孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

4月4日【勉強会】 13:30~17;00 内容

4月4日に仏像好きが、東京国立博博物館に集い、仏像鑑賞と、仏像の勉強会をします。(前回3月度は10名の参集でした。)
その全プログラムは これの前の日記 「4月4日仏像好きが、東京国立博博物館に集い、仏像鑑賞と、仏像の勉強会」に在りますので、それをご参照願います。

此処ではその内の【勉強会】 13:30~17;00   について、その後 現在までに寄せられた発表内容を報告します。



①13:30~14:30 

★【発表希望者 継続募集中】

何時も聞くばかりでなしに、貴方も発表をしてください!

(発表の内容事項を事前にお寄せ頂ければ、次回の広報に載せます。)


《 応募が無かった場合下記の腹案にしたいと思います。》

1)13:30~14:00
この「集」をどの様にしたいか?何をやりたいか?個人発表への希望 などを --- ディスカッションしましょう。

皆さんの忌憚ない ご意見を用意、発言して下さい!


2)14:00~14:30
日頃の仏像に対しての疑問、質問を出してください!
(宜しければ事前に、質問を考えておいて下さい。)
皆で応えを出して行きたいと思います。


②14:30~14:55
個人勉強発表 A  【by 孤思庵】

図像学 的 「阿弥陀如来像の日本における変遷」
 
…前回薬師如来を考察、病気平癒ばかしでなしに 現世利益・護国・悔過・変成男子の仏と考察しましおた。今回は阿弥陀如来の我が国における信仰の変遷を考察してみたいと思います。

・美術通史 的 「飛鳥時代 Ⅱ  中宮寺 半跏思唯・広隆寺 弥勒法隆寺 百済観音・法輪寺 薬師

…ご希望により、以前に止利系の 飛鳥大仏・法隆寺 金堂釈迦三尊・救世観音・金堂四天王 をやりましたので その続きで、 その後の飛鳥仏像を考察してみようと思います。(美術史は不得手ですので、 皆さんアシストして下さい。事前に今回の取り上げの仏像を上部に明示しましたので、予習してみては如何でしょうか?)


 
③15:00~16:00 
個人勉強発表 B  【by Taさん】

★まだご本人から、正式に承諾は受けてませんが、以前に要請させて頂きました。この場で Taさんに是非に発表を お願いします。
 
(発表の内容事項を事前にお寄せ頂ければ、次回の広報に載せます。)


④16:00~17:00 
個人勉強発表 C   【by Mさん】 

「運慶作品の銘文についてⅢ―興福寺北円堂諸像及び新発見の仏師運覚作地蔵菩薩の造像銘」


この件については3月19日付け日記の「Mさんから、仏像関係情報のお知らせ その2」に書いた通りですが、
私は次回集いの定例会で仏師康助周辺の話を、そしてその次(5月初め)で運慶仏像の銘文の3回目として「東大寺南大門、興福寺北円堂弥勒仏無著世親、光明院大威徳明王」の銘文の話をしようと思っていましたが、今回運覚の作品が発見されたことで、興福寺北円堂諸像の説明を先にやった方が4月末の新指定重文特別陳列の見学に役立つと考え、北円堂諸像と仏師運覚の話を44日にやることにします。(これはサントリー美術館高野山展の直前に快慶作執金剛神・深沙大将・四天王の銘文の説明を行った時と同じ考えからです。)
 
その文章の中で「大妙相仏師 康運」と書きました。これは岩波の六大寺大観解説(倉田文作執筆)から取ったものですが、日本彫刻史基礎資料集成造像銘記編鎌倉時代第1期では「大妙相頭仏師 法眼康運か」とある一方で、「大妙相の担当者は不明」と書かれています(田辺三郎助、山本勉執筆)。運慶の次男康運は四天王の一体(南方、増長天)を担当していますが、大妙相も担当したとなると6人兄弟のうち康運だけが2体を担当したことになり、私もこれは何故なのかと思っていました。また運覚については、高山寺縁起によると「円慶改名運覚」とあり、円慶は寿永の運慶願経に名前が載っているので、以前修善寺大日如来の作者実慶について、運慶願経に名前が載っていることから年令推定をしましたが、運覚についても同様のことが可能ではないかと考えています。次回の集いではこれらのことについても話したいと思います。