孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

如来像の衣が金色の理由… 大般涅槃経より



金色の仏像、その肉身のそれは、如来の三十二相、その14. 金色相身体手足全て黄金色に輝いている。に依る事は誰もが知るところですが、身体に着ける衣までが金色なのは何故と思いました。(また仏像によっては肉身と衣を金箔と金泥とで 塗り分けた像もあります)。

それと近年に、大津・新知恩院で胸に水晶を貼ったミニ涅槃像が発見されました。玉眼は勿論、唇に水晶を貼る東京国立博物館蔵 菩薩立像(善円的作風)までは分かりますが、何故に胸に水晶を貼ったのかと思って居ました。


涅槃経関係のブログを読んでいて、先の二つの疑問の鍵を見つけました。。

まず「大般涅槃経」は上座部経典長部に属する、釈尊の晩年から入滅,さらに入滅後の舎利の分配などが詳しく書かれている経典なのでしょうが、大般 涅槃経と読みまして、?大般て何との奇問が湧きました。調べてみましたら、大・般涅槃・経と区切られるそうで、般涅槃とは「涅槃に入る」の意だそうです。  その終の頃の一部の訳文をご紹介します。

★以下文章はseijyaku.fc2web.com/nehan.html からの抜粋と一部改変に依るものです。文中に出ます【 】は自分の思い当たった言葉です。



仏陀たちは、鍛冶工の子チュンダのマンゴー林に留まる。
チュンダが供養に食事の提供する。

仏陀の曰く、「チュンダよ、汝の用意した茸は、私に供養しなさい。そして残りの柔らかい食べ物、かたい食べ物を修行僧達に供養しなさい。」
「チュンダよ、残った茸はすべて穴に埋めなさい。この茸を消化できる人は、如来以外に、天人の世界にも人間の世界にもいない。」

供養した『茸』は、原語では「スーカラ・マッダヴァ』、漢訳では「栴檀樹耳(せんだんじゅに)』と訳。それを柔らかい豚の干し肉だと言う解釈もある。

ともかくに、仏陀がそれを召し上がって食あたり(血が出たと言いますから、赤痢か?)になられた。
激しい苦痛が起こりましたが、仏陀は正しい思惟によって、苦しみにとらわれないで、苦しみを克服して住しておられました。

そして、仏陀は阿難に言われた。 「さぁ阿難よ、クシナーラへ行こう。」 「かしこまりました。」と阿難は答えました。

仏陀は激しい病気にかかりながらも、クシナガラへの道を歩んでゆかれました。
まだクシナガラに到着される前でした、仏陀は病をおして、パーヴァーからクシナガラへの道を歩いておられました。
やがてお疲れになったので、一樹の下で休まれることになりました。

そして阿難に言われました。「阿難よ、私のために上衣を四重にして敷きなさい。私は疲れた。私は座ろう。」
できた床に仏陀は座して、阿難にこう言われました。
「水が飲みたいから、水を持ってきなさい。」
しかし近くの小川は、丁度五百もの車が通りすぎた後だったので、車輪にかき乱されて水が濁っていました。
そこで阿難は「もう少し行くとカクッター河があります。そこは水が澄んでいて快く、冷ややかで清らかです。そこで水を飲まれ、体をお冷やしになって下さい。」と申し上げました。
しかし仏陀は「水を持って来なさい。」と再度言われました。
それを聞いて阿難は再度「水が濁っています、カクッター河まで辛抱なさいませ。」と申し上げました。
しかし三度、仏陀は「水を持って来るように。」と言われたので、阿難は鉢を持って小川に行きました。

そしたら不思議な事に、小川の水は綺麗に澄んで流れていました。
阿難は、これは仏陀の神通力によるものであると考え、仏陀の神通力に感嘆しました。
そして鉢に水を汲み、仏陀に差し上げました。

そんな頃に、マッラー人でプックサと言う商人がおりました。彼は目前に仏陀が心静かに座している姿に深く帰依し信者になりました。
彼は、柔らかい金色に輝く絹を二枚取り寄せ、仏陀と阿難とに一枚づつ差し上げました。
阿難が仏陀にその美しい絹の衣をお着せしました。
しかしその金色に輝く美しい衣も、仏陀の体に着けますと美しい輝きを失って見えました。

阿難はそれを見て仏陀に申し上げました。 「尊い師、如来の皮膚の色は、清く麗しく輝いています。この柔らかい金色に輝く衣も、尊い師のお体にお着せすると、その衣は輝きを失って見えます。」

仏陀は申されました。
「阿難よ、そのとおりである。 阿難よ、二度、如来の皮膚の色はきわめて清く、麗しく輝く。
その二度とは、如来が無上の仏陀の悟りを得た(無余依涅槃界)夜と、無余依涅槃界に入る夜とである。
この二つの時間に、如来の皮膚の色はきわめて清らかに、美しくなるのである。
阿難よ、今夜の夜の終わる最後に、クシナガラのウパヴァッタナにあるマッラー族の林の沙羅双樹の間で、如来は般涅槃に入るであろう。
さぁ阿難よ、河へ行こう。」  【入滅予言】

阿難は「かしこまりました。」と仏陀に同意しました。

を、プックサの奉じた金色に輝く衣、それを身に着けられた師は、金色に輝いた。   
【仏像の仏身のみならず、袈裟までも金色にあらわされる訳】

そこで仏陀は修行僧の集団とともに、カクッター河へ行きました。
そして水に浸り、水浴をし、水を飲み、対岸に渡ってマンゴーの林へ行きました。 「さぁチュンダカよ、私の為に上衣を四重に敷きなさい。私は疲れた。私は横臥しょう。」
とチュンダと名づける修行僧に言われた。
私が臥すために、衣を四つに折って敷け、と。
かのチュンダは世尊に促されて、速やかに衣を四重に敷いた。
非常に疲れた様子にて、教主は臥されて、チュンダは、そこに面前に座した。
このチュンダカ長老と、先出の鍛冶工のチュンダと同じ人か別の人かは、ハッキリしませんが、おそらく別人であろうと思われます。
そこで仏陀は獅子臥の臥法で臥せ、右足の上に左足を重ね、再び起きる事を考慮して、正しい思慮と正しい自覚をもって臥していました。    【涅槃臥像の意味】

無余涅槃に際した この時に仏陀は阿難に言いました。

「阿難よ、何びとかが 鍛冶工のチュンダに、後悔の念を起こさせるかもしれない。・・・・」「阿難よ、鍛冶工のチュンダの後悔の念は、次のように排除されるべきである。・・・」


そしてその後、阿難はチュンダに言った。「友よ、チュンダよ、如来は汝の差し上げた最後の供養の食べ物をおあがりになって、般涅槃に入られたのであるから、汝には利益があり、大なる功徳がある。・・・」と続けて 「友よ、チュンダよ。 このことを、私は如来より面前で聞き、面前で受けた。
『この二つの供養の食べ物は、等しい功徳があり、等しい果報がある。』
その二つと言うのは何であるか。
一つは、その供養の食べ物を食した如来が、無上の仏の悟りを得られた(有余依涅槃)ときの、の食べ物である。 【スジャータ】
第二は、その供養の食べ物を食した如来が、無余依涅槃界に入られる時の供養の食である。 【チュンダ】
この二つの供養の食物は、等しい功徳があり、等しい果報がある。 他の供養の食べ物より優れており、より大なる利益がある。」と・・・

仏陀曰く、「与える者には功徳が増す。 心を制御する者には怨みはつもらない。しかして善人は悪を捨て、むさぼりと怒りと迷妄とを滅して、涅槃せり。」


「阿難よ、何びとかが鍛冶工チュンダに、「如来は汝の差し上げた最後の供養の食べ物をおあがりになって、般涅槃に入られたのであるから、汝には利益はなく、汝には功徳がない。』と言って後悔の念を起こさせるかもしれない。

しかし阿難よ、鍛冶工チュンダの後悔の念は、次のように排除されるべきである。・・・・

後に、阿難が工チュンダに『友よ、如来は汝の差し上げた最後の供養の食べ物をおあがりになって、般涅槃されたのであるから、汝には利益があり、大なる功徳がある。
友よ、チュンダよ。 このことを、私は如来より面前で聞き、面前で受けた。」

「この二つの供養の食べ物は、等しい功徳があり、等しい果報がある。
他の供養の食べ物よりも優れており、より大なる果報があり、より大なる利益がある。
その二つと言うのは何であるか。
一つは、その供養の食べ物を食した如来が、無上の仏の悟りを得られたときの、その供養の食べ物である。
第二は、その供養の食べ物を食した如来が、無余依涅槃界に入られる時の、その供養の食である。
この二つの供養の食物は、等しい功徳があり、等しい果報がある。
他の供養の食べ物より優れており、より大なる利益がある。

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