孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

『仏像愛好の集」メンバーTakさんからの投稿 「東京芸大 大学院博士課程学位論文『公開審査展』に行って来ました。」

東京芸大 大学院博士課程学位論文『公開審査展』に一緒に行った 「仏像愛好の集」のメンバー Takさんから寄稿が在りました。 この前にも 此処に転載したのですが 文字の構成が上手くゆきませんでした、そこで 他のSNSに 投稿の形で移してみましたら、うまく修正が可能となりましたので、 此処に再投稿します。 Takさん、 勝手に段落の処理してます、不都合の箇所を 連絡ください。 修正します。」孤思庵




東京芸大 大学院博士課程学位論文『公開審査展』に行って来ました。

12月15日から12月24日まで東京芸術大学大学美術館にて、「博士課程学位論文・公開審査展」が開催されました。私は、事前に開催情報を「集いの会」に紹介こともあり、初めから12月22日(火)に展覧会の見学とともに「博士論文発表会」に参加して、発表内容を聴講しようと考えていました。


展示および発表説明会「宝菩提院菩薩半跏像および道明寺十一面観音菩薩立像の作風表現および造像技法における唐の影響について―両像の摸刻制作を通じて―」 中村恒克氏


21日にMさんが、発表展示会場に出掛け、発表者である中村氏と制作像を観て、話しをされたことから、早々と22日早朝には、ブログに投稿がありました。(私は自宅を出発した後で、見ていませんでした。)

今回の展覧会と発表会の専門的な解説については、既にブログに掲載されている孤思庵さんとMさんが、得意分野を中心に言及されていますので、重複しますので、詳細はそちらにお任せしたいと思います。ご参照ください。

22日には、11時に孤思庵さんと待ち合わせて、展覧会の様子を見学し、午後の論文審査発表会に参加する予定でした。

10時30分頃に会場の美術館に到着しましたが、偶然Mさんとお会いし、しばらく、一緒に会場を見て廻りました。改めて弧思庵さんと落ち合って会場に向かい、誰も来ない展示場所で、二人で宝菩提院菩薩半跏像と道明寺十一面観音菩薩立像の二体を、じっくりと鑑賞出来ました。

両像は各々展示台の上に置かれ、360度全周から観賞出来、手に触れることが出来るくらいでした。写真パネルには新知見の内容など、多くの興味深い内容の説明が出ていました。また、会場奥には、中村氏の博士論文のファイルもあり、模刻像を鑑賞し、写真パネルで確認し、論文ファイルで納得する、というパターンで、何度も両像を観て廻りました。

たまたま、私は、今春に京都・山崎方面に出掛けた際に、宝菩提院願徳寺菩薩半跏像を鑑賞する機会があり、まだ新鮮な興奮が消えやらぬこの時期に、模刻像とはいえ姿を確認出来、また知り得なかった情報、知識を得ることが出来たことは、またとない好機となりました。

当像の造像技法については、すでにMさんが多くの状況を言及して下さってますので、詳細はそちらにまかせますが、特に幾つかの点が勉強になりました。

・当初の木取りの様子を含めた造像の工夫。太い木材を利用し、木心を中心に半分に木取りする、本尊も一木で造れる、と想定出来る状況。

・三尊像の脇侍像を思わせる上半身のひねり、くびれなど、脇侍像の想定を裏付ける像態と詳細情報。

・右手前膊半の造りが、何故右膝部との一体化彫造としたのか。彫りにくいことおびただしいはずなのに。石彫様式が踏襲されている。

・十二方の蓮弁の造りと裳懸けの関連はどうなっているのか。

・瞳には左右での造りが違うのではないか。道明寺も同じ、招来仏や中国風の像に多い?

午後の論文発表会に参加するため、二人で展示会場に早めに到着したのですが、前の発表会が行われており、途中から座席に着きました。
会場は、午前中に二人でじっくりと360度鑑賞した両像が、奥の壁際に押しやられ、周囲を巡って鑑賞出来なくなっていました。多くのイスを並べていたにも関わらず、イスを追加するほど参加者が大勢で盛況でした。二人で、午前中に長い時間をかけて両像を観賞出来たことがよかったと、思わずにはおれませんでした。

中村氏の発表説明は、落ち着いた自信のある、声の通るはきはきとした語り口に、耳障りがよく聞こえました。事前に会場の写真パネルを見学していたので、ある程度の発表内容は判ったつもりでしたが、やはり彼の話しを直接聞くことで、より理解が出来たような気分になりました。

中村氏は、博士後期課程1年生の時に、「自分の研究分野は壇像彫刻」と述べていることから今回の発表は、特に注目されました。
今回発表の宝菩提院願徳寺菩薩半跏像は、2013年11月に、籔内教授をトップに、4~5名ほどの講師、助手などで、中村恒克氏も参画して調査されています。

説明内容については、以下の通りです。

・宝菩提院菩薩半跏像と道明寺十一面観音像についての概略説明(寺院について、像態について)
・特殊な造像技法について(木取り、蓮弁)
・右手前膊半の造りについて 石像技法の説明
・造像時代の位置付け

あまり述べられてこなかった造像技法について、3次元測定により分析し、特殊な技法などの模刻像の造像記録、説明も作例を具体的に例示して、私にも理解できる寺院や仏像を列挙される説明に、引き込まれました。

私の午前の鑑賞の際のいくつかの造像技法に関する注目点について、解説があり、ここで納得出来ました。これは、模刻製作者が実際の仏像を観察・分析し、製作をするにあたって実感する注目点や疑問点が、この説明に反映されていると実感しました。

中村氏は、宝菩提院菩薩半跏像が三尊像の右脇侍像であることを、模刻することによって確信を得たものと思います。
しかし、両像のよって立つ歴史背景、中国敦煌莫高窟などの作例なども交えた中国・唐との関係、像の素材・代用壇像の紹介などについても、熱を入れて説明がありました。

奈良時代後期から、直接的・間接的に唐様式を強く反映しているとみられる唐招提寺薬師像などの木彫像群(750年以降)が登場します。工人は帰化人であったのか否かの議論があり、その後、木彫群や招来仏などの影響から多様な木彫像の制作とともに、木彫像の造像が確立することとなります。

神護寺薬師如来立像は、宝菩提院像とは、かなり作風がかけ離れており、日本人の工人の手になるものと思われます。同時代に密教の影響として異国風な表現の東寺講堂菩薩諸像や観心寺如意輪観音像などが生まれました。

宝菩提院願徳寺菩薩半跏像(800年頃)が傑出した仏像となったが、道明寺十一面観音像はやはり瞳など唐風の特徴を強く持った像で、璉城寺観音菩薩像、また秋篠寺十一面観音像などは天衣の交差などの共通性があり、いずれも異国的な風貌と、メリハリのある衣文の表現、木彫の材質を活かし、宝菩提院像と通じるところがあると思われるが、宝菩提院像は、他像とは一線を画した、唐風の強い彫りの深い像態として傑出した作例として、捉えるべきと考えています。

その後の法華寺十一面観音立像(850年頃)が美しく整った翻羽式衣文が特徴の、最も完成された像であると評価されています。

中村氏の説明は、奈良時代後期から、時代経過と木彫技法の成熟、最近話題の「承和様式」まで、仏像の変遷を示す、美術史の教科書を学習しているようで感銘しました。もっと「承和様式」を勉強しなくては、と意を新たにしました。

「承和様式」については、帰宅してから少し調べました。空海が広めた真言密教の、渡来の文化・芸術様式の影響を色濃く反映したものとみられるが、仏像群に見られる様式が、やがて密教の枠を超え、同時代の流れを融合統合して、9世紀半ばの京都を中心とする、中央の仏像として広がる時代として、「承和様式」が短期間のあいだひとつの世界となると理解しました。

中村氏の説明には、「集いの会」で、何度か勉強したことのある事柄が、後から後から出てくることで、自然に彼の説明が判った気分になりました。「集いの会」のメンバーからの教示による勉強が無かったら、こんなにすんなりと説明を理解出来なかったと思います。

説明後の質問タイムでも、幾人もの大学の研究者や関係者からの質問や感想が聞くことが出来、籔内教授の上手な誘導質問などもあり、中村氏の回答もスムースに出来ていました。籔内教授が、本像が唐の工人の造像と判断している、とのご自分の意見を述べて、中村氏に同意を求めたところ、彼も同意する場面がありました。

何はともあれ、宝菩提院願徳寺菩薩半跏像の造像技法と作風表現が、特異な完成度の高い、傑出した仏像として再度見直し、「国宝」指定の認識を新たにした次第です。

なお、東京芸大大学院の学生による「研究報告発表会」が毎年、4月頃に開催されています。来年2016年も開催されるものと思いますが、学生たちの専門的な仏像の修復、模刻活動の発表や説明を通じて、幅広く仏像の学習が出来ると思いますので、是非注目して下さい。


以上 Takさんからの 投稿文でした。