初期の仏像用材として「榧」が用いられるは大いに興味です。

用材樹種としての「栢木」は我が国では「かえ」 の呼び名からか「榧」が其れに充てられたらしいです。かえ、カヤ=榧に・・・和感を覚えずスルーして来ましたが、此の度、ウエブ「カヤ」 www.ctb.ne.jp/~imeirou/soumoku/k/kaya.html
を読みましたら新知見がありました。(一見したところ、なんらの問題もないように思えていたのですが、カヤが「カヘ」と呼ばれていた古代 には、カヘがカヘとして受け止められていなかったらしい。つまり、カヘと呼ばれる植物が 他にもあったらしいのです・・・ご興味のある方は参照してみてください)削除
2016/2/2(火) 午後 1:17[ 孤思庵 ]返信する
顔アイコン
以前にも「集」の勉強会に在りましたが、『仏像と木の交流~古代一木彫像の樹種をめぐって』の出版に際し、また勉強してみたく思います。削除
2016/2/2(火) 午後 1:17[ 孤思庵 ]返信する