孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

年始にあたって・・・心情吐露

コメントも開いてお読み下さい! 3/8(日)午後に小学館日本美術全集刊行記念文化講演会「仏の本様―日本仏像史の和と漢をめぐって」開催。2/20締め切り、ハガキで応募。の情報も寄せられています!
 
 
新年にあたり プロフィールの自己紹介を手直ししました。日記と違い読まれにくいプロフィールの中での自己紹介ですので、此処に日記として転載してみます。
 
自己紹介
仏像勉強会, 原則には毎月第一土曜日に、東京博物館に集まってます。是非ご参集を頂ければと望んでいます。

読書嫌いですが仏像の本は読みます。書籍の知識の一方通行に寂しさを覚え、気軽に教えたり、教えられたりの仲間と思ます。

質問がままならない、読書の一方通行のデメリットに対して優るには仏友(仏像友人)なのですよッ、そしてそれは効率が良いのです。

三人寄れば文殊の智恵、自身の発言から、自身の思い違い、知識欠落、を露わにし、誤謬をただし、欠落を補うには、時間的に、費用的に、効率は最適と思います。

最初は自身への誤謬の指摘に凹むかも知れませんが、相手を認められれば素直になれます。それでも納得いかないケースには、論証し正当性を主張、これまたお互いの精進です。エキサイティングに、バチバチやって後で仲良く呑む、これも興です。気心が知れてましたら、禍根を残しません。

一方に賛同を得て共感の悦に浸ったりは楽し限りです。

仏像は芸術品推して作られて居ない以上、鑑賞の基礎は図像学かと、そして次第に、仏教の教義、仏教文化全体にと興味は広がるのですが、専門的には大変な学問ですので鑑賞に役立つ趣味の一般書レベル程度でが限度でしょう。

具体的には、各時代の社会的要請がその時代の仏像の形に現れます。平安前期の一木造りに、興味です。神護寺の薬師立像は、祈祷・加持・調伏などの時代,その為に霊力の必要性からの森厳さに興味津々です。審美して観ると、存外破綻のある像なのです。それが強さの表現なのかもしれません。

鎌倉期では運慶に芸術家を、一方その仏像胎内納入品に信仰心が観られ、戦乱の世に生きた運慶を、また、信仰を集める阿弥陀仏の造像の施主達には、殺すか殺されるかを生業とする武家の裏側の心情を感じ取れます。

最近には、解からないで来た定朝様の真価に、飛鳥仏の古拙と片付けられない信仰性に気付くなど、日々無常です。 

​仏像の拝観の方針は、「量より、秀作を深く読み取る」が持論です。良いものを見続けていると・・・​そうでない物(仏像)に出会ったときに、違うと気付くはずです。しかし「何処がどう違う」と言える方は多くはないのでは?

一般論に「名品には芸術が存在し、その作品(仏像)自体に造形されてる」には同感です。

専門家に於いても、着目点、解説が一律では無いのです。故に多くの本を読む必要があるのです。そしてその論評がオーソドクスか、賛成できるか見極める事です。

しかし、自分の時間に限りありで、 限界があります、そんな時に仲間との情報交換が有効でないでしょうか?

「​仏像は見るもので、語るものにあらず。」と耽美的に漫然と拝観しがちですが、語り合い、見所を知り、深く観賞したいものです。

仏像は語るものでなしに、観るものと叱咤されもしましたが・・・​

たとえ芸術鑑賞としても、作者の精神、意図を汲み取るのが観賞かと、仏像は自由彫刻にあらず、像造の願主に宗教的ニーズがあり、作家仏師は、その受注状況の制約と、儀軌の制約と言う、その範囲の中で芸術性を発揮している。(時代にも拠るが、仏師は単なる製作者と思いがちですが、宗教的知識は持っていて)その精神の発露の表現に気付き、自分勝手でない正等の観賞をしたいです。

無仏像の時代を経て仏像誕生、今日まで多くの仏像が作られてますが、世間に仏像好きはあまたですが、仏像存在の意義を答えられるは、少ないように思えます。それを知る為にも、思想史的も勉強したく思います。

そんな方向性でも勉強したく思ってます。

此​処の同志は勉強が進につけ、分野は絞られてきている様にと窺えます。しかし最近に入門的仏友も入られまして、基礎は熟達の先達ががお手伝いが始まりました。教えるは勉強。皆さん始めは皆初心者でしたはず。入門・初歩の方も大歓迎です。

是非ご連絡を、また良き方へのご紹介もお願いします。
 
 
以上で字数制限に成ってしま終わらざるを得なかったのですが、最近のお仲間には、こんな発言に仏像鑑賞を強制されて居ると、危惧される方もお有りのようです。
 
最近んは大人に成ってきまして、趣味は趣味で自由の筈と思う様になって来てます。孤思庵は理屈っぽく仏像を審美ばかりで美しいと感じる耽美が無いのではと誤解されているむきもあるようですが、釈明します。私も、仏像の魅力は感じる耽美が根本です。しかし何を美しい、感動するは・・・仏像好きの共通の特質は在るでしょうが、その中にみられる各人のもつ差。 平均(値)に対して各個人が示す特徴や程度は在るの理由から、耽美に関しての発言はネグって来ました。しかし 「仏像は語るものに非ず、見るもの・・・」の叱責のご意見を受け、私も、仏像の耽美が根底、基礎にはそれがあると釈明しておきます。もし誤解があるのならば、孤思庵も仏像を観て感動する人なんだと、一番の基は其処なんだと・・・誤解を解いて頂きたいと思います。
 
今後は「美しいね、好きだ」と素朴な感想をも 吐露して行く様にしようと思ってます。
 
是非に、皆さんの仏像に関する思いもコメントにお寄せ下さい。