孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Taさんからのお便り 転掲載します。

Taさんからメールにてお便り頂きました。ここに転掲載します。

私は、先週の長野・善光寺の前立本尊開帳は、人生2回目の経験で、朝4時起きして内陣へ入り、朝一番の行事である前立厨子開扉からジッと眼を凝らして仏様を見つめていました。初めて経験した御開帳の時より、明るく厨子内までよく拝観出来た感じでした。ただ大勢で落ち着いて拝観出来なかったのが、残念でした。資料館、博物館と美術館はゆっくり巡ることが出来ました。
 
私のこの数日間は、幕末の備中松山藩山田方谷の資料探しと、童門冬二の小説の読み直しで日が過ぎてしまいました。
山田方谷は、江戸末期に農民出身ながら藩政を担う老中の代行役として、備中松山藩の財政を赤字経営から黒字経営に転換させた改革の実行者で、多くの藩の模範になった人物です。司馬遼太郎の小説「峠」でも主人公の長岡藩・河井継之助から師と仰がれ、また、藩主・板倉勝静江戸幕府重臣に取り立てられたため、代わりに藩の運営全般をみた人物です。
以前から計画していたものの実現出来なかったので、今秋には、是非、岡山県高梁市に、山田方谷の史跡を訪れたいと考えています。その時は、勿論備中松山城趾にも登り、山上の天守からの眺めを満喫したいと思っています。この景色はどうしても秋から冬の朝方が良いので、旅行する時期を何時にするか悩んでいます。竹田城趾のように、ちょっと話題になるとドッと観光客が押しかけて、壊されたり荒らされたりしてしまいます。今年は是非にと思っています。
他にも、山田方谷とは意見が対立した横井小楠についても、資料や伝記を読み直すことで、もう一度山田方谷との比較をしてみたいと思います。それが終わったら、佐久間象山佐藤一斎秋月悌次郎、細井平洲と、先々勉強するするのに事欠きません。
それとジャンルが違いますが、種田山頭火も久々に眼を通したいと思います。
 
 その前に、そろそろ南アルプス八ヶ岳、上信越あたりの登山もどきを一度行わないと。
 妻が体調を崩して闘病生活になってからは、それどころではなく、亡くなった後、何もせずに今日まで来てしまいました。
久しく登山靴やザックとご無沙汰していたからと思い、昨日荷物を引っ張り出して一応手入れをしました。今となっては旧式のガスコンロやザック、シュラフなどでも、なかなか最新式の製品に買い替える気分になれません。私の気分は、いまだに昭和時代の登山のイメージから抜け切れていないようです。体力を鍛えなくては絵に描いたモチになってしまいそうです。
 
6月は、「集いの会」といくつかの講演会、近所のお寺巡りくらいで遠出は無い模様ですが、7月は、23日~24日に奈良へ行く予定です。