孤思庵の仏像ブログ

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「みちのく仏像」関連講演会から 成島毘沙門堂 伝吉祥天立像の頭上の二頭の象

 
1月16日の中央区文化国際交流振興協会「みちのく仏像」関連講演会を共に聴収した「仏像愛好の集」のメンバー 十四郎さんより  寄稿が在りましたので、 ご本人の了解を受け 此処に転載します。」孤思庵



平成27年1月16日、月島区民センターにて「みちのくの仏像」展への紹介講演が14時30分より開催された。講師は、当該企画の主任、東京国立博物館 学芸研究部列品管理課平常展調整室 丸山士郎室長(無料)であった。なお本情報は「仏像愛好の会」孤思庵氏より寄せられたものである。



 当講演において、丸山士郎室長は、「岩手・成島毘沙門堂に在る『伝吉祥天立像』の頭上に二頭の象が居るが、このような像は見たことがなく、その意味がよく分からない」という。
 
クリックすると新しいウィンドウで開きます  http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/images/raisan/iwate/iwate012.jpg

 当堂には、主尊は云うまでもなく兜跋毘沙門天だが、問題なのは「伝吉祥天立像」である。これは、木造伝吉祥天立像 - 平安時代前期の作。吉祥天像とされているが、服装は通常の吉祥天とは異なり菩薩形であり、両手を胸の辺まで上げ、頭上に二つの象頭を乗せる特異な像容をもつとされている。


 頭上の二頭の象は背中合わせになっているため、当初は「聖天の双体像」かと思われた。

 後刻、その可能性を氏に問い合わせてみると、「そのような説もあります」とのことであった。

 この場合、一頭は魔神、ガネーシャであり、他の一頭は善女神・観音ということになる。ところが本体は「伝吉祥天立像」とされており、観音ではない。もちろんガネーシャでもない。

 色々調べる内に、ほぼ吉祥天に間違いないだろうとの確証が得られた。それは次のようなことである。

 インド神話に、『乳海攪拌』という物語がある。そこから吉祥天が誕生するが、その時、二頭の象が現れ、彼女の頭に聖水をかけたという。だから吉祥天の頭上に二匹の象が居ることは、この神話に則っていると判断できる。ここで不思議なことは、


 「なぜ平安時代前期に、このようなインド神話が岩手辺りにまで公知されていたのか」

ということである。




 乳海攪拌 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B3%E6%B5%B7%E6%94%AA%...
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (H.27. 1.20)

 乳海攪拌(にゅうかいかくはん)は、ヒンドゥー教における天地創造神話。 十四郎

概 要

 ドゥルヴァーサは厳しい修行を経て偉大なリシ(賢者)となった。彼は非常に短気で怒りっぽく、礼を失した者にしばしば呪いをかけたが、丁寧に接する者には親切であった。

 ある時、人間の王たちが彼から助言を受けるべく地上に招き、美しい花で造った首輪をかけて手厚くもてなしたところ、ドゥルヴァーサはとても喜び、王と王国を祝福した。その後彼はこの美しい花輪を与えるべくインドラを訪ね、その首にかけて祝福した。


 インドラたちは彼を丁寧にもてなし滞りなく送り出した。その直後、インドラが乗る象が花輪に興味を示したため何気なく与えたが、戻ってきたドゥルヴァーサがそれを見て激怒し、インドラたち神々に呪いをかけて能力を奪ってしまった。


 この機をとらえてアスラ(阿修羅)が天へ侵攻してきたが神々はなすすべがなかった。インドラはシヴァ、ブラフマーに助けを求めたが、ドゥルヴァーサの呪いは彼らにも解けない。

 ヴィシュヌが、不老不死の霊薬「アムリタ」を飲めば失われた力を取り戻せると言い、それを作り出すために乳海攪拌を実行することにしたが、神々だけでは不可能な作業であり、アムリタを半分与えることを条件にアスラの協力も求めた。


ヴィシュヌ神の化身である巨大亀クールマに大マンダラ山を乗せ、大蛇ヴァースキを絡ませて神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち互いに引っ張り合い、山を回転させると海がかき混ぜられた。

 海に棲む生物が細かく裁断されて、やがて乳の海になった。ヴァースキが苦しんで口からハラーハラという毒を吐くと、シヴァがその毒を飲み干したため事なきを得たが、彼の喉は毒によって青く変色した。

 さらに1000年間攪拌が続き、乳海から白い象アイラーヴァタや、馬ウッチャイヒシュラヴァス、牛スラビー(カーマデーヌ)、宝石カウストゥバ、願いを叶える樹カルパヴリクシャ、聖樹パーリジャータ、アプサラスたち、ヴィシュヌの神妃である「女神ラクシュミー(吉祥天)」らが次々と生まれた。


 最後にようやく天界の医神ダヌヴァンタリが、妙薬「アムリタ」の入った壺を持って現れた。
 しかしアムリタを巡って神々とアスラが争い、一度はアムリタを奪われかけたが、ヴィシュヌ神は機転を利かせて美女に変身し、アスラたちを誘惑した。アスラたちは美女に心を奪われアムリタを手渡した。その結果、アムリタは神々のものとなったが、神々がアムリタを飲む際にラーフというアスラがこっそり口にした。


 それを太陽神スーリヤと月神チャンドラがヴィシュヌ神に伝えたので、ヴィシュヌは円盤(チャクラム)でラーフの首を切断した。ラーフは首から上だけが不死となり、頭は告げ口したスーリヤとチャンドラを恨み、追いかけて食べようと飲み込むが体がないためすぐに外に出てしまう(日食・月食)。その体ケートゥとともに凶兆を告げる星となった。




 その後、神々とアスラの戦いはますます激しさを増したが、ヴィシュヌ神が心に日輪のごとき武器を思い描くと、天からスダルシャナというチャクラムが現れた。それをヴィシュヌ神が投げるとアスラを群れごと焼き、あるいは切り裂いた。


吉祥天 マキタ http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/tenbu.html


 サンスクリットのシュリマカデービーまたはマハーシュリーの漢訳で、大吉祥天女あるいは吉祥功徳天、功徳天とも訳される。

 その起源はインドの古代神話の「ラクシュミー」で、インドの三大神(シヴァ、ブラフマー、ヴィシュヌ)の内のヴィシュヌ神の妃の一人で、幸福を司る女神である。吉祥天はブッダのために衣服・飲食・臥具・医薬および諸々の資産を供給し不足ないようにすると誓ったとされる。


 日本では、七福神の一人とされたこともある。(七福神の吉祥天でも解説している。)

寺社関連の豆知識 http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/kissyo.html


吉祥天(七福神)


 吉祥天は福徳の神であり、七福神の一つに数えられていた時期もあった。吉祥天の信仰は七世紀ころには日本に伝来し、女神としては弁才天よりも人気を集めていたが、その後、弁才天の人気があがり、弁才天七福神の座をとられた。



インドでの吉祥天


 吉祥天はインドからきた神である。ヒンドゥー教では「ラクシュミー(またはユリー)」といい、富、幸福、豊穣の女神だった。サンスクリット語でシュリーマハーデーヴィーといい、これが大吉祥天女と訳され、さらに略して吉祥天と呼ばれた。また、功徳天と訳される場合もある。


 ラクシュミーはヴィシュヌの后とされ「大海から生まれたもの」という異名がある。これは、諸神の「乳海攪拌」というヒンドゥー教の神話からきている。

 神々は、不死の霊液アムリタを手に入れるため、ヴィシュヌに相談した。するとヴィシュヌは、マンダラ山を引き抜いて、それを攪拌棒として大海をかきまぜるように指示した。

 神々はふだん敵対するアスラ(阿修羅)たちとも協力し、いわれた通りに実行すると、大海はミルクのようになり、その中からさまざまなものがあらわれてきた。その一つがラクシュミーである。

 神々もアスラも、その美しさに見とれ、ラクシュミーを手に入れようとするが、ラクシュミーはヴィシュヌを夫に選んだ。

 インドではラクシュミーの姿は、蓮華の上に立ち、左右「二頭の像が注ぐ水を頭に受けている」ように描かれている。これは、ラクシュミーが出現したとき、天の像が清浄な水を金の瓶にくんで、彼女に浴びせたという、「乳海攪拌」の神話による。



日本での吉祥天


 日本では、中国風の貴婦人に描かれ場合が多く、優雅な衣装に冠、左手に宝珠を持っているのが一般的な像である。また、仏教では毘沙門天の妃とされているため、毘沙門天の脇に置かれていることもある。

 日本に伝来した吉祥天は福徳の神として篤く信仰された。平安時代には、吉祥悔過という国家的な法要が天皇の命によって行われた。これは吉祥天を本像として、「金光明最勝王経」という密教のお経を読み、罪を懺悔するとともに、五穀豊穣を祈願するものである。


 このお経によると、吉祥天はさまざまな善行をし、功徳をつんだ天女である。この天女の名前をとなえると、五穀豊穣、財産も豊かになるという御利益がある、と説いている。


吉祥天にまつわる説話


 平安時代の仏教説話集「日本霊異記」には、吉祥天にかかわるかなり生々しい物語がでてくる。
 信濃の国のある僧が、山寺に祀られている吉祥天に人目惚れし、なんとか自分にも天女のような女性が授かれないものかと祈る。するとある夜、吉祥天の像とまじわる夢をみてしまう。翌朝、吉祥天の像を見ると、その腰あたりに精液らしきものがしみていたという。


 坊さんが天女と夢でセックスをするという筋書きは、江戸時代になると弁才天にもあてはめられるようになる。そこでは、交わったことを人に話すなよ、と天女に釘をさされたにもかかわらず、坊さんはうっかり他人にさとられてしまう。腹を立てた天女は、坊さんに水をかけ、その水で坊さんは悪い病気にかかってしまう、という筋書きである。



 ここでは吉祥天が弁才天に変わっているが、実際、この両者が混同され、同一視されることもしばしばあったようだ。しかし個々の人気からいうと、弁才天に軍配があがり、七福神のメンバーとしての地位は不動のものになってしまった。いわば吉祥天は影の七福神だったといえる。


 『終』


十四郎さん、成島毘沙門堂の『伝吉祥天立像』の見解とご解説をどうもありがとうございました。

同像については、多臂だった痕跡と、菩薩形で変化観音観音の類かと想像してました。毘沙門天像との組み合わせという連想から吉祥天像と呼ばれてきたのだろうと思ってました。それに付けても頭上のふたこぶにわかれた髻のような部分が象をかたどっているように見えて居るについては???で、本来は何仏と関心です。

その考察に貴重な意見をありがとうございました。

「乳海攪拌」「吉祥天」の事はある程度は知っていたつもりでしたが・・・吉祥天の誕生の時、二頭の象が現れ、彼女の頭に聖水をかけたの項は失念でして、参考に成りました。

私も改めて、「吉祥天 象」で、検索して、貴兄の取り上げられた、日本大百科全書(ニッポニカ)の日本大百科全書(ニッポニカ)の吉祥天の解説を読みました。