Kaさん からの寄稿 転載します。 4.25 長野観仏記
Kaさん からの寄稿 転載します。
2015.4.25 長野観仏記
七年に一度の善光寺御開帳に合わせ、4/4~5/31まで長野県信濃美術館で善光寺御開帳記念特別展「いのりのかたち」が、また4/25~5/31まで長野市立博物館で特別展「信仰のみち善光寺・戸隠・飯縄・小菅・斑尾・妙高」が開催されることを「神奈川仏教文化研究所」のHPで知った。信濃美術館には以前から拝観したかった松川村観松院の重文菩薩半跏像(飛鳥・渡来仏)が出展されると言うので、これは行かなくてはとこの日帰り観仏の旅を企画した。
SBさんは東京駅から、OTさん、MUさん、私KNは大宮駅から北陸新幹線あさま601号に乗車する。長野駅で下車するとSBさんは旅行鞄を持っている。何か資料が入っているのか、それにしても大げさだなと思っていたら、なんと1泊するのかと勘違いし宿泊準備をして来たとの事。我々はSBさんのそそっかしさに、またかとあきれながら大笑い。
になった場所が八幡原史跡公園になり、その一角に博物館がある。芝生や池があり、子供連れで楽
しめそうな公園。
久野健氏の「渡来仏の旅」によると古くから関山神社の地主神として祠に安置されていたが火災にあい焼亡したので灰中より取り出された。頭部がやや一方に傾いているのも火災の際にこうなったのであろう。火中したためいたみは多いがその様式は極めて古風。天衣の形式などに夢殿・救世観音像に近いものがあり、両手も宝珠を執る形式であったと思われる。しかし、眉の表現、眼と口の造りは日本の7世紀後半の金銅仏と違い朝鮮からの渡来像の可能性が高いとの事。
同時に「狐にまつわる神々」展も開催されていて飯縄権現が「いいづな」ではなく「いづな」であることを知った。
長野駅から今度は若槻東条行のバスに乗り換えるが、事前にバス会社に電話し下車停留所と乗車停留所を調べておいたにも関わらず、なんとバスは善光寺大門停まりとアナウンスしている。天台宗の中日庭儀(ちゅうにちていぎ)大法要に重なったためか参道は非常に混雑している。
開催趣旨には「この展覧会は2009年「いのりのかたち一善光寺信仰展」の続編として主に銘文や像内納入品によって制作時期や来歴のわかる、平安時代後期から鎌倉時代の仏像に焦点を当てます。善光寺信仰の広がりを示す善光寺仏師妙海の仏像を始め、重要文化財を含む、普段は拝観出来ない県内各地の秘仏や善光寺ゆかりの宝物を一堂に会します」と記されている。
この仏像の展示が5/7までだったのが4/25訪問の決め手となった。MUさんがクラブツーリズムツアーで拝観した時はもっと照明が良かったらしい。展覧会のポスターには端正な横顔が写っていたが、正面からの拝観ではお顔の印象はかなり違う。しかし全身のバランスも良く地方仏師とはいえ素晴らしい力量だと感じられた。善光寺仏師妙海と名乗る仏師は長野県内に10体近くの仏像を残していると言う。2009年の展覧会では明科・光久寺の木造日光・月光菩薩立像と波田町の金剛力士像が出展されたとの事。
再び久野健氏の「渡来仏の旅」によるとするどい胴のくびれや両眉に鏨を弧線状に入れている
点などは朝鮮三国時代の遺像にしばしば見られる特徴。この像は朝鮮からの渡来像か大陸からの
渡来人により制作されたと推定される。この特色は関山神社菩薩立像とも共通するとの事。
また「失われた弥勒の手」という小説がある。ちひろ美術館の館長・松本猛氏が、この仏像の製作時期について従来の学説のように7世紀製造説ではなく6世紀前半と考えられた。しかし、研究論文として自説をまとめるにはあまりに資料が少ない。そこで友人と小説という形で発表することにしたという。観松院の半跏菩薩像の右手が失われている謎を追うストーリーとの事。いずれ読んでみたいと思った。
他にも松代・清水寺(せいすいじ)重文千手観音立像、覚音寺(がくおんじ)重文千手観音立像、重文多聞天立像、重文持国天立像、真光寺重文阿弥陀三尊像を始め、数々の県宝や長野県各市の指定文化財が展示されていた。
長楽寺 姨捨(おばすて)の長楽寺も善光寺御開帳に合わせ4/5~5/31まで御開帳される。長野駅から姨捨駅まで30分弱、駅から徒歩15分で車がなくても行きやすいお寺なのでこの機会に訪問することにする。秘仏のご本尊聖観音のお姿がはっきり写っている写真をネットで見付けることが出来ず、行くべきか行かざるべきか迷ったが、思い切って事前にジパング倶楽部で姨捨までの乗車券を購入した。
姨捨駅から長楽寺までの道は遮断機、警報機のない踏切を2ヶ所も渡り、急な階段や坂道を下りかなりの難路。どこまで下るのかと帰りの上りが気になる。
本堂前には回向柱が立ち聖観音菩薩の持つ蓮台と結ばれている。本堂ではすぐ間近でお厨子の中の聖観音様を拝観させて頂ける。詳しいことはわからないが鎌倉時代作と推定されるとの事。蓮台を両手で持ち、腰を落として足を少し踏み出しているお姿で、整ったお顔と衣の彫りが素晴らしい。お厨子の中なのでライトを付けさせて頂けたのがありがたい。カメラもOKとの事で、SBさんはライトを持つ我々にうるさく注文を付けながら携帯で写真を撮っていた。
入口近くで土産物を買いながら、駅に行く楽な道はないか伺うがないらしい。仕方なく階段を避け、回り道しながら駅へ向かうが、国の文化財名勝「姨捨(田毎の月)」に指定されている景色や桜の花を見ながらのんびり歩けた。この話には続きがあり、お寺で会った女性が後から駅に着き、バスがあったので乗って来たとの事。何でお寺の奥さんは教えてくれなかったのかと皆で憤慨する。途中の景色が良かったからいいかという結論になったが、駅からの眺望も素晴らしい。また姨捨伝説の彫ってある石碑もある。老母の年齢が60歳になっていたが、「60」はすべて後から修正してあるので、以前は何歳だったのか気になるところだ。
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【以下孤思庵 付加】
nano.shinmai.co.jp/recommend/event_detail?id=77
http://www.city.nagano.nagano.jp/museum/tokubetsu/images/1504-1505/zenkoji.jpg 仰のみち 善光寺・戸隠・飯縄・小菅・斑尾・妙高
<概要>
北信濃から上越にかけては、善光寺をはじめとして、戸隠山や妙高山を信仰対象とするなど、多様な信仰がありました。
本展示は、7年に一度の善光寺御開帳、新幹線の金沢延伸、そして上信越高原国立公園から戸隠・妙高が分離し、妙高戸隠連山国立公園となる、これらを記念しての開催となります。
新幹線の始発駅である関東を、善光寺信仰とからめて紹介します。また、長野から新幹線に沿って、信仰の山である、 戸隠・飯縄・小菅・斑尾・妙高について、信仰にかかわる文化財を展示します。
本展示は、7年に一度の善光寺御開帳、新幹線の金沢延伸、そして上信越高原国立公園から戸隠・妙高が分離し、妙高戸隠連山国立公園となる、これらを記念しての開催となります。
新幹線の始発駅である関東を、善光寺信仰とからめて紹介します。また、長野から新幹線に沿って、信仰の山である、 戸隠・飯縄・小菅・斑尾・妙高について、信仰にかかわる文化財を展示します。
<主な展示品>
長野県信濃美術館
善光寺御開帳記念
"いのり"のかたち-信濃の仏像と国宝土偶「仮面の女神」「縄文のビーナス」-
2015年4月 4日(土) - 2015年5月31日(日)
www.matsukawamura.com/historic_spot.html -
観松院 銅像菩薩半跏像(国重要文化財)
http://www.matsukawamura.com/img/historic_hankazou.jpg 7世紀前半(飛鳥時代)の作、朝鮮半島の新羅または百済から伝わったという、長野県下最古の金銅仏です。1982年、国の重要文化財に指定されました。
慈愛に満ちた優しい微笑みをたたえた表情は、まさにアルカイックスマイル。優雅な姿形を眺めているだけで心を和ませてくれます。
慈愛に満ちた優しい微笑みをたたえた表情は、まさにアルカイックスマイル。優雅な姿形を眺めているだけで心を和ませてくれます。
shinano33.com/hudasyo/page1.html
姨捨山 長楽寺
聖観世音菩薩 |
姨捨観音 |
天台宗 |
〒387-0023 千曲市八幡4984 |
参道口2ヶ所(大型可) |
026-273-3578 |
音に聞く 姨捨山を 来てみれば 月の都は ここにこそあれ |
不詳 |
「古今和歌集」には、幾人もの歌人が「さらしなの地」や「おばすて山」を月の名所として詠んだ歌が編まれている。縁起によれば、木花咲耶姫神の姉の大山姫は姿醜く心悪しき女神だったが、妹神の娘である姪の木の花姫から北の国の満月を見て歌に詠めば心が清まると教え諭され、はるばる当地を訪れた。折しも中秋の秋の夜で、大岩の上から満月を見て徳念が生じ、昇天した。叔母(=姨)姫が凡慮を捨てた岩ゆえ、以来この大岩を「姨石」 、この地を「姨捨」と呼ぶように」なったという。