孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

大倉集古館の普賢菩薩騎象像は 脇侍像か独尊像か?

只今,国立東京博物館の本館11室に、東京で唯一の国宝仏像として高名の大倉集古館の普賢騎象像が陳列されて居ます。大倉集古館が設備改修の為 長期休館中で、同館の目玉的収蔵品の貸し出しに踏み切ったものと思われます。もう大倉集古館が設備改修の為の休館はもう1年半を経過していて。再開はまだ2年以上先と思われて居ますので、私たち仏像ファンは絶対の好機と、喜んでいます。当然に私達の11月7日の「仏像愛好の集in東博」では
話題の中心でした。 そしてそれぞれにこの傑作の薀蓄や私見を披露し合いました。その内容は Yahooブログの「孤思庵ブログ」2015/11/16(月)の [無事終了、11月17日 「仏像の基礎勉強会」の集  於いて東博 ]の記事などに在ります。
そんな中でこの普賢騎象像が独尊像なのか、文殊菩薩像と共の両脇侍像の片割れなのかと話題になりました。 
私はこの像が彩色像で、漆箔や金泥の金色像で無いので 独尊像と思いまして、その様にブログに書きました。その時はこれまでの経験で三尊像のイメージは漆箔像との印象だけでの事したが・・・、それを受けてメンバーのMさんは、普賢菩薩の著名遺作品の仕上げと独尊像か両脇侍のそれかを それぞれに当たり調べてくれました。

〔Mさんが付けてくれましたコメント〕
大倉集古館の普賢菩薩が独尊なのか、釈迦三尊の脇侍なのかを判断する材料として、他の普賢菩薩を調べてみました。
 確認したのは①重文指定の彫刻、②象に乗っている、③合掌している
 の3点に適合する普賢菩薩です。絵画作品も調べればいいのですが、私にはそこまでできませんので、どなたか詳しい方がいたらお願いします。
 指定品の件数は9件(他に参考作品として合掌していないものが1件)ありました。
まず、釈迦三尊の脇侍として
① 長野県牛伏寺像 平安時代 漆箔か彩色か未確認
岐阜県願興寺像 鎌倉時代(釈迦如来に寛元二年1244銘)漆箔
兵庫県鶴林寺平安時代(中尊は鎌倉時代)漆箔か彩色か未確認
滋賀県常信寺像 平安時代 漆箔
 釈迦如来がなくて、文殊・普賢の2躯のみで重文指定の像として
奈良県円証寺像 平安時代 漆箔か彩色か未確認
 (この普賢は10世紀頃の作だが、文殊は12世紀頃の作と思われ、本来一具の像ではなかったと考えられる)削除
2015/11/13(金) 午後 9:38[ buo**iorn*1206 ]
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独尊で重文指定の像として
京都府岩船寺平安時代 彩色
⑦ 大倉集古館国宝像 平安時代 彩色
京都府妙法院平安時代 肉身部は白肉色、衣部は漆箔に彩色
 独尊だが特殊なものとして
山形県本山慈恩寺平安時代 彩色(十羅刹女を従える像)
 参考作品として、釈迦三尊の脇侍であるが合掌していないもの
岐阜県長瀧寺像 鎌倉時代 宋様式 金泥
この結果から、象に乗る普賢菩薩では釈迦三尊の脇侍は漆箔、独尊は彩色と言っていいかと思います。
なお、MUSEUM541号(2001.10)「大倉集古館普賢菩薩調査報告」で山本勉氏は「騎象の普賢菩薩像は、釈迦三尊像の脇侍として造られる場合もあるが、滋賀・常信寺像のような平安後期におけるその典型例が漆箔像であることからすれば、彩色・切金文様で仕上げる本像は独尊像であった可能性がつよい。法華三昧の行法を修する法華堂の本尊として製作されたものとみてよい。」としています。
2015/11/13(金) 午後 9:39[ buo**iorn*1206 ]
大倉集古館の普賢菩薩が独尊なのか、釈迦三尊の脇侍なのかを判断する材料として、他の普賢菩薩を調べてみました。
 確認したのは①重文指定の彫刻、②象に乗っている、③合掌している
 の3点に適合する普賢菩薩です。絵画作品も調べればいいのですが、私にはそこまでできませんので、どなたか詳しい方がいたらお願いします。
 指定品の件数は9件(他に参考作品として合掌していないものが1件)ありました。
まず、釈迦三尊の脇侍として
① 長野県牛伏寺像 平安時代 漆箔か彩色か未確認
岐阜県願興寺像 鎌倉時代(釈迦如来に寛元二年1244銘)漆箔
兵庫県鶴林寺平安時代(中尊は鎌倉時代)漆箔か彩色か未確認
滋賀県常信寺像 平安時代 漆箔
 釈迦如来がなくて、文殊・普賢の2躯のみで重文指定の像として
奈良県円証寺像 平安時代 漆箔か彩色か未確認
 (この普賢は10世紀頃の作だが、文殊は12世紀頃の作と思われ、本来一具の像ではなかったと考えられる)削除
2015/11/13(金) 午後 9:38[ buo**iorn*1206 ].
 
独尊で重文指定の像として
京都府岩船寺平安時代 彩色
⑦ 大倉集古館国宝像 平安時代 彩色
京都府妙法院平安時代 肉身部は白肉色、衣部は漆箔に彩色
 独尊だが特殊なものとして
山形県本山慈恩寺平安時代 彩色(十羅刹女を従える像)
 参考作品として、釈迦三尊の脇侍であるが合掌していないもの
岐阜県長瀧寺像 鎌倉時代 宋様式 金泥
この結果から、象に乗る普賢菩薩では釈迦三尊の脇侍は漆箔、独尊は彩色と言っていいかと思います。
なお、MUSEUM541号(2001.10)「大倉集古館普賢菩薩調査報告」で山本勉氏は「騎象の普賢菩薩像は、釈迦三尊像の脇侍として造られる場合もあるが、滋賀・常信寺像のような平安後期におけるその典型例が漆箔像であることからすれば、彩色・切金文様で仕上げる本像は独尊像であった可能性がつよい。法華三昧の行法を修する法華堂の本尊として製作されたものとみてよい。」としています。
2015/11/13(金) 午後 9:39[ buo**iorn*1206 ]

結果やはり侍像には漆箔の金色像が、彩色像には独尊像が多いを検証してくれてました。

此処で、私なりにその様に成る理由が大切と その理由を考えてみました、此処に書かせて頂きます。
当初は、今までの仏像拝観のキャリアにより、ただ漠然と金色像は三尊形式に多いと考えただけでした。
金色像の起源は云うまでも無く、仏の三十二相の内の金色相でして、それは殆ど、如来と菩薩に見られますが、その理由は金色相を含む仏の三十二相は、仏の身体に備わっている特徴ですので、その発端は釈迦と思われます。それが他の如来にも拡大解釈されてきて、さらに進み、いずれ如来となる菩薩たちの像も金色の像にされて来たのだと思います。
金色像が最も相応しい釈迦像です。そして その釈迦三尊像の脇侍の普賢菩薩は当然に金色像が似合いです。
それに依り大倉集古館のこの普賢菩薩が釈迦三尊の脇侍の片方ならば金色像の筈と思ったのです。そして彩色像のこの大倉集古館普賢菩薩は,Mさんの意見と同様に、法華懺法の本尊の独尊像と思いました。