孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

飛鳥仏像 画像資料

12月6日 の「仏像愛好の集」勉強会用 資料 飛鳥仏像 画像 
 
 
 
 法隆寺金堂 釈迦三尊 止利仏師作
 
 
脇侍 印相は 対称形に成っていない、 薬王菩薩・薬上菩薩 ゆえ持つ宝珠は丸薬か? の見方も…、
山形宝冠に、サザン朝ペルシャの影響で日輪と三日月の文様 
 
 
   
戊子年(628年)銘釈迦如来及び脇侍菩薩 為 (蘇我馬子三回忌?)
 
 
 
如来座像 N145 (東博法隆寺宝物館蔵) 7世紀の止利様 裳掛に衣端の三角が見られる
 
 
脇侍 印相は 対称形に成っていない、 薬王菩薩・薬上菩薩 ゆえ持つ宝珠は丸薬か?
 
 
救世観音 正面鑑賞性 釈迦三尊脇侍に似る 飛鳥の天衣はX字方にクロス  山形宝冠にはサザン朝ペルシャの影響で日輪と三日月の文様 木像乍ら、両足の間は貫通せずの鋳造仏的デザインが見られます。
また、近頃の新説にはこの像は漢音像ではなしに聖徳太子の在世中に作られた太子の肖像との見方も …
 
   クリックすると新しいウィンドウで開きます 宝珠と手の間に玉状の湯導的デザイン  
 
 
 
 
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   別尊雑記に描かれる、難波四天王寺、四天王像白描図
 
 
四天王像に似る形式なるも、邪気が大きく、天王が小さい為、邪鬼が戟を握るに成らない。 元々一具か??
 
 
甲冑の小札か 金鎖甲 の様な模様が見える。 
 
 
 
   
   
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法隆寺像の次の遺作、当麻寺像の邪鬼には まだ載せている感が残っています。
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次に古い遺作の 当麻寺像になると 後に続く西域風の製の甲冑と成る。 両四天王に共通するすスカーフの様な肩掛けは奈良・平安時代には無い像が多く、平安時代にたまにあっても首巻状に成り、その後は無く見られなくなるようです。一度その観点で見分したく思います。
 
 
   
 
 
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 法輪寺 薬師如来坐像 止利様の杏仁形の眼ですが、二重瞼二の変化、懸け裳の衣襞もデフォルメが影をひそめ、いくぶん写実的に成ってきてます。これまで二段構成でした懸け裳が一段に、それらに新しさを感じます。
 
 
 歴史資料的には 釈迦三尊より前の製作的ですが、随所に進んだ様式が見られ、後の再建の擬古作品と見られてます。
 
 
 鎌倉時代の此方も擬古作 僧祇支や裳掛衣襞に古形式 されど随所の作風に鎌倉の様式が見られます。
 残る天蓋吊り金具より、布製の天蓋下の須弥座には救世観音が安置されていたとの新説も・・・