孤思庵の仏像ブログ

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1月24日(土)の特別展「みちのくの仏像」グループ鑑賞会 【報告】

★くどい性格ですので 何度も修正してます、書き直した分は紺とに着色しておきます。
コメントを頂いております、どうぞコメントも開きお読み下さい。多くの仲間にも コメントを頂き 今後の指針としたく思います。
 
そして特別展「みちのくの仏像」グループ鑑賞会と アフターの学会例会について 皆様も 感想などのコメントを付け下さい、お待ちしてます。 m(__)m
 
1月24日(土)特別展「みちのくの仏像」をグループ鑑賞会 を行いました。

特別展「みちのくの仏像」を以下「みちのく展」と省略します。

参加は女性4名男性5名(途中から1名追加)の9名の参集でした。「みちのく展」は開会してまだ間が無いので、さほどの混雑は無く良く観れた方と思います。

この日記では「みちのく展」の陳列作品の感想や解説には触れずに、後日の日記に譲り、経緯の報告をしたいと思います。そう当日のグループ鑑賞のメンバーは碩学が多いので、皆さんにも寄稿お願いします。


展覧会会場での我々は、鑑賞しながら 説明解説に走る方、其の聞き手に成る方と独自に一人で鑑賞された方と三様でした。

マナーとしては静粛に鑑賞なのでしょう。そこで、感想や見所紹介は午後に会場外でそれをするプログラムなのですが・・・仏像を目の前にすると静粛には、難く、喋ってしまいます。つい夢中に成ると声が大きくなり、会場係員に静止を受けたりです。

しかし功罪相償いまいまして、 良い事も在りました。私達の会話は普通観衆のそれよりは、程度が高いと自負します。そんな話が聞こえてか話しかけてこられた御仁が居ました。以下その方を「飛び入りさん」と呼ばせて頂きます。

言葉を交わす内に意気投合で、そして 「飛び入りさん」も一緒に廻るようになりました。

2時間経過で昼時に成り鑑賞を切り上げて一同会場を後にしました。 弁当の持参連絡不徹底で、弁当の無い方は食事に行かれ弁当持参者は 平成館工事中でその代替えに設けられた東洋館のエントランスラウンジにて食事とミーテイングを始めるうちに、M氏が、午後2時からは近所の 学会例会の仏像研究発表を聞きに行くと紹介され、半数弱が同行希望と成り、予定してました「みちのく展」の見どころ紹介や解説。観想のミーテイングは順延と成りました。


飛び入りさんは、午後の東京文化財研究所セミナー室での「みちのく展」の講演会の抽選に落選でしたが、空席補欠を狙ってそちらに行く予定でしたを急きょ変更、Mさん紹介の「学会例会」の方に行かれる事に成りました。

流石のMさんも、この学会例会には敷居が高く、事前に学会に問合せ聴衆可と承諾を取られたようでしたが、いざ行ってみますと・・・何も問われず、無料で資料もくれました、某大学研究室に寄付金納入者に配られ、以前より垂涎でしたカラー163ページの年報さえも頂けました。

そして入室しました。 図々しくも、私は前の方に陣取りましたので、後部は良くはつかめていないのですが、50~60名の聴衆ではなかったかと思います。

今回の発表は会場大学の大学院生の仏像摸刻を通しての研究発表が2題でした、それは同大学院の年行事の研究発表会用のリメイクでした。この大学院の研究発表会にはもう数年前より恒例として、私達「集の会」でもグループ聴取を続けてます。

そんなで、馴染ある研究発表でしたが、今回は聴衆が違ってました。


後で調べましたら・・・当学会は、会員の構成は、大学教員、美術館・博物館学芸員、大学院生がほぼ三分の一ずつの割合を占めていて、委員会は美術館・博物館に所属する常任委員は少なく、大多数を大学教員が占めているそうです。「ウヘーッ先生がたの?!」学会に潜入でした。


当日の学会例会の参加者には、水野敬三郎氏(東京藝大名誉教授)、藪籔内 佐斗司氏(東京藝大教授)、山本 勉氏(清泉女子大学文学部教授)、先の「四国霊場開創1200年記念 祈りの道へ-四国遍路と土佐のほとけ-」展の講演で見知った青木 淳氏(多摩美大 准教授)などの・・・私でさえ知る顔も何人かいました。

M氏によると、 伊東 史朗(和歌山県立博物館館長・京都国立博物館名誉館員)も著名学者として知られているとの事でした。

まだまだ学の重鎮的な先生も居るようでしたが、私などは、研究者・学者は講演会での講師の顔を覚える程度ですので、知る由も無しです。

研究発表後の質疑応答の質問者は所属を求められ、それによると色々な大学名 有で、専門の先生が来ている事が分かります。中には仏師か彫刻家の様な質問者もありでしたが、そんな質問者の一人には所属を問われて、一般人と答える人もいて、その人の質問は研究発表に出ました玉眼製作、其れに関し、玉眼の製作は、仏師がしたのか?との見解を求めるものでした。

私も玉眼は専門的作業で、玉眼を他の者がした事の分かる墨跡が残るが在ったとの事は聴いた事があります。

この質問の方に 後でMさんがお話をして 面白い事の発見に繋がるのですが・・・、此処ではこれまでに留め、話を進めます。

研究発表内容も、ここでは触れずに、後の日記にしたく思います。「みちのく展」同様に、一緒に聴取された硯学の諸兄に寄稿お願いします。

学会例会のアトラクションとして、会場大学のアトリエにて、同大学の講師が、一木仏像の割り剥ぎと内刳り、それに割り首の実演をしてくれました。 聴衆は学者でも実技に携わるは別で、大御所たちも含め興奮気味に見ていました。
 
 
   
 
  一緒に見学した友人が その時の写真を早々に添付ファイルで送ってくれました。 喜んで此処に添付したのですが、私のPC知識が貧弱で、此処に添付掲載した分が残念ながら 他から見ますと其の写真は消えているとの事です。後日に娘に応援してもらい再掲載するつもりですが・・・、Mさん、添付ファイルの形でなしに直接メール分章にコピー貼り付けできるようでしたなら、送信お願いします。

私も大体の知識は持ってましたが実際を見るのは初めてでして、割り首の 鑿の当て方は大変に参考に成りました。 ただ鑿で切り離すとの概念を持ってましたが、実際での説明に、鑿で切られたほんの少しが首の落ち込みのストッパーに成り、その下は切っているのではなく、鑿を討つ圧と衝撃で、木を割り剥いでますので、上へ取り外せるのだと、今回ようやく理解が出来ました。 
つまり檜の剥ぎやすい特性で剥ぎ取っているのでして、決して刃で切り離しているのではないのです、この事で割り首はヒノキ材のみで可能とわかりました。解説の教授の説明では、ヒノキは剥ぎ易いが,カヤ材は剥ぎやすくないとの事です。まして広葉樹では不可能だそうです。

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ついでに実演の講師に申し出てカヤ材の切れ端を手に取らせてもらい、その香りを初めて経験できました。ヒノキと相異で思うほどには香らず、わずかに甘く感じる様でした。 今ではカヤ材は貴重材との事、端切れを返してしまった後で、持ち帰りをおねだりすれば良かったと後で悔まれました。

こうして見ますと座学の知識に加え、仏像彫刻の実践にも大興味です。是非に彫刻をされて居る方にも、私達の「集」のメンバーに欲しいものです。実際の作像・彫刻される方にも美術史や歴史・宗教のコミニュケーションは、参考に成り、有意義と思います。仏像彫刻実践の方も参集して頂ければ幸せなのですが・・・・

アトリエにて、続いて幾つかの研究説明の最後には、東博と東京藝大に別れて所蔵されている日光・月光の両乾漆像を復原した大学院生の説明の時に・・・お歴々の聴衆ならではのハプニンが起こりました。

両脇侍像は、現在も中尊の残っている高山寺から明治時代に流出しまして、現在の所蔵に至るわけですが、此の摸刻製作者は、月光像の欠失の腕の形を日光像に求、それをシンメトリーにて製作しました。

ところが、そうして復原された月光像の腕の実物(どの様な残欠が知りませんが)は その高山寺に残っているとの発言が、現場で出ました。近年に 先述の伊東 史朗氏(和歌山県立博物館館長・京都国立博物館名誉館員)の労で、何と!東京藝大美術館の所蔵になっている事を知る先生が居たのです。その場に同席されて居た伊東 史朗氏も、そう問われて お認めになっていました。

何と摸刻製作者は、摸刻に際して色々準備・調査に努力ををしたはずですのに…月光像の欠失の腕の存在を今まで知らなかった事がこの場で判明し、摸刻製作者の驚きは大変なものでした。

この摸刻が2013~14年の製作研究でそれから時が立っていますし、また特別賞を取っているのですが・・・、今 此の判明の事実に驚きです。

もしも、その腕の残欠で、想像でシンメトリにした事が覆る結果が出たらならは、当然にその腕は作り直しになるのでしょう!えらい事の現場に立ち会えたものです。と云う風にとても有意義の見学でした。

【後日、2015/1/30(金)に、この件にコメントを付けました】
本文中の 東博と東京藝大に別れて所蔵されている高山寺旧蔵の両脇侍像の両乾漆像を復原した大学院生研究発表の部分に反省です。

月光像の欠失の腕の形を日光像に求、それをシンメトリー(左右対称)にて想定製作しまし事を安易的との批判的な文を書きましたが、今 考えますにそれが一番の可能性の想定に違いないと反省します。

清凉寺・長岳寺の阿弥陀三尊像 興福寺釈迦三尊像 などの坐像脇侍を思いだして、シンメトリ(左右対称)でないものもあると考えてしまいましたが、法隆寺金堂 釈迦三尊以前の古仏像は別として、その後の橘夫人念持仏三尊からの三尊像に於いてはシンメトリが殆どです。今度何時かに、三尊像の脇侍の腕のシンメトリー性を検証したいです。かえって鎌倉に入る頃から、左右否対称の像が出てきているようにも思えます。しかし日光・月光では その一対性が強いので相似対称性は強そうです。

尚、脇侍の対称の興味は坐像の場合の趺坐に及びます。半跏踏下坐の場合は対称が多い様ですが、いづれ結跏趺坐の脇侍を見つけ 検証したいものです。(清凉寺 阿弥陀三尊像の如く 本尊の吉祥坐・降魔坐に準じるのが普通でしょうが…、過去に遊戯坐でしたが、吉祥坐・降魔坐的のシンメトリー性を持つ例も見た記憶が在ります。
結跏趺坐や半跏趺坐の脇侍は少ないですが、何時か検証できたらと思います。

この件の傾向性をご存知の方はお教えください!
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 紹介してくれたMさんに大感謝です! 残念ながら先に帰ってしまわれた方には、この日記を読まれたら、さぞ後悔される事でしょうネ!(「馬には乗ってみよ、人には添う てみよ」との故事の意味とは、少しお違うかもですが、誘いについてきて今回はラッキーでした)

周りが研究者ばかりで、研究発表時の質問の際にはには所属を言わねばならずで、物怖じで沈黙でしたが アトラクションでの実演の際やアトリエでの説明の際には、私達もまぎれ質問をしていました。

そう言えば前段の研究発表 の質疑応答の時に所属は無い一般人として「玉眼の製作は、彫仏師がしたのか?」との見解を求めた方が居ると前述してますが、その方は女性でして、その勇気に驚きました。

私も玉眼仏師の事を思いました、美術史の雄 Mさんが昨年の三月にか醍醐三宝院の快慶作不動明王東京芸大の快慶作大日如来に「御眼工匠○阿弥陀仏」といった玉眼製作者を思わせる記載があったと思うという話を思い出していました。

同じ快慶作の大阪藤田美術館地蔵菩薩の足枘銘に「開眼行快」とあるのも玉眼製作者の意味であろうと書いてありました。「開眼」「行快」の墨書銘があるが、これは本像の玉眼制作を担当したのが行快であることを意味すると考えられる。と昔の日記に付けられたMさんのコメントに像の印象を大きく左右する玉眼の制作を任され、銘記中に制作者として快慶との併記を許されたのは、既にこの頃行快が快慶工房の有力仏師だったことを示していると言えよう。との事を伺いました。

「開眼」が即玉眼制作を意味するとは疑問と思い、今回の調べに 行快 (仏師)とは - goo Wikipedia」を読みましたら、Mさんの言われるとおりに快慶の法眼期の作品である地蔵菩薩立像(藤田美術館蔵)の足枘に、快慶の名と並んで「開眼」「行快」の墨書銘があるが、これは本像の玉眼制作を担当したのが行快であることを意味すると考えられる。」とありまして、続いて像の印象を大きく左右する玉眼の制作を任され、銘記中に制作者として快慶との併記を許されたのは、既にこの頃行快が快慶工房の有力仏師だったことを示していると言えよう」は、この事は 行快ファンのMさんの真骨頂との思いでしょうね「快慶の一番弟子行快が玉眼を分担して作ったというのも面白い話」とMさんも古いコメントに書かれているのを替えて紐解き古い日記に見つけました。

それ以前に、これは美味しい話、Mさんは食いつくなと思ってました。案の定 その女性にコンタクトを計り、そのすぐ後でも聞きましたが、Mさんは私達の「集」いを「飛び入りさん」にと同様に宣伝してくれたようです。 さっき見たのですが、翌日の日記のコメントにも、この女性の方と先述の「飛び入りさん」へのラブコールのコメントを寄せていました。

一般論では碩学の諸兄には孤高的を感じます。難しいかとは思いますが、 それを押して、お二人が仲間になって貰えたら良いなと私も思ってます。

以前から私としては、あまり高度の勉強になると、私を含めた、キャリアの浅い人達が、集いずらくなるのではと懸念でした。誰もが初心からの出発ですので、この集の理想はここで学び上達した方が増えてレベルアップして行きたいのですが、世話人役の不徳で、最近のメンバーの求心の陰りを思うと、ベテランの補強でのレベルアップもやむなしかと思い始めました。

どうも仏像趣味は自分流が主流の様で、基底部分では旨く行っても、何時までもの同調は難しいようで、SNSなどで見ていますと他の仏像の会も持続は難しく、長続きしていない会が多い様です。昨今の当「集」の求心にも陰りの様で腐心してます。

仏像趣味は方向性多岐で、各人の相違が見えて来ますが、されど仏像を愛する者の気持ちの共通は存在するはず、仏像を愛してる者は、お互いのそれを尊重し、不満を抱えながらもきっと残ってくれるはずとの思って居ます。新たなる募集に不賛成の方もお在りと思いますが、存続の為に 仏像仲間の勧誘、増加を図て行きたいと存じます。ご理解ください。
色々な方向性の仏像趣味、愛好が在りますが、他人がどんな風な考えで仏像を愛しているかを知り、納得できたならば、感化・啓蒙されるも宜しいかと思います。それで この「集」に是非に皆さんも仏像好きを勧誘して下さい。

そうそう、学会例会に参加されて居ました硯学の女性と会話をしたMさんの話では その彼女が 此の学会例会にやってきたのは、此処の孤思庵ブログに付けたMさんのコメントか、その後にそのコメント分を日記本文に転載した記事で知っての行動だったようです。

Mさんも、コメントを読んでもらえたを知って喜んでました。 私も嬉しいです。

この良きお二方の仏像先達が集ってもらえるを切望いたしてます。 

勉強会は 発表者だけでは成り立ちません! 聞き手の方が在っての成立です。是非に皆様のご支援・ご参集をお願い申し上げます。m(__)m
 

 
その他のコメントやご意見もお寄せ頂きたいと存じます。それぞれのIDやSMSの相違でなかなか難しいかと思います。e-mailでも なんででも結構です。 ブログに転載可な旨と、ご希望のハンドルネームを添えて お寄せ下さいm(__)m