孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

メンバー Takさんの 近々の予定

「仏像愛好の集」メンバー Takさんから お便りが届きました、 ご紹介します。



寒い日が続きますが、お変わりありませんか?
 
ここのところ多忙で 久しくブログとはご無沙汰でした。最近のことについてご報告します。
 
 
127日(水)午前中から、文京区立森鴎外記念館(千駄木)に「奈良・京都の鴎外‐今日オクラガアキマシタ」展1211日~27日)に行って来ました。
森林太郎が陸軍軍医総監として大正天皇の即位大礼の参列のために京都を訪れた際の、自身で発表した記録や、その後、帝室博物館(現奈良国立博物館)総長として、正倉院の曝涼(虫干し)の立会いとして、あるいは南都寺社巡礼の日記や家族宛ての手紙による記録が纏まって展示されていました。
私としては、森林太郎と云えば、陸軍医務局長時代に、海軍・高木兼寛医務局副長(のち海軍軍医総監)との間での、兵士の「脚気」論争の記憶が大きいだけに、半面のほのぼのとした好々爺然とした姿を知る事が出来、鴎外の人柄を知る良い機会となりました。記念館周辺は、団子坂など坂の多い起伏のある地域で、地下鉄の駅からも息を切らせて、やっとの思いで記念館にたどり着いた次第でした。記念館正門から眺める「スカイツリー」も、坂を下った先のビル群の合間に覗く姿が、「絵」なるものでした。
 
 
 
129日(金)、日本橋方面に出掛けたついでに、午後から東京芸大の「第64回 卒業・修了作品展」126日~131日)に行って来ました。
大学陳列館内には、雁行形にセパレイトされたコーナーに、日本絵画修復、油絵修復、工芸修復、建築物報告など、いくつものコーナーが出来ていて、芸大所蔵ほかの「弥勒来迎図」、「阿弥陀三尊来迎図」、「洋画・聖母子像」などの和様取り混ぜた模写や修復作品などが展示され、担当学生が、説明の対応をしていました。模写とはいえ、「弥勒来迎図」、「阿弥陀三尊来迎図」などは、画面に迫力と精緻さが表されており、模写された学生の、歴史を知ったうえでの描写技量の力量をひしひしと感じる、優秀な作品となっていた印象でした。もっと、仏教絵画についても勉強が必要だと感じました。
 
入口近くの彫刻保存修復コーナーでは、伊谷勇哉氏の「京都・知恩寺阿弥陀如来立像」と、山田亜紀さんの「かんなみ仏の里美術館(旧桑原薬師堂)の阿弥陀三尊の脇侍・観音菩薩立像」の模刻制作(白木彫像)と解説パネルを展示していました。
知恩寺像」は、知恩寺御影堂後陣に祀られる三尺阿弥陀如来立像で、2011年(平成23年)の宗祖法然上人八百年大遠忌法要の記念事業の一環として、2006年(平成18年)8月に行なわれた宝物調査が、就実大学・土井通孝教授などが中心になって実施されたものです。これまで修理解体されず、造像当初の保存状態の良い像で、幾つかの調査結果により、仏師快慶銘のある他像と比較し、像態上の共通点を上げて、平安末期から鎌倉初期の仏師快慶の作と推定されています。「浄土宗」の宗サイトでも調査内容と、快慶作例像との比較・共通点の説明などが、ニュースとして掲載されたことがあり、201110月の「法然親鸞―ゆかりの名宝」展(東京国立博物館)で、出展され話題になったこともあり、私もじっくり拝観した強い記憶があります。また、類似した像として、快慶初期の作例である「巧匠安阿弥陀仏」銘のある大阪・八葉蓮華寺阿弥陀如来立像は、20113月に京都国立博物館の「法然―生涯と美術」展に出展され、私も時間をかけて拝観したことがありました。快慶初期の作例である「遣迎院像」については、今春2度目の拝観予定です。全体的に、私の印象では、快慶初期の阿弥陀如来立像は、「安阿弥様」と呼ばれるようになった作例に比べて、体躯がふくよかで量感に溢れている印象でしたが、今回改めてそれを認識した感じです。
今回は、模刻製作者の伊谷勇哉氏にお会いし、解説パネルをもとに説明をしていただき、用材の調達の段階から、知恩寺へ調査滞在した際の苦労やお寺の気遣い、木取りの問題、流麗な衣文の彫り方の強弱など、幅広くお話しを伺いました。また、模刻をしていて、やはり本像が仏師快慶以外の仏師(弟子?)の手によるものとは思えない(それでも快慶とは断定出来ない)、とのお話しでした。また、模刻をしてみて、白木で残す場合は、かなり緻密に滑らかに像表面を仕上げることが要求されるが、お寺に行って実物の像を調査した限りでは、木彫段階ではかなり粗い表面仕上げになっている、とのことです。下地漆仕上げ、彩色仕上げの段階で、木彫りの凸凹を埋めて、表面を滑らかにしているようです。実像より自分の彫りの方が、表面滑らかに仕上げているという自負がある(!?)、と強調されていました。
当コーナーは、見学者もそこそこいらっしゃり、僧侶、研究者の方々との挨拶や説明もあり、お邪魔にならないように早めに退散しました。
 
 
隣りの「かんなみ仏の里美術館(旧桑原薬師堂)の阿弥陀三尊の脇侍・観音菩薩立像」の模刻制作者の山田亜紀さんは、小柄な物静かな感じの女性で、子連れの先輩夫婦とのおしゃべりに花が咲いていたため、他コーナーを廻ってきてから、再度お会いして、お話しをすることとしました。
以前、函南町の長源寺の裏山の、小高い山間地に立っていた「桑原薬師堂」に、薬師如来像や十二神将像などとともに祀られていた「阿弥陀三尊像」を拝観した時の印象が強かったもので、「仏師実慶」という名が頭の片隅に残ったものでした。その後、山裾の「かんなみ仏の里美術館」に移ってから拝観した際は、明るい館内でのお姿が、以前の印象と違って、扁平なあまり迫力を感じないものに思え、期待外れと思っていましたが、今回芸大に行くに当たって手元の画像を確認して、改めてしっかりした造像を眼に焼き付けて、画像をザックに入れて出掛けました。
山田さんのお話しでは、観音菩薩像は体幹部は両足先と足枘まで縦一材で彫り出している、肩で継ぎ右手はひじと手首で継ぐなど、詳細調査・測定による基礎的なデータがあったが、阿弥陀如来像の脇侍であるもう一方の勢至菩薩立像とは、製作上構造的な違いがあることが分かったとのことです。どちらか一方の観音像の造像過程で判明した、造像に不備や無理な点を考慮して、もう一方の観音像の制作工程の変更を試みたのではないか?とのお話しが聞かれました。
 
只今(130日・23:00)拝見した孤思庵ブログに、本展について既にM氏が出掛けられており、両者の様子も紹介されています。かなり専門的な話しをされていることと思いますが、私はそこまでは至りませんので、現地に行っていない方がイメージ出来るように、全体に状況が分かるような説明・記載表現を心がけていきますが、内容的に物足りない点はご容赦願います。
 
 
 
また、ブログにて「知恵袋」の「せきどよしお」さんの回答が掲載されており、読ませてもらいました。
私も、分からないことや、各地寺院・仏像のことでしばしば検索する中で、必ずと言ってよいほどヒットするのが、「せきどよしお」さんのブログの観仏シリーズです。数多くの寺社・仏像についての詳細にわたった解説と、おまけの簡単なデッサンにはいつも感心していました。今回の「承和様式」のことで、一層身近な方に思えてきました。どのような方なのかイメージ出来ないのが残念です。
 
 
 
「京都デスティネーションキャンペーン」という京都市観光協会が主催している事業の「京の冬の旅」キャンペーンが只今開催されています。その中で、「非公開文化財特別公開」キャンペーンがあり、先にご案内した保存協会のとは別の企画事業になっています。 
開催期間:19日(土)~318日(金) 10:0016:00(受付終了)…東寺・灌頂院(9:3016:00
公開寺社:建仁寺六道珍皇寺東福寺南禅寺相国寺大徳寺、真如寺、妙心寺、東寺
*主に寺院建築物、書院内障壁画、天井画、庭園などの公開が多いようですが、六道珍皇寺東福寺山門、相国寺養源院、東寺五重塔初層内陣などには、多くの貴重な彫像が祀られており、公開になっています。未知見のものが多いので、これからでも、欲張って京都へ巡拝したいくらいです。
*また、東寺灌頂院(117日~318日)は、昨秋に金堂十二神将像を展示公開した場所であり、「伝法灌頂」、「後七日御修法」の行われる堂で、堂内の伝法灌頂の法具しつらえ、両界曼荼羅図、真言八祖像壁画などが見学出来るようです。
 
 
 
額安寺の寺宝の文化庁購入については、文化庁サイトでの昨年12月半ばの情報を入手しましたが、私だけの情報となりました。3年ほど前に、現地額安寺に伺い、住職からお話しを伺ったことがあります。また、堂内、諸尊についても写真撮影の許されているお寺として、広く知られたお寺ですが、此の度の処置によって、魅力が減じてしまいました。
 
 
 
129日(金)奈良国立博物館メールマガジンが届きました。2月~3月の行事予定が掲載されています。内容は、HPと同じだと思いますので、省略します。
 
 
 
明日(131日・日)は、今シーズン最後の秩父宮ラグビー場行きとなります。天気が心配です。
 
  
以上 Takさんからの お便り紹介でした。