孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

7/4の 「仏像愛好の集in東博」 (Ⅱ)

◆「仏像愛好の集in東博」 は12名の参集を頂き、大方予定通りに、無事に終了しました。ご参集の皆さん、如何でしたか? ご参集者には感想のコメントください。


午後の勉強会  個人勉強発表 A  ディスカッション 【MC 孤思庵】  にては、

「仏像の定義」・「仏教とはどんな宗教?」 のディスカッションと云う 実験では、お歴々のご意見により 仏像ファンは 宗教好きとは 限らない無い!と分別出来ました。


「仏像の定義」では、仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。 に対しては異議はないと思いますが、

仏像と仏教 この二つにはかなりの利距離が在りそうです。 SNSの日記のジャンルに 仏教と仏像は 共に在りながら その双方に コラボしているものは意外と少ないようです。 

確かに仏像ファンは 仏像を 美術、鑑賞の対象と見る向きが多く その方向で博物館やお寺に行きます。 

人々が お寺に行くのにも、信仰と 拝観があり、お寺サイドでも 明確に分けるところ在り、拘らないところ在りの 両方がある様です。

お寺訪問者にも、信仰と確信するもの、観光とでファジーな訪問者もです。 私は正直 信仰でお寺には言ってません! ただ参拝の方々がいらっしゃるは 重々に承知で、非礼の無い様にしてますが、霊験あらたかとの理由で 自身が仏像・お寺を選ぶことは在りません。 拝観すべき仏像ありきで、訪ね行きます。

拝観とは便利な言葉でして、見物(seeing) で無しに 付随して「拝む」も含まれていて、私達 仏像愛好者には 甚だ便利な言葉です。

それで 拝観に出かけるのですが、 他方、初詣や彼岸の菩提寺には参詣に行くのです。 著名仏像には線香を手向ける目的ではないのですが、菩提寺の本尊には線香でして、決して拝観はしないのです。

で、拝観の仏像には 信仰対象ではなしに 正直 術品なのです。 しかし 有名仏像には その両側面を持ってまして、境目がファジーでは在ります。

そうこう考えますと 仏像は美術品と見るべきがノーマルでしょう。 自分は特異で、釈迦の仏教に興味でして、兎角その影響でか 図像学的仏像鑑賞にも興味です。

図像学仏教美術の側面でして、 仏教そのものではありません。もっと言いますれば、仏教にも,二面性が在り、宗教と仏教学、又 宗教にも 教義と信心があります。

仏教の専門家にも 僧侶と学者が居て  その境目がファジーな方もいらっしゃいます。


仏教芸術の分野は 仏教美術と、仏教美術史に分かれるのでしょうが、それも境目がファジーな場合が存在します。 

一方 趣味人の場合も 美学(耽美)と 美術史 そして 図像学に文化史(思想史)と クロスオーバーはある様で 皆少しずつ 興味の中心は 相違するようです。 

仏教勉強者と 仏像趣味は 簡単に大別され、相互のコラボは ほとんど少ないようです。仏教にしても、哲学としての仏教(仏教学か?) 祖師仏教の(信仰か?) いろいろです。 

そして自分の仏像愛好の立ち位置は、いにしえの美学(耽美)が出発と思いますが、 途中に 人生の考えとしての仏教哲学に目覚めるもありきで、 仏教思想史にも興味とで複雑です。

仏像への憧れの出発は、 正直には思春期の悩みでして、 失恋の迷いを憂い、仏の解脱の美しさ VS 自己の無明 なんての ロマンチズムが出発でしたと 今では苦笑のカミングアウトをします。

それから 教わっる知識に憧憬し、 図像学 仏教哲学と憧れ続けています。  そして終盤の今日 あれこれ理屈はもう良しとして 好きだから好きと 言うが良いと 思う様になって来てます。

言葉がこなれず 解りずらくてすみません m(__)m