孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

春日大社式年造替・本殿特別公開に 日帰り

Taさんから メールが届きました。 日帰りで春日大社の式年造替・本殿特別公開が延期で6月30日までに公開期間が延長されたを知られて、日帰りで行かれたそうです。フットワークの良さに敬意です。 そんな価値ある本殿特別公開、千葉の仏像の会の奈良研修旅行の終わりに、機転で独り乍ら行けて、良かったと思います。 
千葉の仏像の会の皆さんは 西大寺に向かわれた由、私の選択の方が良かったのでは・・・、鼻が高く成った気がしました。」孤思庵


Taさんのメール 承諾を得て此処に掲載します。

つい最近のブログで、孤思庵さんが奈良方面に出かけられ、春日大社を参拝されたことが出
ていたので、思いついて、ネットで調べてみました。私は、てっきり5月末日まで
が、「第六十次式年造替・本殿特別公開」(しきねんぞうたい)だと思い込んでい
て、頭になかったのですが、何と、6月30日までに公開期間が延長されていました。
20年に1度の公開ということで、お寺の秘仏開帳と同じで、何年か後でも次の機会で
いいや、と考えた若い頃ならいざ知らず、此の齢になると、次の公開の年数を現在の
自分の年齢に足してみて、その時に、元気で歩き廻れているだろうか、との考えが先
に脳裏を横切ります。

「それ!」とばかり、直近の天気予報を見て、今日・明日ならば、そこそこ雨が降ら
ないだろう、と運を天にまかせて、早朝から飛び起きて(イザとなると早起き出来
る!)、いつもの始発の新幹線に飛び乗って、午前9時には、奈良市内の観光客のひ
とりとなりました。

駅からは、汗をかかない程度に早足で鳥居をくぐり、鹿に挨拶をしながら、目的の神
社に急ぎました。



何度も行ったことのある春日大社ですが、期間中は、ロープと標識とで、ぐるぐる歩
き廻らなければならず、余計汗をかいてしまいました。公開終了まであと僅かな期間
となり、あまり混んでいませんでした。

御神霊が遷された「御仮殿参拝所」「移殿」(うつしどの)は、昔は祭りの際に朝廷
から発遣された女官のための社殿だったそうで、今は奥に、10枚ほどの鏡が下がった
御簾のかかった場所になっていました。他に何も見るものが無いので、頭を下げて拝
礼し、通過しました。「宝庫」の扉は、御本殿側にあり、赤い縄で、特殊な結び方が
され、封印されていました。その裏に、「多賀神社」の説明では、延命長寿の神様
イザナギノミコト)で仕事の完遂を導く神様だそうです。近くの札には、「東大寺
中興の祖重源上人は、多賀様の御神助によって、平家の焼き討ちによって焼失した、
大仏殿を復興出来た故事により、仕事の完遂を導く神様としても信仰されている」と
ありました。「後殿」公開は、明治維新以来140年ぶり半分が工事のため幕が掛けら
れていたが、「海本神社」(かいもとじんじゃ)は、食の安全を守る神様を祀ってい
るそうで、「杉本神社」(すぎもとじんじゃ)は、建物の高層階で生活する人々の安
全を守る神様だそうで、現在の我々の生活を茶化しているのかと、勘ぐりたくなるみ
たいです。まだあった「八雷神社」(はちらいじんじゃ)は、雷のチカラ(電気、電
話、通信)で人々に幸せをもたらす神様だそうで、立札にはスポンサー「住友電気○
○、NTT西○○・・・」などの会社名がはっきりと。私の前をきちんとした背広姿
の紳士が4名、○○の社章を背広の襟につけて、神官の説明を受けながら拝観順路を
先に向かっていきました。

「第二殿」の建物の裏側の軒下奥の地面に「磐座」(いわくら)という不思議な白い
ものがありました。三笠山の何処からか石を持ってきて、上から漆喰で白く固めたも
のだそうです。何の意味か分からないそうです。


「本殿」内院は、神様が仮御殿に御遷りになっている間だけ、内院への出入りが許さ
れ、間近に拝観出来るのだそうです。4つの本殿は、ほぼ同じ形をしており、本殿の
各々を繋ぐのは、太い角材と漆喰の壁で、壁の面には、絵馬や神官の姿の彩色絵が描
かれています。「絵馬」の起こりだと、神官が説明されていました。本殿と地面を接
するところを見ると、第1殿から第4殿まで、必ず20~30センチくらい段差があり、
段々低くなっていきます。これは、建物が自然の地形のままに、置かれるような格好
で造られているもので、三笠山の地形のなせる業だそうです。本殿の第1殿の建物あ
たりが、春日大社本殿では標高が最も高いのだそうです。

祀られている神様は、1・2殿はそれなりに、3.4殿は、藤原鎌足鎌足夫人だと、神
官が説明しているのが聞こえました。パンフが違うのか?このような施設を拝観・見
学するには、他の拝観者が付けるガイドの後からついていくのが便利です。団体客や
ガイドの方からは敬遠されるでしょうが…。またありました! 内院の第1殿に近い
場所に、飛来天神社(ひらいてんじんじゃ)、空の旅の安全を守る神様の社がありま
した。会社名を記した立札が見つかりませんでしたし、その時間は誰もいらっしゃい
ませんでした

本殿を出て、万灯籠のたくさん下げられた回廊から「影向門」を出て、山藤の群生し
ている雑木林(花の季節ではないので、ただの雑木林)の奥で、本殿の築地塀の裏手
に「御蓋山浮雲遥拝所」(みかさやまうきぐものみねようはいじょ)があり、そこが
大社では最も高いところだそうです。そして、奈良時代の初めに、平城宮守護のた
め、鹿島の「タケミカヅチノミコト」が白鹿の背に乗って降りられた神跡、三蓋山の
頂上浮雲峰の遥拝所で、本殿創建以前に鹿島、香取、牧岡(ひらおか)の神々が鎮ま
神奈備(かんなび)として崇められ、現在も禁足地となっているそうです。ガイド
と参拝者たちについて、回廊外側に沿って回り込み、桜門から大宮に入ると、特別公
開コースは終了しました。

ボランティアガイドの人たちの待機場所が南門の脇にあり、南門から回廊外に出る前
に、幣殿(へいでん)で団体客の一団に対応していた女性が戻って来たので、しばら
く休憩時間を利用して、お話しを伺いました。いろいろと神様などの名前まで詳し
く、自分からバスガイドをされているとおっしゃっていました。さすがに細かいとこ
ろまで詳しかったです。はじめは「檜皮葺き屋根の修復」の苦労話しから始まり、巫
女さんの人材難まで、神社向けの話しが出来るガイドさんは、今はそんなに多くい
らっしゃらないそうです。バス会社の特別対応として、式年造替公開中は、バス勤務
から大社勤務に替わっているそうです。彼女とは20分くらいで休憩時間が終わり、観
光客対応に就かれたので、お別れしました。あまりバスガイドさんと話しをしたこと
がなかったのですが、確かに、地元の情報や他の地域との関係など、身近な話題を含
めて、話題に事欠かない存在であったことに気付かされました。昼を過ぎた為か、中
国人団体ツアー客(参拝者の60%以上が中国人だそうです)や修学旅行生のグループ
が大勢押しかけてきていました。雲の切れ間に青空が覗くようになりました。

その後は、「若宮」へ向かい、「雨宮神社」(金運を守護する神様)、「夫婦大国
社」(良縁・夫婦円満の神様)などを巡り、「奥の院道」から「紀伊神社」(万物の
生気、命の根源を護る神様)に寄った後、「上の神宣道」から、急ぎ足で、ひたすら
「新薬師寺」をめざしました。その道すがらで、必見の仏像彫像を蔵している寺院に
ついては、これまでにも訪れたことのある寺院があり、今回はスルーしました。途
中、立ち止まっては、奈良駅コンビニで買っておいたお握りとお茶を、お腹に入れて
の道中です。

奈良の日帰りコースは、いつもの通り身体にきつく、最初と最後のバス利用を除き、
道程の大半を徒歩で回るのは、此の齢になるときつく感じられますが、それでも、結
果的には、従来と変わらないパターンになってしまいます。いつもの無計画性が露呈
した一日となりました。

「神様は、自分の直ぐ近くにいらっしゃる」これが、今回の日帰り旅の印象です。

                                         以上


【付録】 先日の2015/6/23(火) 午前 11:32の記事『新人さんより 寄稿が在りました。』 に対してのTaさんの コメントが添えられて居ました。 それも紹介いたします。」 孤思庵

先の新人さんの、お寺や仏像を身近かに思えるようになったお話しは、よかったです。仏様は、ただ見つめていれば何かある、そして何時も身近かに感じられるものなのですね。「First仏様」が素晴らしいです。

私も最近まで、やみくもに歩き廻っているだけで、何も考えていない見ていない感じでした。集のメンバーのかたがたのおかげです。