孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

①勉強会「阿弥陀如来像の日本における変遷」配布資料草稿

 日本における常行 三昧堂については、851年(仁寿元年)円仁比叡山に建立したものが始まりとされる。


仏像好きが、東京国立博博物館に集い、仏像鑑賞と、仏像の勉強会をします。どなた様もお気軽に参集ください。4月4日(土) 東京国立博物館 本館11室 前 AM10:00 集合

その内の勉強会 の《図像学 的 「阿弥陀如来像の日本における変遷」 》の配布資料草稿です。

★尚、浄土信仰の変遷は  浄土教 - Wikipediaが適当に纏められたものと思います、ご参照をお勧めします.。此処では、それの実証をと思い、その仏像達の形を検証してみたいと思いました。 印相の違いを主なテーマに観て行きたいと思います。



図像学 的 「阿弥陀如来像の日本における変遷」 》



【7世紀後半~8世紀初頭の飛鳥時代後期(白鳳期)】 法隆寺宝物館  「48体仏」 阿弥陀三尊像(144号) 「山田殿像」の銘
(脇侍冠標識により阿弥陀三尊と確定できる。)

★下のアンダーラインの付いて居るアルファベット文は、 左クリックして頂きますと 画像がご覧頂けます! 
その他の箇所でも 同様にお願いします。

施無畏与願印 与願印は親指と人差し指で輪を 作っている様にも


CF 【7世紀後半~8世紀初頭の飛鳥時代後期(白鳳期)】 法隆寺宝物館  「48体仏」 一光三尊像(143号)
(脇侍冠に標識無しで、尊名が不確できない おそらく釈迦三尊でしょう)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/JulienpaulA.jpg/270px-JulienpaulA.jpg
施無畏 与願印(刀印)
 
右ては与願印、左手は下げて人差し指と中指を伸ばし他の指は曲げるという刀印です。(これは法隆寺金堂の 釈迦三尊像に代表される、飛鳥・白鳳時代頃の仏像に特徴的な印相で、飛鳥印とも言われます)




【飛鳥時代7世紀】法隆寺宝物館  押出阿弥陀三尊及僧形像 &  (参考)押出観音菩薩立像  N-198

説法印を結んでいます。                              【参考】 押出 観音菩薩立像



【7世紀 末頃】 法隆寺 金堂壁画 6号壁 阿弥陀浄土図

中尊 説法印を結んで、結跏趺坐で衣を通肩に纏う



【7世紀末~8世紀初】  法隆寺阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/f0/6f52f869160e92f8c5f0f5390bd6c270.jpg                          施無畏 与願印(刀印に近い)





【8世紀】 当麻曼荼羅

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浄土変相図  主尊阿弥陀如来は阿弥陀説法印




【806年】≪両界曼荼羅≫ は我が国には 806年に帰国した空海が請来




中大八葉院
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胎蔵界曼荼羅の中心 中大八葉院  最下部(西)に無量寿如来(通肩の阿弥陀如来) 
その印相は阿弥陀定印







成身会:中央大日如来 の上(西)に無量寿如来部分 中央が無量寿如来(阿弥陀定印) 周囲の菩薩は四菩薩




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天台系では、阿弥陀如来の脇侍として金剛法、金剛利、金剛因、金剛語の四菩薩を安置することがある。




851年】円仁が比叡山(東塔虚空蔵尾)に建立したものが常行三昧堂の始まりとされる。
檜皮葺き(ひわだぶき)方5間の建物で金色の阿弥陀座像および四摂菩醍像各1体を安置,四方の壁に九品浄土を図絵した。
奥州平泉の中尊寺金色堂,は平安朝の常行三昧堂が原型でしたが後に変容している。
叡山西塔に現存のものは(法華三昧)の法華堂と廊でつながれ,担い堂(にないどう)と呼ばれ,1595年(文禄4)の建築





【8世紀後半】 西大寺 (木心乾漆造)阿弥陀如来像 塔本四仏

  釈迦如来   阿弥陀如来  宝生如来   阿閦如来


http://www.geocities.jp/hugegrass/hotoke-19.jpg   http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/880/67/N000/000/003/138883373429391975228.jpg
阿弥陀施無畏与願印(来迎印)







【8世紀後半】法隆寺伝法堂(東の間・中の間・西の間) (乾漆)阿弥陀三尊 


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中の間の中尊は印相未確認 〔九品来迎印中の下品中生印(岩波六大寺大観法隆寺3)です。コメントをMさんより頂きました〕 東の間と西の間の 東の間・西の間 の中尊は阿弥陀説法印 
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東の間の三尊のみ木心乾漆造(他は脱活乾漆)

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東の間の 中尊 阿弥陀坐像 (説法印)







【840年】 広隆寺 阿弥陀如来坐像 (一木造り)

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阿弥陀説法印




【851年】 日本における常行三昧堂については、851年(仁寿元年)円仁が比叡山に建立したものが始まりとされる。(本尊は宝冠阿弥陀(定印)か?)




【867以前】 安祥寺 木造阿弥陀如来坐像(金剛界の五仏の内)


五智如来(金剛界の五仏)の内の阿弥陀如来として、通肩で阿弥陀【定印】 







【888年】 仁和寺 阿弥陀三尊クリックすると新しいウィンドウで開きます
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      中尊 阿弥陀は定印





【896年】 清凉寺(棲霞寺) 阿弥陀三尊 一木造り

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                                             中尊 阿弥陀は定印




【10世紀】 

良源(912年 - 985年)が、『極楽浄土九品往生義』を著す。また比叡山横川(よかわ)の整備をする。
こうして平安時代初期には、阿弥陀仏を事観の対象とした「観相念仏」が伝わる。まず下級貴族に受け容れられた。当時の貴族社会は藤原氏が主要な地位を独占していて、他の氏族の者はごくわずかな出世の機会を待つのみで、この待機生活が仏身・仏国土を憧憬の念を持って想い敬う「観相念仏」の情感に適合していたものと考えられる。

平安時代中期には 浄土思想は主に京都の貴族の信仰であった。





【946年】岩船寺 阿弥陀如来坐像(一木造)

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阿弥陀定印







【1047年頃】 浄瑠璃寺 9体阿弥陀像

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中尊 施無畏与願印(来迎印)  他は 阿弥陀定印

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  中尊 施無畏与願印(阿弥陀来迎印)             脇如来 阿弥陀定印
  






【1053年】 平等院 鳳凰堂 本尊阿弥陀如来坐像 寄木造

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阿弥陀定印



【1094年】即成院 阿弥陀如来坐像及び二十五菩薩坐像

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中尊 阿弥陀定印





【11世紀末】法界寺 阿弥陀坐像

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阿弥陀定印



【1130年(院覚の作)】 寄木造り 法金剛院 阿弥陀如来坐像

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阿弥陀定印



【1139年】  安楽寿院 阿弥陀如来坐像
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阿弥陀定印




【1148年】 三千院 阿弥陀三尊像

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迎印




【1124年~】 中尊寺金色堂 阿弥陀坐像
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阿弥陀定印







【1151年】 長岳寺 阿弥陀三尊像クリックすると新しいウィンドウで開きます

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阿弥陀定印