孤思庵の仏像ブログ

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3⃣Taさんの寄稿 秋・奈良日帰り拝観旅行

メンバーのTaさんから前回の拝観紀行の続きの投稿がありました。ご紹介します。」孤思庵

秋・奈良日帰り拝観旅行  H27年(2015年)11月6日(金)

いつもの早朝新幹線・京都経由で近鉄奈良駅に着いたのは、午前9時を少し回ったと
ころ。

わき目もふらず、駅前の通りを渡った駅前バス停に向かい、すぐに来た市内循環外回
りバスに飛び乗った。乗客は一緒に乗った数人のみで、のんびりとした旅行の出だし
となった。県庁、興福寺、奈良博、東大寺南大門を過ぎ、春日大社前バス停で乗客が
降りてしまい、残ったのは自分のみとなる。三笠山を遮る街並みに入りすぐに、「破
石町バス停」に着く。



これまで、「不空院」を訪ねた際は、興福寺から春日大社内を通り、「若宮」、「さ
さやきの小径」から志賀直哉旧居近くから路地を曲がり、新薬師寺の手前まで、ひた
すら歩いて行ったことを記憶している。近くまでバスで行くのは、初めてのことに
なった。朝から歩きまわっていくには、歳のことも考えなければ、と初めから「楽」
を決め込んだ。





不空院



静かな、今も古き奈良の風情を残す、細い路地の途中で、どういうのか通りに面した
壁から、「不空院」の門が石柱と石段を含めて飛び出している形の構えになってお
り、遠くからでも「不空院」の門であることが分かる。

二人連れが、路地から門の中を覗き込み、ほんのひととき歩みを止めたものの、また
何もなかったかのように、先を急ぐように通り過ぎって行った。素敵な仏様が拝観出
来るのに。

朝日に輝く門をくぐると、あまり広くない境内に、二、三の社と正面に本堂が眼に入
る。本堂の軒先瓦には、藤原氏の紋である「下り藤」がはっきりと認められる。

「南都 春日山(しゅんにちさん) 不空院」は、戒律宗の祖・鑑真和上と真言密教
の祖である弘法大師の法灯を合わせ伝える寺院で、西大寺の末寺となっている。この
地に足跡を残した弘法大師にちなみ「福井之大師」(ふくいのだいし:福井=不空=
福に通じる旧地名)とも呼ばれ、「女人救済の寺」として知られるという。

春日山山号は、春日大社と深い関係があり、本尊・不空羂索観音春日大社の第一
神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)変化の姿とされる。堂内の本尊前には、鏡を
配し、武甕槌命が乗って来たとされる一対の鹿の像(夫婦鹿)が祀られている。



「不空院」の本尊・不空羂索観音坐像は、東大寺法華堂・不空羂索観音立像、興福
寺・南円堂・不空羂索観音坐像と共に、「三大不空羂索観音」と呼ばれるそうだ。



「大乗院寺社雑事記」によると、奈良時代、鑑真和上がここに住居を持ち、また時が
過ぎて、藤原冬嗣が亡父のために興福寺南円堂を建立した際は、弘法大師がこの寺
で、南円堂の雛型として八角円堂を建立し、本尊・不空羂索観音を作られた、とされ
る。鎌倉時代には、南都戒律復興運動の場として、不空院・円晴、西大寺叡尊、唐
招提寺・覚盛、西方院・有厳の四律僧が戒律を講じ、多くの衆生に戒を授けた、とい
う。

また、西大寺に伝わる古絵図に、興福寺南円堂の雛型である「八角円堂の本堂が描か
れており、現在の本堂は、この八角円堂の礎石の上に建っている、という。



本尊の不空羂索観音坐像は、一面三目八臂で、ふくよかな非常に穏かな優しい面立ち
と、優美な身体つきと安定した立派な体躯がマッチして、実際の像以上の大きさを、
観る者に与えている。肩には鹿皮を纏い、第一手は胸前で合掌し、第二手は左手に蓮
華、右手に錫杖を持ち、第三手は左右に垂らし、五指を伸ばし手のひらを前に広げ、
第四手は左手に羂索、右手に払子(ほっす)を持つ。

自分は、興福寺像と比べて、同じ坐像ではあるが、こちらの不空院像の姿が優美で、
それでいてしっかりとした体躯と荘厳さが備わっている感じがして、好ましく思え
る。像の大きさから圧倒感・威圧感は興福寺像に比べ少ないが、それでも仏様の訴え
てくる姿、気概を感じられる。



本尊が安置されている厨子は、表の簡素な黒色の板壁とは異なり、像背面の板絵に
は、下半分に山岳風景らしき緑色の彩色が、上半分には幾体かの「二十五菩薩来迎
形」の白い流雲上に立つ観音菩薩像が、はっきり窺える。正面から見える仏様は、袈
裟を着た僧形の地蔵菩薩、その脇にも十一面観音か、とおぼしき姿が分かり、結構作
図、彩色がしっかり見られるようだ。



厨子の前の左右に鹿の彫像が置かれ、厨子向かって右側の厨子には弘法大師像が祀ら
れ、左側の厨子には宇賀神弁財天女像が安置されている。



宇賀神弁財天女像は、室町時代に作られ、元は古絵図にある不空院の守護神で、「大
乗院寺社雑事記」には、「鎮守は弁財天なり。故に福院と云う」とあるそうだ。水の
精、河の神で、才智と芸術、福徳と豊饒の神だそうだ。不空院の弁財天女は、女性の
救済と庇護に大きな力を下さるそうだ。像の姿は、八臂で、弓、矢、槍、刀、独鈷、
輪宝、鍵、宝珠という武器と福徳のものを持ち、頭上の鳥居型宝冠には宇賀神(蛇身
に白髪の神)が見られる。

他にも、外陣には唐招提寺の宝扇(絵うちわ)などが陳列されていた。



堂内の内陣の左右壁や、天井に近い白壁、本尊厨子上部板壁などには、色鮮やかな飛
天や四天王像の壁画が描かれており、お寺の方に伺ったら、福岡隆聖師の手になるも
のだそうで、手持ちの資料を見せてくださり、おまけにカメラ撮影を許して下さっ
た。

福岡師は、明治34年・台湾生まれの方で、東大寺で得度し、二月堂修二会に参籠、新
薬師寺副住職、新薬師寺住職、昭和59年、79歳で遷化された。仏画が得意で、密教
どにも学識が深かったそうだ。自身の仏画集を刊行し、東大寺上院山手観音堂の飛天
女像などに腕を振るったということだ。



また、お寺の方から、東鳴川観音講(応現寺)の「不空羂索観音坐像」についても、
いろいろ伺った。坐像で90センチほどの像で、興福寺南円堂平氏の焼き討ちで焼失
する以前の姿を模したものと考えらられている。応現寺の像は、眼が額にもある「三
目八臂」の像になっている。体躯の均整のとれた優しさは、「定朝様」を念頭にした
平安時代後期とされている。藤原北家一門が権勢を誇った興福寺南円堂の不空羂索観
音坐像とよく似ている、ということで、知られる。東鳴川観音講(応現寺)は、是非
一度拝観をされたらよい、というお寺の方のお話しで、ご丁寧に応現寺のコピーを頂
いた。いつか出掛けてみようと思った。



また、奈良博の岩田茂樹氏が「康慶」関係のテーマで、展示会の企画をしているそう
だ、というお話しを伺った。



拝観客もそこそこ見えているようで、お寺の方(檀家の有志ということだった)は
各々説明などで対応していた。自分の対応が特に長く、つきっきりで対応していただ
き、いろいろ聞かせてもらったり、資料まで見せて頂いたり、コピーまでしてもらっ
たり、大変お世話になった。







「不空院」を退出して、とにかくまっすぐ西へ向かって「福智院」まで歩くこととな
る。7月の拝観の時と違って、暑くないのがよい。人通りの少ない通りを10分ほど
で、目当ての路地が見えて来た。





福智院



見覚えのある築地塀と細い路地にたどり着いたのは、午後1時30分。夏に伺った時か
ら4か月足らずで、またお寺を訪ねてきたことになる。



靴を脱いでお堂に上がると、若い男女のお寺の方が、にこやかに挨拶をしてきた。夏
の拝観のことをよく覚えていて下さり、その時のことでしばらく話しに花が咲いた。
私との対応の間にも、拝観客から「朱印帖」が差し出されれば、すぐに筆を持ち朱印
をしたためる。二人で応対しているのだが、拝観客への接待(お茶出し、本尊説明、
朱印帖、料金徴取、お湯沸し)など、結構忙しそうに動き回っている姿を見た。夏の
地蔵会の翌日の暇な時で拝観客がいなく、長いこと話しをして下さった時とは、打っ
て変わってやはり観光シーズン、季節なのだな、と感じた。



一人で、本尊から離れた奥に安置されている、「宝冠十一面観音立像」のお顔を拝し
に、厨子の並ぶ場所に行った。

外側が黒色で何の細工も装飾も無く、半面、扉裏や厨子内陣が金色に輝いた厨子
入った、1メートルに満たない小さな仏様で、透かし彫りがきれいな、後補の光背周
囲に11個の種字円板を付けた舟形光背の金色が目立つ。一見して頭上の突出した頂上
仏と化仏(宝冠の後ろになりよく見えない)、宝冠を戴いた優美な四角っぽい顔立
ち、瓔珞などが胸から腹部にかけて目立つ装飾となり、華奢な身体つきと、水瓶を持
つ左手、天衣に絡むような右手の嫋やかさ、着衣の浅い単調な彫りや天衣の流れが、
きれいではあるが、何か迫力がなく、物足りなさを感じる。



幾つかの厨子(左右に阿弥陀如来立像、阿弥陀如来坐像)が並ぶ横に木額があり、室
町時代中期に、伊勢国一志郡高野に「浄泉寺」が建立された。滅罪、家運隆盛、子孫
繁栄を祈願し、この像を秘仏として同寺に安置した。明治2年神仏分離令により、
廃仏毀釈が進む時代に、浄泉寺住職が難を恐れて、本像を本堂内に隠したことで、他
の寺物も難を逃れた。昭和31年4月、浄泉寺の本堂脇から本像が、なかば解体された
ような状態で発見された。その後、修複を急ぎ、関係者の熱意で重文指定を申請した
が、いまだに指定されていない。こうした中で光背が朽ちて修復出来なかったことが
あったそうだ。

浄泉寺は今は無く、建立された場所は伊勢神宮の裏鬼門に当たり、「鬼方破砕」?実
現のための意味合いがあったものと考えられる、という。



最後に、お寺の女性が手作りの木版刷りのマスコット、かわいい「おじぞうぼうや」
を作っていて、バレンで謄写してもらい、オリジナルの封筒を頂いた。夏にもお土産
に「かかか茶」のパックを頂いたが、そのラベルにも「おじぞうぼうや」のマスコッ
トが描かれていた。おいしいお茶だった。何かしら頂いてばかりで恐縮。





少し暮れなずんできた凛とした空気の中、今日もバスに乗らずに近鉄奈良駅まで歩こ
うと決めて「福智院」をあとにしたが、お寺から一緒に出てきた、2人の女性の誘い
に負けて、お寺の近くのバス停から、一緒にすぐに来たバスに乗ってしまった。

昼食を抜いて寺院を巡ったので、近鉄奈良駅の近くの、「東向商店街」のいつものう
どん屋で、腹を満たしてから、近鉄奈良駅に向かった。

                                      
     

 ― 完 ―