孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

空海が高野山金堂の本尊を 薬師如来でなしに阿閦如来にした訳

日曜美術館 「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲

上記の以前の日記に 他のブログに転載分に コメントを貰いました。ここに転載します!以前の日記も合わせご覧ください。



【コメント】


1 Irさんより     2015年06月14日           
もしかしたら空海さんは、曼荼羅にないような薬師如来は本尊に置きたくなかったかもしれませんね。
高野山が開かれた時代は、鎮護国家ブームということで、国分寺=現世利益のお薬師さん、が当たり前になっていたので、スポンサーである桓武天皇に気を遣ったのではないかと妄想してます。

だから国分寺である教王護国寺の本尊は薬師如来にしたけれども、せめて修行道場である高野山の本尊には曼荼羅に存在する阿しゅく如来を祀り、表向きは薬師如来として、誰の目にも触れぬよう厨子に閉ざしたのでは。
秘仏だから名前がわからなかったのではなく、逆に、名前がわからないように秘仏にした、と。
     
   
2 仏像好きの「孤思庵」より    2015年06月15日
     
Irさん、「国分寺である教王護国寺の本尊は薬師如来にしたけれども、せめて修行道場である高野山の本尊には曼荼羅に存在する阿閦如来を祀り、表向きは薬師如来として、誰の目にも触れぬよう厨子に閉ざしたのでは」の御高説有難うございます。

薬師如来国分寺の本尊として多い事は知って居ましたが、貴兄の鎮護国家のお言葉に思い起こしました。 私も同様に鎮護国家の為に国分寺薬師如来に祈れと勅命が出たのではと思いましたが、どうも鎮護国家の目的、その様な事の命は出て居そうですが、それは勅命と云う形にては無かったとの事です。でもその意識はあったはずです。 ここで「鎮護国家」の意味を現代的に考える事に危険が在るように思います。「鎮護国家」とは、国の安泰を考えるのでは無しに、単に、天皇の壮健を意味していたようです。

そう考えると本尊が薬師の意味が解ってきました。法隆寺の、また薬師寺の、新薬師寺も 皆 天皇たちの病気平癒の祈りです。薬師悔過(けか)法要をさせたのです。

その事を思いますに、御説の如くに「高野山の本尊には薬師如来でなしに曼荼羅に存在する阿しゅく如来」の意味にもう一つの 空海の意思が見え隠れしているみたいですね!
空海が「スポンサーである桓武天皇に気を遣った」とのお言葉ですが桓武天皇のには?です。嵯峨天皇と昵懇でしたはず… 
ウェブ「最澄空海桓武天皇
www.k4.dion.ne.jp/~skipio/.../Saityo&Kukai&Kanmu.htm - に、

空海嵯峨天皇(在位809~823)に依拠したが、最澄は嵯峨の父である桓武天皇(在位781~806→794年に平安遷都)に拠った。

桓武は古代天皇制の最後の独裁者である。
かつての天智(てんじ=中大兄皇子)・天武に共通する為政をおこなった。

独裁的に敵を倒すいっぽう、政策を打ち出し、実行し、失敗し、自ら責任を認めて死んでゆく。
 以後これだけの責任を背負った天皇は出現していない。というより、藤原摂関政治のなかで天皇に「責任ある仕事を与えなかった」、が正しいのかもしれない。

桓武は責任を負うからこそ、その懺悔も深刻になり、最澄のような生一本の僧侶に救いを求めた。」

と在ります。



3 Irさん より  2015年06月15日 09時52分

ご指摘ありがとうございます。
確かに金剛峰寺着工が816年あたりからだから、嵯峨天皇ですよね。
また、興味深いサイトをの紹介いただきました。
読み物としてもとても面白いです。
仏像の知識以外はあまりなかったのですが、仏像を知るには仏教史を、また仏教と密にして歩んできた日本の歴史も幅広く知らなければいけないと、最近思っています。
今後ともご指導のほどお願いします。






4 仏像好きの「孤思庵」より  2015年06月15日 15時35分


Irさん、 Reコメントを 有難う御座い居ます。こちらこそ宜しくお願い居ます。

尚、 2 仏像好きの「孤思庵」さん  [削除] 2015年06月15日 06時49分

の文中の
その事を思いますに、★季節の如くに「高野山の本尊には薬師如来でなしに曼荼羅に存在する阿しゅく如来

の★後の 季節は 変換ミスです。×季節⇒貴説 に修正ください。 
om(__)m

尚、 空海の良く見る弘法大師画、その中の椅子は 他の高僧の椅子と様子が違いますね! ご存知かもですが… 空海の椅子は 嵯峨天皇玉座を賜ったものだそうですネ。