孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

①東博 インド仏展 の参考に


 今度「仏像愛好のin東博」の企画で、特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」2015年3月17日(火) ~ 2015年5月17日(日)のグループ鑑賞会を企画してます。
どなた様も歓迎です。日程のご都合をお知らせください。追ってここに実施予定広報します。

グループ鑑賞会は18日の午後13:00 【藝大保存彫刻研究室の 研究報告発表展のグループ見学の後 】
表慶館 同展入り口の付近に集合下さい。

  ◎「インドの仏・仏教美術の源流展」 13:00~(東博表慶館入口集合)参加します。」Taさん




当日の説明準備に、過日 が師匠と同展を訪れ、いろいろ教わりました。 インド展 鑑賞の参考になればとその幾つかを此処にアトランダムに書きます。

まず「浮図」ってご存知ですか? 私は知りませんでした。それは百科事典マイペディアの解説に依りますと、浮図【ふと】:浮屠,仏図,蒲図とも記す。中国,後漢代~魏晋初期まで使用された仏の異字。サンスクリットブッダの音写とも,中央アジアでの音訛(おんか)フトの音写ともいう。鳩摩羅什(らじゅう)の入朝後,改められ仏となる。

と在ります。「ホトケ」という言葉の語源なのですね!


またgoo国語辞書には、ふと【浮×屠/浮図/▽仏図】.

1 《(梵)buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。

2 《(梵)buddha-stūpaから》仏塔。

3 仏寺。

4 僧侶。

と在りましおた 今日はその内の 2 の仏塔に付いてです。


仏塔は 卒塔婆その語源のスツーパとは知って居ました。 またパゴダとも言われますがWikipedia-パゴダでは、 (pagoda) とは仏塔(ストゥーパ)を意味する英語である。日本ではもっぱら、ミャンマー様式の仏塔のことを意味する。
日本の仏塔と同様、仏舎利(釈迦仏の遺骨等)または法舎利(仏舎利の代用としての経文)を安置するための施設である。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説では、狭義には東南アジアの仏塔または塔状仏堂。と在り、東南アジアのあの円錐形に近い塔状仏堂をさすらしい。



師匠から教わったのは仏塔にはスツーパとチャイティヤの大別が在るとの事です。

世界大百科事典 第2版の解説チャイティヤ【caitya】

古代インドで礼拝対象一般を指すサンスクリットパーリ語ではcetiya,漢訳は制多,制底,支提など。〈火葬のための積み上げられた薪〉を意味するという説もあるが,その原義は明らかでなく,礼拝対象,や礼拝対象をまつる場所(霊廟)もチャイティヤと呼んだ。また初期の仏教徒の主たる礼拝対象であるストゥーパを指すこともある。チャイティヤ堂caitya‐gṛhaとはストゥーパを本尊とする祠堂。

簡単には、釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚の仏舎利塔ストゥーパと本尊(仏像)を祀る祠堂(祠塔)とのチャイティヤに大別してます。

会場には多くの石像のレリーフのどの塔が在ります。そんな事も踏まえてご鑑賞しませんか。

また次に「インド仏展」鑑賞に関する記事を書きす。


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●頂きましたコメント
浮図は、仏塔とだけ知ってましたが、ところで、ストゥーバは、仏教専用語で、仏舎利の塔ですが、チャイティヤは、インド特有のお墓です。ヒンズー教でも同じです。出来たのは紀元後ですから、仏教とは直接には関係無いと思います。シルクロードの石窟寺院と同じです。
原始仏教では、ストゥーバ、初期大乗仏教で、仏像誕生後の2~3世紀に出来たと思います。
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2015/4/10(金) 午後 1:14[ ジョシン ]<<コメントに返信する

◆ご返事のコメント
> ジョシンさん
読んで頂きましてありがとうございました。

さて、「チャイティヤは、インド特有のお墓です。ヒンズー教でも同じです、出来たのは紀元後ですから、仏教とは直接には関係無いと思います。」とのコメント頂きましたが…、本文中に引用しました、 界大百科事典 第2版の解説チャイティヤ【caitya】 では、 「古代インドで礼拝対象一般を指すサンスクリット」とありますが、「出来たのは紀元後ですから」とおっしゃる。、ここ界大百科事典で言う古代インドは1世紀頃も指していると思いますので、そこに仏教も入ってないとは思いませんが、如何でしょうか?

続いて、「また初期の仏教徒の主たる礼拝対象であるストゥーパを指すこともある。」と在りますので、仏教でもチャイティヤは在ると思いますが如何でしょう?

続く仏教に関係ないとのおっしゃり方の内。「シルクロードの石窟寺院と同じです。」と在りますがシルクロードの石窟寺院は皆仏教寺院ではないでしょうか?


続くコメントのお言葉に「原始仏教では、ストゥーバ、初期大乗仏教で、仏像誕生後の2~3世紀に出来たと思います。」と在りますが…
スツーパは 紀元前3世紀頃の仏塔を紀元前後に増拡したもので、アショーカ王は紀元前3世紀に釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆ストゥーパ)を建立したそうで、そのうちの8つがサーンチーに建てられてまして、そのアショーカ王の造立したストゥーパのあるものは、アーンドラ朝になって、石材によってみごとに変貌する。紀元前3世紀頃の仏塔を紀元前後に増拡したもので、それがあの有名なサーンチーの塔の由緒です。

そして仏像の起源としてはまず仏像以前の釈尊信仰は舎利信仰は良く知られるところです。舎利信仰はそれを納めた仏舎利塔ストゥーパ)の信仰でもあります。上述のサーンチーの塔などです。

その仏舎利塔ストゥーパ)の装飾に 欄純の仏塔の周囲の塔門や欄楯に仏伝(釈迦八相など)をテーマにしたレリーフ(浮き彫り)が施されました。 そのレリーフ仏陀は肉体表現をしないで菩提樹や法輪・宝座・仏足石などで、仏陀をシンボルとして表してました。 それが次第に直接の仏陀像にあらわされる様になり、やがてその主役である仏だけを独立させ、礼拝供養のための像としたものであるという説がある。その時期として紀元120~130年ころと推定されています。(マーシャル卿・高田修博士 説)

またそれに対して、仏像はガンダーラの象徴的美術伝統の中から生まれてきたのであって、紀元後1世紀頃の単独の仏像が出現してから仏伝図浮彫は制作されるようになったという説もあります。(田辺勝美氏 説)

何れにしましても、スツーパは紀元前3世紀~紀元前後  仏像は紀元後1世紀頃の出現が定説の様です。

そうしますと、コメントの最後のお言葉の「原始仏教では、ストゥーバ、初期大乗仏教で、仏像誕生後の2~3世紀に出来たと思います。」には疑問を持ちました。


何か当方の読み違い、受け取りに誤解が在りましたなら、暴言をお許しください。