孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

みちのくの仏像展の講演会 by丸山氏&瞋目

次回の【仏像愛好の集】は7日です。どちら様もお気軽にご参集ください!詳細はこの前の日記に在ります。


特別展「みちのくの仏像」の並列講演会「みちのくの仏像」が1月24日(土)に東京文化財研究所セミナー室で開かれました。

講師は同展の担当学芸員東博平常展調整室長の丸山士郎氏でした、受講したくて、何通も応募しましたが、皆抽選外れ、仏像中も当選は皆無で、よほどの応募数でしたのでしょう!

同じ演題で同じ講師の講演会が在りました、中央区文化国際交流振興協会「みちのく仏像」関連講演会 1月16日(金)於いて
月島社会教育会館 ホールでした。途中から中央区民の枠が取り払われまして、我が仲間10名近くが受講しました。

区民対象でレベルを落としたのでしょうか、陳列仏像のただありきたりの解説で、傾聴に値するものが無く、その講演を褒める言葉は聞けませんでした。それで、ついついそのグループ講演受講会の報告ブログ日記は書き忘れるほどでした。

あえて仲間に聞けば、仏像趣味人の応募と云うより中公区民への講演会であるので、対機説法的に 易しくしたのではとの意見でした。

その後の1月24日に東博主催の「みちのく仏像」関連講演会が在りましたが、当選倍率がえらく高そうで、どうも周りに当選受講者は居ないようでして、感想は聞けませんでした。

それで「みちのく仏像」関連講演会に関したウエブが出たら、1月24日のメイン講演会の内容を知ろうと期待していたのですが・・・
検索すれど、各所での講演会開催のお知らせ的ばかりで、受講してからの感想は一つしかヒットせずで、それも評価する感想のウエブは在りませんでした。

ですので、特別展「みちのくの仏像」(土)に東京文化財研究所セミナー室で開かれました講演会「みちのくの仏像」は、1月16日(金)の 月島社会教育会館 ホールでのそれと同様か、それでなくとも、好評を得るものでは無かったのでしようか?

そんなで、特別展「みちのくの仏像」を鑑賞の後にも、図録を買うつもりは起きなかったのですが、逆説的な東博平常展調整室長への興味で、図録を買いました。

そこには「みちのくの仏像と東北における仏像表現の受容」の論説が冒頭に掲載されてまして、そこには仏像の東北における受容の特色が述べられ、そこそこに読みごたえは在りました。

奈良から来た僧 徳一とその影響下の勝常寺の薬師三尊像と鉈彫り像はお定まりの如くですが、丸山氏は四天王の(眼頭にも縦に縁が在って、眼頭の角が二つある眼)の時代的な普及の経緯に注目してます。 四天王の眼に瞋目での統一は意外と少なく、横の眼頭の角が一つしか無い像との混在に注目して、瞋目の普及が混在を経緯して、全て瞋目になってゆき、平安末には四天王の眼の殆どは瞋目になるとの事を、指摘により今回初めて認識しました。

その事は東北での中央の流行が遅れて地方に伝播の実例に帰結させているのですが、その事よりも、今まで気付かずに来た着甲像の瞋目の進化に納得と関心でした。

これだけの関心をさすのですから、講演会では一つ二つの傾聴に値の内容が散らされて居たならとの感想に変わってきました。

瞋目に注目は興味をひかれましたが、ころが瞋目問題の四天王は図録で振り返っても、本展に於いては双林寺の二天王像のみと希薄なので、なぜ冒頭の論説にて取り上げるのか?なのです。

双林寺の二天王像は瞋目で無いです。9世紀の作ですから瞋目は在った時代で、この像が瞋目で無いのは東北の仏像が当世としては遅れていると言いたいのでしょうが、論説を読んでも瞋目とそうでない目は混在する時代も続きで、9世紀も後半に瞋目が主流の論説で、それはそれで為に成りますが、9世紀の双林寺の二天王像は瞋目で無いのは遅すぎると規定できないと思います。それは地方の仏像の流行は遅れると云う常識の上での事で新発見とは云えないのでは無いでしょうか?

分かりづらい文章に成りましたが、自分では瞋目の流行に留意して着甲像を観て行きたく思う様に成りました。


   双林寺 持国天の眼は瞋目で無い             比較参考の為の瞋目